塾長の備忘録

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私=juqchoの日常の雑感を不定期に綴る、個人的な備忘録。

経営

2013/06/25

DeNAの創業者である南場智子さんの『不格好経営』を読了。この本は面白かった!どれくらい面白かったかというと、電車の行き帰りと昼休みと就寝前の時間を当てて平日の2日間で読み通してしまったほど。

それくらいの比較的コンパクト(やや大きめの文字で約260ページ)な本だったからということもあるのですが、なんといっても著者の文体が面白い。経営コンサルティング大手のマッキンゼー・アンド・カンパニーでパートナー(役員)を勤めていた筆者が自分で起業してみてぶち当たる失敗の数々を、臨場感たっぷりに、かつユーモアたっぷりに披露していて、使い古された表現ですが、ページを繰るのがもどかしくなりました。

DeNAは1999年の創業当初はパソコン向けのオークションサイトとして起業しているのですが、ソネットとリクルートから出資を受けて開発した(はずの)システムが、明日からテストというときに一行もコードが書かれていないということがわかってパニックに陥るところからスタートして、資金繰りの綱渡りの中での窮乏ぶりや、ヤフオクとの勝負での敗北、システムの大規模障害などを経験しながら、やがて主戦場をモバイルにシフトし、ソーシャルゲームを事業の柱に移し、成長路線へと突き進んでいく様子が描かれます。その間には、著者自身の生い立ち(とんでもないくらいの父権家庭)、会社内での激やせラリー(戦略ミスで勝てず)、社長の年収査定(コンサルタント時代は年俸数千万円だった著者が、DeNA黒字化の褒美に給与を年800万円に上げたあと、転職斡旋会社の査定サービスに応募して送られてきた通知を小躍りしながら社員たちの前で開封してみたら「750万円」だった)などの横道エピソードが紹介され、さらにDeNAを支える個性的な人材たちの素顔がこれでもかというほど披露されていて、当の社員たちは本書を読みながら相当に顔を赤らめることになったのではないかと心配になるほど。しかし、著者がこの本を書いた動機の一つは、DeNAが(世間一般でのイメージとは異なり)底なしに優秀でビジネスに誠実な人材の集団としていかにクリエイティブな仕事をし続けてきたかを広く紹介することにあったようです。

しかし、マッキンゼーでの同僚で、起業時のトラブルのときにも端的なアドバイスで著者を支えた夫君が癌にかかったときに、それまで仕事一辺倒だった著者は2011年に社長を退任して夫君のサポートに専念することになります。上場企業の社長として、配偶者の病気を理由に退任することが許されるのだろうかと一度は迷った著者は、しかし120%全力投球でも足りない社長業に専念できないのなら、社長を続けることはDeNAのためにならないと決断して非常勤取締役に退きました。この辺りの決断の経緯に関する記述は案外短くきっぱりとしていますが、これも「意思決定すること」を自身の役割として果たし続けてきた著者の性格のあらわれなのでしょう。幸い夫君の治療の経過は望ましい方向に進み、著者も引き続き経営者のひとりとしてDeNAを世界に雄飛させることを宣言して、本書を締めくくっています。

リアルに活動を続けている会社に関わることなので、たとえば出会い系問題や独占禁止法違反(不公正な取引方法)問題、コンプガチャ問題などの実態に関する記述は微妙にスルーされている気がしますが、本書がその時起きた事柄ではなくそのことに人がどう対処したかに力点を置いている以上、怪しむには当たらないとも思えます。それよりも、著者の「任せて育てる」人材重視のエピソードの数々や、今与えられている情報で決断し、選んだ選択肢を正しくする(正しい選択肢を選ぶ、ではなく)というリーダーとしての心構えに感銘を覚えて一気に読み通せてしまう牽引力のある本でした。

それにつけても思い出されるのが、この『不格好経営』の中でも引用されていて、創業期に南場社長がある人材を日本IBMからスカウトするために「この本を読んで、心が躍ったら来てくれ」と本人に渡したという『社長失格』です。著者自ら一躍脚光を浴びたベンチャー企業が、わずか2年足らずで苦しんでのたうちまわって潰れていくという壮絶なノンフィクション本で、慎重派のその人材を誘うのになぜそんな血迷った戦法をとったのか意味不明と回顧させている本で、私も1999年に読みましたが、本当にこの本の最後の方は、資金繰りに窮した会社の経営陣が必死の延命策を次々に試みながら、それでも打つ手がすべて手詰まりになっていって破産に至る過程を克明に描いていて、身の引き締まる思いで読み終えたものです。

『不格好経営』の南場社長は創業期の資金不足の中で耐乏経営を続けながら何とか事業を軌道に乗せ、一方『社長失格』の板倉社長はハイパーシステムの成功で一時は時代の寵児と持てはやされながらやがて急下降カーブを転げ落ちて行ったわけですが、同じネットベンチャーの経営者であった2人の明暗を分けたものは何であったのか。浮沈の激しいITバブルの中でそれぞれの主力事業の開始時期はわずかに3年違い、しかしこの3年の違いは小さくなかったようにも思いますし、かたやコンサルタント出身でかたやエンジニア出身という出自の相違も「職業としての社長」という観点からは大きな違いにつながっていたかもしれませんが、それでも、両社(両者)の決定的な違いがどこにあったのかは、まだ見出せていません。