原点

2016/08/18

小笠原啓『東芝 粉飾の原点』を読了。著者が個人名になっていますが、実態は日経ビジネス東芝取材班です。

企業不祥事シリーズもシャープオリンパスときてとうとう東芝。シャープは純然たる投資判断の失敗、オリンパスは過去の財テク失敗を不正会計で糊塗しようとしたものという性質の違いがありましたが、東芝は投資判断の失敗による財務基盤の悪化が不正会計の誘因となったという点で、前二者の要素を兼ね備えています。どういうことかというと、本書によれば事の発端は2006年のウエスチングハウス(原発の建設や保守を事業とする米国の会社)買収で、実勢価値の2,000億円を大きく上回る6,000億円を支出し、3,500億円ののれんを計上したこととされています。米国会計基準を採用しているため、こののれんは毎期減損テストにさらされるわけですが、2008年のリーマンショックと、続く2011年の東日本大震災による福島第一原発の事故を背景として原発の新設ペースに陰りが出ると、のれん取り崩しの危機にさらされます。ところが、リーマンショック直後の2009年3月期に3,436億円の最終赤字を計上して自己資本比率が17.2%から8.2%に急落したため、金融機関との間で締結している借入契約に付帯している財務制限条項に抵触する可能性が生じました。すなわち、2010年3月期(以降)において連結純資産、連結営業利益又は格付けが一定水準を下回ると、東芝は金融機関からの借入金について期限の利益を喪失する=即時返済を求められることになったわけで、このことが累積赤字であるウエスチングハウスの減損を隠蔽させると共に、東芝本体の各事業への経営トップからの無謀とも思える利益要求=「チャレンジ」の動機となりました。しかし実は東芝の各事業の競争力は、毎期繰り返された当期利益至上主義によって、NAND型フラッシュメモリーとメディカル事業を除けば著しく劣化していたために、「チャレンジ」指示に応えるための不正会計へと各カンパニーが駆り立てられたというのが、本書の見立てです。

ウエスチングハウスの減損問題は日経ビジネスのスクープであったこともあり、本書はこうした不正会計の動機の謎解きをストーリーの縦軸とし、その上でまやかしの第三者委員会歴代3社長提訴の欺瞞『著しく不当』だった監査法人などと刺激的な章立てを重ねて東芝不正会計問題を巡る一連の関与者を糾弾していきますが、その叙述がマスコミにありがちなセンセーショナリズムに堕していないのは、800人以上にのぼる関係者(現役社員・OB・取引先)からの情報提供を背景としつつ随所に地に足の着いた取材姿勢を見せているからです。この点で、日本経済新聞社の『シャープ崩壊』を凌駕する説得力が本書には感じられました。また「職業的懐疑心」が不十分と断罪された新日本監査法人に対し、会計基準の変更に伴う見積もりの要素の増大(退職給付債務、工事進行基準、のれんや固定資産の減損処理のベースとなる収益性予測など)と会計士業界の慢性的人手不足という背景要素の説明を加えている点はフェアな態度に思えますし、虎の子の東芝メディカル売却による債務超過回避に際して売却先のキヤノンと協調して実現した「トリッキー」な売却手法とこれに対する富士フイルムからのクレームを巡る一連の経緯の解説は同種事業会社の買収交渉に関わった経験を持つ私にとって極めて興味深いものでした。

それにしても、本書では序盤に当たる章で比較的軽めに取り上げられている「チャレンジ」問題ですが、今どきこうした打ち出の小槌的な管理手法が存在するものなのか、という驚きが先に立ちました。実態として、集中調達した部材の押込み販売(バイセル取引)、工事進行基準の悪用、引当金の恣意的な取崩しなどあらゆる手段を駆使しての利益の嵩上げがなされており、そこには「社長月例」を頂点とするパワハラの連鎖(丸山真男風に言えば「抑圧移譲」)が濃い影を落としています。3日で120億円の利益改善を求めた事例はマスコミによって喧伝されて話題になりましたが、事業売却をちらつかせて無理難題を押し付け、虚構の結果報告を求めるだけで経営が成り立ち、年間1億円を超える役員報酬を手にすることができるのなら、社長業というのは楽なものです。もちろん実際にはそんなことはなく、3社長を含む旧経営陣は、これまでに受け取った役員報酬を吐き出しても追いつかないかもしれないほど多額の損害賠償請求を受けている状況にありますが、その裁判の動向が判明するにはあと何年かはかかると言われています。

そうした中、東芝は2017年3月期の第一四半期に関しては半導体の好調によって予想以上の好業績であったという報道がつい最近なされましたが、そのニュースを聞いて割り切れないのはおそらくあなたの活躍の場はありませんなどと言われて財務基盤立て直しのための犠牲となった、1万人以上にのぼるリストラ対象の社員たちでしょう。