再考

2016/10/05

『ジュリスト』2016年10月号の特集は「コンプライアンス再考」。趣味と実益(仕事とも言う)の境目にあるこのテーマの記事を読みたくて、久しぶりに『ジュリスト』を購読しました。

内容は、研究者と弁護士による座談会「企業不祥事の現状と展望」と、以下の論文5本。

  1. 企業不祥事の原因分析—経営戦略の立案・実施のあり方を切り口として
  2. 不正防止と内部監査の新たな役割
  3. コンプライアンス体制の整備・運営と法人処罰
  4. 不祥事調査の実務
  5. 司法取引の施行に向けた留意点

座談会冒頭の概論部分では、たとえば東芝事件を引き合いに出しながら、ハウ・ツーとしてのコンプライアンスは既に相当程度に定着しているはずだが、組織文化・組織風土としての浸透をみないと不祥事はなくならないという永遠の課題のような指摘がされていて、これは先日参加したセミナーで「『チャレンジ』自体は問題ではない、目標数値の達成を求めるのは企業にとって当たり前。ただしそこに、コンプラインアス違反まで許容するものではないというTone at the Topを示さなかった点が問題」と指摘されていたことと共通する課題意識を見ることができました。

以下、話題は不祥事防止に向けた刑事法の役割、刑事訴訟法改正の影響、公益通報者保護制度とやはり『ジュリスト』という雑誌の性格を反映したメニューになり、いずれも興味深く読んだのですが、特に刑事法の役割のところでのアメリカは原則として、会社の不当な利得は剥奪するが、会社にそれ以上のダメージは与えないで、その代わり、カルテルであれ贈賄であれ、悪いことをやったのは個人なのだから、その個人には必ず刑務所に然るべき期間入ってもらい、身をもって償ってもらいましょうという発想だという記述は、今さらながらなるほどという感じ。たとえばカルテル事件では、日本人ビジネスマンが何人も米国で服役しているのは周知の事実ですし、米国の海外腐敗行為防止法(FCPA)の適用範囲の広さ(USドルが贈賄資金に用いられただけでも?)とその罰則の重さ、賄賂とファシリテーション・ペイメントの境界線の曖昧さなどを考えると、このことは決して他人事ではありません(私自身が犯罪行為に関与する可能性があるというわけではもちろんありません)

論文2の中では、内部監査部門の役割としてCEOのみに直属するのではなく、業務執行を監督する権能である取締役会や監査役会への報告経路の確保の必要性が強調され、論文3では、両罰規定の法人罰金額の上限が高騰している中でコンプライアンス体制の構築・運用実績が過失推定を覆し免責を獲得する道具立て(インセンティヴ)となりうることが述べられていましたが、特に新たな知見を提供してくれたのは、座談会と論文5で言及された刑事訴訟法改正=日本版司法取引の導入でした。

2018年6月までに施行予定のこの制度では、被告人が自らの罪を認める代わりに検察官から起訴の免除やより軽い求刑といった利益を与えられる「自己負罪型」は認められておらず、共犯者等の他人の刑事事件の捜査や訴追に協力することによってそうした利益を与えられる「捜査・訴追協力型」だけが用意されています。他人の刑事事件の捜査・訴追への協力ということからカルテルにおけるリニエンシーの制度が連想され、実際そうした場面での活用も想定されているのですが、これらの記事の中で検討の対象となっていたのは、たとえば粉飾決算や贈賄などの違法行為を指示した役員とその指示に従った従業員との間、あるいは法人と従業員との間といったある意味一蓮托生な関係での利害対立です。前者は比較的理解しやすい構図ですが、後者の例として、中堅以下の従業員の違法行為について会社が検察官に申告し、そのことによって恩典を受けようとする事態が生じたとすると、それは実質的には導入を見送られた「自己負罪型」と同じではないかということになります。このことの評価については座談会の中でも意見が分かれており、いわばトカゲの尻尾切りのようで違和感を覚えるという意見もあれば、罰金・課徴金を課される会社は被害者なのであるから会社が役職員の違法行為を情報提供することによって罪を免れるのは望ましいという価値観もありうるという意見もありました。確かに、株主代表訴訟が定着して法人が支払った罰金・課徴金が取締役に求償される時代になってみると、この価値観もうなずけます。また、上述のTone at the Topに照らしてみたとき、会社としては不正行為による収益獲得などは期待していないと言い切れるのであれば、なおさらでしょう。

ここまで読んだところで日頃の実務を振り返ってみたとき、コンプライアンス違反事案への対応において「私利私欲のためではない」ということが情状酌量の材料として用いられることは往々にしてありますが、果たしてそれで文化・風土としてのコンプライアンスの定着に資するのかという観点から、ここは立ち止まって考える必要がありそうだ……と、最後は思い切りミクロのレベルで腕組みすることになりました。