滝坂
2017/03/20
この春分の日の三連休は好天予想でしっかりしたアルパインクライミングができそう……と思っていたのですが、そういうわけには行きませんでした。ひと月ほど前、東沢渓谷の乙女沢を登ったときに転倒してしたたかに打った膝が、つい先日の大同心大滝登攀後の下山時から痛みだして、今や通常の歩行にも支障をきたすようになってしまったために数日前に北里研究所病院で診察を受けたのですが、レントゲンの結果は骨に異常はないもののしばらくは安静が必要というご託宣。痛み止めの薬と湿布薬を大量にもらって帰ることになってしまい、おかげでどうやら今シーズンのアイスクライミングも強制終了です。
もっとも、昨年は秋に山友かっきーが事故負傷、自分も脊柱管狭窄症が発症し、そして宿痾の膝痛もこのタイミングで一段と悪化と穏やかならざることが続いているところをみると、神様が「大怪我をする前に少し控えめにしろ」と言っているのに違いありません。ここは医師が言うとおり「しばらく様子を見る」しかなさそうです。
そんなわけで心静かに(しかし内心は穏やかではないままに)過ごした連休の3日目、自宅の前の道を渋谷駅に向かって歩いてみると、それまで目についていなかった標識が立っていることに気付きました。
今は「裏渋谷通り」と呼ばれているこの道がかつては「三業通り」と呼ばれていたことは、以前にもここで紹介したことがあります。しかし、これはさらに昔の呼称である「滝坂道」の由来を示す標識です。いったい、いつの間に?
滝坂道(甲州街道出道)は、かつての大山街道が道玄坂から分岐をし、武蔵国府のあった府中に向かっていた古道で、その起源は江戸幕府が開府する前からと考えられています。滝坂道は、目黒区の北部を通り、世田谷区を横断して、調布市で甲州街道に合流します。名称の由来は、甲州街道の滝坂で合流することから滝坂道と呼ばれたようです。現在は、裏渋谷通りの愛称で親しまれています。
「滝坂道」で検索してみるとこの道は、甲州街道が整備される以前の府中と江戸を結ぶ幹線として古道ファンには有名な存在である模様。現在の道路では甲州街道の滝坂(現・調布市仙川町)から都道118号を経て都道423号(淡島通り)に通じるルートがかつての滝坂道ですが、もちろん度重なる路線の整理によって道筋は変わり、かつての面影を残す場所も限られているようです。
古道ファンはともかく、今では平日の夜は繁華街、休日は生活道路となっているこの道(私にとっては通勤路でもあります)にかつてそうした歴史があったことを知る人は、果たしてどれくらいいるのでしょうか。