廿年

2017/04/13

早いもので、このサイトも今日(4月13日)が開設20周年……と書いたところで、これはどこかで見た出だしだと思ったら10年前にも同じようなことを書いていました。それにしても、どうしてこんな中途半端な日付でオープンしたのか……。

それはともかく、1997年に物は試しと興味本位で立ち上げたこのサイトの当初の内容はなんということもない日記系で、その痕跡はこの「備忘録」の古い記事に残っていますが、その頃の制作環境はこんな感じでした。

  • 使用コンピュータ:Macintosh Performa 5320
  • 使用HTMLエディタ:クラリスホームページ
  • プロバイダー:IIJ4U(ディスク容量は2MB)
  • 通信環境:Performa 5320内蔵の14,400bpsモデムによるダイヤルアップ接続

しかし、比較的早い段階で「鑑賞記録」と「山行記録」が分離し、そこに「渡航記録」を加えた現在の構成になったのは2000年の3月で、以来、制作環境をアップグレードしながら地道に記録を積み重ねているうちに、今ではこのサイトの総ファイル数は35,674(うちHTMLファイルは7,290)、総容量は9.66GBにまで達してしまいました。

振り返ってみると、Windows 95の登場によって一般に広く開放されたインターネット上に個人が運営するサイトが次々にオープンしていったのは1990年代の終わり頃から。そうした個人運営サイトにはたいていこのホームページはリンクフリーです(「自由にリンクして下さい」という意味だが文法的にはおかしい)とかSorry, this homepage is Japanese only.などとあえてことわるまでもない断り書きが書かれていたものですが、しばらくすると「Javaアプレットによる動的装飾(少々うるさい)」「アクセスカウンター(キリ番とか)」「相互リンク(その発展系がWebring)」「掲示板」などが一世を風靡するようになりました。特に「掲示板」による小さなコミュニティの存在は強力で、そのハブとなる人気掲示板には、毎日かかさずおはようとおやすみの挨拶をする常連さんがいたり、一見さんと常連さん、はてはサイトオーナーまで巻き込んだバトルや村八分、出入禁止などがあったりして、なんともカオス。

かくいうこのサイトにもかつては掲示板が設置されており、そこでの交流からリアルなセッションにつながって今に続く貴重な山仲間の何人かを得たのですが、ご多聞にもれずこの掲示板でもときどきは小さな騒動が起こっていました。まあ、それでも今どきの「炎上」に比べると皆さん礼節はわきまえていましたが、そのように熱気を帯びた掲示板文化もブログブームの到来による個人運営サイトの淘汰と共に廃れてゆき、やがてコミュニケーションの基盤はmixi発Twitter経由でFacebookやInstagramといったSNSへ移って、今やサイトオーナーはひとりお茶をすすりながら心静かに自分の文章の推敲に取り組める時代が戻ってきたわけです。

この間、私のWEB仲間も多くが自前のサイトからブログへ移行していきましたが、HTMLのコードを自分で完全に管理したいクチの私は、ブログシステムに頼ることなく愚直にエディタを駆使しながらHTMLファイルを増殖させてきました。その結果が上述のファイル数なのですが、開設10年目時点での総容量はまだ413.2MBでしたから、その後10年間でのこのサイトの膨張ぶりがいかにすさまじいものであるかがわかります。画像ファイルの画質の向上や動画ファイルの導入がその大きな原因となっていることは確実ですが、記事自体の質量も上昇カーブを描き続けていることは間違いありません。

このペースでいけば今から10年後のこのサイトはどういうことになっているのか?と空恐ろしい気がしますが、さすがにそろそろ書きものの情熱にも打止め感が漂ってきました。そんなわけで、このサイトがいったいいつまで続くことになるのかは(これも10年前に書いたことと同じですが)神のみぞ知るです。