江戸

2017/09/24

両国の江戸東京博物館は前から気になる存在だったのですが、この10月1日から来年3月末まで半年間、改修のために休館になるということなので、その前にと足を運んでみることにしました。

出発が遅かった上に山手線が事故の影響でしばらく止まっていたため、入館したのは閉館時刻(17時半)の2時間前。まあなんとかなるかと思っていましたが、内容の充実度が半端ではなく、2時間ではなんともなりませんでした(それにしても、1階ロビーの熊手の上に泳ぐイルカはいったい?)。

エレベーターで六階に上がると、日本橋を渡るようになっています。全長28間(51メートル)、幅4間2尺(8メートル)の北側半分を再現したもので、高欄と床板は檜です。

橋の左手には江戸の芝居小屋(座紋からして中村座ですな)、右手には今でいう銀座四丁目の和光の地にあった朝野新聞社。

これは楽しい!ジオラマで寛永時代の町人地の賑わいが再現されています。

後ろから傘を捧げ持たせて悠然と歩く女性、獅子舞、他にも犬を追いかけて転ぶ子供や洗濯風景などなど。いったい何人いるんでしょうか。

江戸城の天守閣の右手に見える赤っぽい瓦の一角は大奥です。右の奥に見える廊下は、かの「松の廊下」。

大名屋敷が大変豪勢。これは江戸城の大手門の前に建てられた越前福井藩主・松平伊予守忠昌の上屋敷だそうですが、維持費だけで大変なことになっていたでしょう。残念ながら、明暦の大火(1657年)で焼失し、以後こうした屋敷が建てられることはなかったそう。

模型を見て喜んでいるだけでなく、ちゃんと勉強もしなくてはなりません。こちらは江戸の変遷。家康が関東に入ってから100年間をかけた大規模な土木工事によって江戸が改造されてゆく様子がよくわかります。

その主役である江戸幕府の将軍と旗本・御家人についても体系的に学習できました。これで見ると、旗本・御家人合わせて約22,600人のうち2,500人は土地を与えられて収入を得る自営業(知行取)、残りの2,o1oo人は米や金を支給されるサラリーマン(蔵米取)です。

フロアを一つ下がれば、庶民の暮らし。棟割長屋には職人も住んでいれば寺子屋もあります。

56歳であの世へ行くのか……。しかし、現代の平均的なサラリーマンの収入に占める支出の割合が99.44%なのに対し「江戸のある大工」が95%とは驚き。もっとも、年間勤労日数は前者の240日に対し後者は294日(正月・節句・悪天候の日以外)なので納得もできそう。

識字率が高く娯楽好きな庶民には、錦絵や版本が売れたことでしょう。もっとも、中には禁書になったものも少なくないようです。

三井越後屋の復元模型は、一定時間ごとに暖簾が上がり下がりする模様。そして神田明神の山車の向こうには……。

またしてもジオラマ。こちらは芝居小屋や茶屋、両国橋、屋台がひしめく両国橋西詰の様子ですが、拡大写真でこの中の登場人物を示して探してみようという企画が面白い。1人は簡単に見つけられましたが、もう1人は探しきれませんでした。

成田屋!意休に向かって助六が見得を切っています。歌舞伎になじみがない人にも大変わかりやすい解説あり。この後、企画展「徳川将軍家へようこそ」を回ったらもう時間がなくなってしまいました。明治以降の東京サイドは来春に再開館したら見に行こう……と思ったのですが、残された時間の中でささっと回る中で、ここだけは足を止めないわけにはいきませんでした。

多くの人が言葉を失いながら見入っていたのは、東京大空襲の被害の様子を示す展示です。

夕食はすぐ近くの「江戸蕎麦ほそ川」へ。開店前に着いたので、ほとんど並ぶことなく入れました。

冷たいお酒が冷かきそばに合いました。細い麺にはコシがあり、大ぶりの牡蠣はクリーミー。ごちそうさまでした。