高砂

2018/07/11

この日は国立能楽堂で、金春流能楽師・中村昌弘師の企画による「『高砂』特別講座」。

この講座にはこれまで、「船弁慶」と「井筒」に参加していますが、毎回楽しく勉強させていただいています。今回は中村師曰く「脇能の代表選手」であるという「高砂」が取り上げられましたが、これはこの講座で今まで脇能(「翁」に続いて演じられる、神様を主人公とする能)を扱っていないことと高砂や、この浦舟に帆をあげてのフレーズでよく知られているから、という理由だそうです。

今回もこれまで同様、中村師の他に観世流の武田宗典師、宝生流の髙橋憲正師、喜多流の大島輝久師の三人が加わった四人での解説が進められました。

  • 何歳頃に「高砂」のシテを勤めた?
    • 〔観〕35歳頃。尉の物だがストレートに強い表現を出す能なので、比較的若い内に勤める。
    • 〔宝〕神舞は大事に扱っているので、遅い。自分は40歳過ぎ。
    • 〔喜〕半能でなら10回以上演じていたが、本能は40歳頃。個人の会で選ばれなくなっている曲なのでやってみようと取り組んで、能評家には酷評された(笑)。
    • 〔春〕35歳頃。
  • 尉の物は若いうちはやらないもの?
    • 〔観〕脇能以外では遅い。ツレの姥は20代前半で勤めた。
    • 〔宝〕「鵜飼」など若くから勤めている。
    • 〔喜〕若い頃からやるのは「鵜飼」「野守」くらい。女性になるのは虚構だからいいが、おじいさんはいずれ自分もなるもの。そのまだなっていないものを自然に真似るのは圧倒的に難しい。
  • ツレの姥は?
    • 〔観〕20代前半で勤めた。脇能のツレの姥は若い女性と同じ発声でよいとされている。
    • 〔宝〕多少趣がないと、とされている。二ノ句を高く謡うところも、おばあさんなりに。
  • 小書
    • 〔宝〕「作物出」「流八頭」。前者は竹で作った柵に松を立てた作リ物を出す。落ち葉を掻く型(サラエ)もタイミングも変わる。後者は見たことがない。
    • 〔喜〕「松出シ」。宝生流の「作物出」と同じ。舞が変わる小書は五つほどあり、「真之舞」「祝言之舞」は一緒にできるということだったのでやってみようと思ったことがあるが、笛が森田流でなければならなかったのでできなかった。
      • ちなみに喜多流の小書について、「粟谷能の会」のブログに次の説明がありました。喜多流では真之舞、真之掛之舞、祝言之舞、真之留、颯々之留があります。真之舞は神舞の初段に達拝(たっぱい=立ちながら拝む動作の型)をします。真之掛之舞は掛(かかり)の段が延びて掛で達拝をします。これらは、舞のはじめは必ず達拝をするというきまりがありながら、『高砂』では「二月の雪、衣に落つ」と神舞の前に左袖を見る型があり達拝ができないので、どこかに達拝を入れようとする儀礼重視の工夫です。祝言之舞は二段目のオロシに左袖を卷く特別な型が入り、片手で中啓を持ち変える難儀な型があり上演機会は少ないです。真之留は終曲に通常二つの留拍子を三つ陽の拍子として踏むもので、颯々之留は颯々の声ぞ楽しむと左右シトメをして留拍子となっています。何れも儀礼的要素が強く、芸術的な演出効果を狙った小書とは異なるものです。
    • 〔観〕「八段之舞」「流八頭」「太極之伝」「祝言之式」。「八段之舞」は前半に松を出し、後半の神舞が長く、緩急がつくものになって面白い。「祝言之式」は後だけをやる演出。残りの二つは見たことがありません。
    • 〔春〕「流八頭」「真之型」「舞序破急之伝」。前二者は演じられることがほとんどない。「舞序破急之伝」は観世流の「八段之舞」に近く、猛烈な緩急がつくので、気を抜くと囃子方が崩壊する危険性を孕んでいる。
  • 小道具
    • 松は観世流では雌雄を交差させる。
    • 手にする道具は、観世流ではシテは竹杷(熊手)でツレは杉箒。金春流ではシテ・ツレとも杉箒。
  •  前シテの装束
    • 〔春〕前シテの水衣は肩上げしてもしなくてもよい。後シテは邯鄲男に狩衣、白大口。小書がつくと大天神面になり、下は半切。
    • 〔観〕前シテは髭短めの尉面、小格子の上に茶の水衣、白大口。クセが終わったら肩を下ろす。後シテは邯鄲男、紺地の狩衣に半切(本来は白大口)。「八段之舞」のときは面が三日月になる。
    • 〔宝〕前は基本的に観世流と同じ。ツレは肩上げしない。後シテも観世流と同じだが、古くは恐く強い三日月が決まり面だった。宝生流では、尉髪が耳を覆わず、自分の耳が出るので、耳が四つになってしまう。きっと昔の偉い人が「聞こえづらいから」などと言いだし、皆が逆らえずに定着したのだと思う。
    • 〔喜〕前は2人とも肩上げ。ツレは肩を上げるのが基本です。後シテは他流と同じ。キリで両袖を巻くところは肘を外に張って「山!」を示す(ここで流儀によって最後にどちらを向いて袖を巻くかが異なることが判明。金春流は脇、観世流は常座、宝生流と喜多流は正面を向く)。
  • 面紐の色
    • 〔観〕前シテは金茶、後シテは黒。姥は浅葱。
    • 〔宝〕黒は盲目の物にしか使わない。紫が多い。「高砂」の場合は前シテの白から後シテは紺。姥は浅葱色か樺色。
    • 〔喜〕尉は白、後シテは若い男に使う浅葱色。姥は金茶だが、若い女性には紫を使う。
    • 〔春〕ほとんど紫。尉は白だが、真っ白は翁に用いるので、紅茶に漬けるなどしてわざと煤けさせる。姥は浅葱か金茶。
    • 観世流は基本的に頭(髪)の色に合わせる(したがって紫は存在しない)のに対し、宝生流と喜多流は面によって色が決まっている。金春流は面倒臭いだけ?
  • 襟の色
    • 〔観〕前シテは浅葱色か樺色(この色は「高砂」でのみ用いる)のいずれか。後シテは浅葱色に白を重ねる。
    • 〔宝〕前シテは浅葱色、後シテは強いイメージを出す紺。
    • 〔喜〕シテは前も後も浅葱色、ツレは位が低い樺色(ツレ専用の色)。観世流と価値観が違うね。
    • 〔春〕前シテもツレも浅葱色か朽葉色。後シテは若さと品の良さを出す白赤。
    • ちなみに「隅田川」の子方の襟は〔春〕赤、〔観〕白、〔宝〕赤、〔喜〕浅葱色。これだけ流儀によって違ってくるとなると「別に『高砂』でなくてもよかったんじゃないの?」と髙橋師がもっともなツッコミを入れて会場爆笑。しかし常に上品な武田師が「『高砂』を機に、ってことですよね」と上手にフォロー。
    • ロンギが異なってくる……というわけで四人で一緒に謡ってみせたところ、確かに!
    • 〔上掛リ=観・宝〕相生の松の精…
    • 〔下掛リ=春・喜〕神ここに相生の…
    • 〔喜〕前シテが肩を下ろすのが神がかりのきっかけで、松の精からだんだん神様へと変わっていって中入、という流れ。
  • クセで落ち葉を掻き寄せる型
    • それぞれに型を披露してみたところ、やはり各流かなり異なり、どうやら宝生流が最もシンプル。「金剛流も知りたいね」「派手だろうなー」。
  • 神舞
    • 当初は一緒に舞おうと思っていたようですが、楽屋でやってみて無理だということがわかり、トークで説明することに。
    • 〔喜〕立て板に水を流すごとく舞え、と言われる。
    • 〔宝〕「立て板に水を流す」は四番目物(「三井寺」「玉鬘」等)の一セイの謡で言われる。舞は宝生流では三段が基本だが、脇能の場合は五段。
    • 〔観〕観世流も神舞は五段で、颯爽と見えることが大事なので、速く動けるところはすっと動けと言われる。ただ、乱暴に舞っているように見えてもいけないところが難しい。
    • 「高砂」の後シテの装束は最重量級、それで神舞を全力全速で舞った後に長い謡が待っているというのは非常につらい、という話で盛り上がった後、金春流では「高砂」、観世流「淡路〈太鼓急ノ舞〉」、喜多流「絵馬〈太鼓急ノ舞〉」では囃子方はいくら速くしてもよいとされており、「絵馬」で囃子方が崩壊したことがあって、そのとき一番偉い鼓の先生(亀井○雄師のこと?)が「これは(真行草の)「草」の神舞だから」と煙に巻いたという話が披露されました。
  • キリ
    • これは四人一斉に舞って見せてくれましたが、これも足拍子を踏む位置や前に出るタイミング、方向などが全然違いました。これほど違うものか、と驚いたのは見ている側ばかりではなく、舞台上の四人も同様だった様子です。

休憩を挟んで、恒例の謡い継ぎは〔宝〕上歌→〔春〕初同→〔観〕待謡→〔喜〕キリの順。いずれ劣らぬ深い声音の謡に、前半の軽妙なトークでの声と全く異なることに毎度のことながら驚きつつ、聴き惚れました。照明を落として暗くした会場内に響き通る謡を聴きながら、久しく観ていない「高砂」をまた観てみたいと強く思ったのは、もちろんのことです。それもできれば、「舞序破急之伝」又は「八段之舞」の小書つきで。

この日の国立能楽堂大講義室は満員御礼で、6月12日には予約で一杯になってしまっていたとのこと。そのことで国立能楽堂のスタッフにも驚かれたそうですが、これだけの集客力を発揮できるのも、四人の若手能楽師の確かな力量と、それぞれの個性の相乗作用の面白さとの賜物に違いありません。

この日、遅い夕食を国立能楽堂近くの食事処「みろく庵」でとったあと、外に出たところで振り返ってふと見ると、店に入ったすぐのテーブルで講師陣が和やかに打上げをしていました。現在40歳前後の彼らは、これから少なくとも30年間は一線の舞台に立って向上し続ける芸を見せてくれるはず。今後ますますの活躍が楽しみです。