後厄
今年の夏頃から山行のたびに右下腹部が痛むことが時々あって「盲腸(虫垂炎)か?しかし歩くときだけ痛いというのはどういうことだ?」と不思議に思っていたのですが、9月6日の釜川右俣ヤド沢の沢登りを終えて痛みを我慢しながら下山した翌日、それまでだったら一晩たてば何事もなくなっていた下腹部の痛みが続いており、さらに見下ろしてみるとはっきり膨らんでいます。事ここに至って、自分にもこの痛みの正体がはっきりわかりました。鼠径ヘルニアです。「ヘルニア」というのは「はみ出している状態」をさす言葉らしく、ここでは右足の付け根(鼠蹊部)から内臓脂肪や内臓が飛び出してきている状態。これはいかんと病院で診てもらうことにしました。
以下、その顛末を振り返ります。
2020/09/08
午前中仕事を休んで(といってもテレワークですが)3年前に血管腫摘摘出手術をしてもらった恵比寿の厚生中央病院で診てもらったところ、こんな図を書いてわかりやすく説明してくれました。
こうなってしまうと外科的に手術するしか治療法はなく、手術日はしばらく間をおいた10月9日に設定されました。それまでの間、なるべく腹圧が上がらないように気をつけて過ごすことを求められて病院を後にしたのですが、こうなってみて初めて気づくのは、どんな動作をするにせよ腹筋にまったく力を入れないというのは意外に難しいということです。もちろん登山などは持ってのほか。手術までのほぼ1カ月と、さらに手術後傷口が塞がるまでの間、まともに身体を動かすこともできないのか……と暗い気持ちになりながら、9月と10月に予定していた山行のパートナーたちに事情を説明するメッセージを送るのが、帰宅してからの最初の仕事になりました。
身体を動かさないのなら、せめて摂取カロリーを抑えようと久しぶりにファットバーニングスープを作って一日一食はローカロリー化に励み、時折やってくる痛みをこらえながら10月の到来を待ちました。おかげで体重はほとんど増えることがなかったのですが、運動しない時期の体重維持〜低下はむしろ筋肉が落ちてゆくことによるものですので、決して喜ばしいことではありません。この間のせめてもの慰めといえば、9月中旬から10月上旬にかけては週末に雨が降ることが多かったことです。
2020/10/05
入院前検査のために通院し、再度の血液検査(コロナ抗体検査陰性)と共に、麻酔科の先生から全身麻酔に伴うリスク事象についての詳細な説明を受けました。その説明によると、新型コロナウイルスに感染している場合、全身麻酔に伴い重症化する確率がぐっと高まるのだそうです。「なのでくれぐれも人混みなどは避けるようにしてください」と言われましたが、どうせ飲み会もないし通勤もないので多分大丈夫。
2020/10/08
いよいよ入院です。
またまた手書きの説明で手術の手筈をいろいろと説明していただきましたが、説明の主眼はやはり手術にまつわるリスクについての事前告知だったような気がします。ところでこの手書きの資料ではどういう手術かわかりにくいと思うので、最初に診察してもらったときに渡された「そけいヘルニア手術をうける前に」という冊子から図を引用してみます。
このようにかつては外から出口を塞ぐやり方だったそうですが、今はお腹に3カ所穴を開けて腹腔鏡を入れ内側からメッシュを当てる方法が採用されているのだそう。
実物も見せてもらいましたが、思ったよりも大きいメッシュで少し驚きました。ひゃー、こんなのが体内に残置されるのか……という感じですが、今さらじたばたしても始まりません。
2020/10/09
手術当日。起き抜けに看護師さんが病室に来てくれて「おへそを綺麗にしましょう」と腹を見てくれたのですが、幸い「あら、全然きれい」というリアクションでした。その後シャワーを浴びてから点滴がつながれ、10時に病室入り。ここまでは自分の足で歩いて動きます。そして手術台の上に乗って仰向けになると、心臓の動きをモニタリングするための電極が取り付けられ、麻酔中に働かなくなる足の筋肉ポンプの代わりに機械的に足をマッサージしてエコノミークラス症候群を防いでくれるフットポンプ(間歇的空気圧迫装置)が装着され、そして酸素マスクが取り付けられて……。
「○○さーん、手術終わりましたよ」
……って先生、いつの間に手術したんですか!全身麻酔では寝ている間に終わってしまうと人から聞かされていて、それは当たり前だろうとは思っていたのですが、実際に自分が経験してみると本当にいつの間にかという感じで驚きです。目を覚ましたのは12時5分で、その後、これまたいつの間にか手術台から移されていたベッドごと病室に戻って、この日はそのまま一日おとなしく過ごすだけ。
傷の痛みはほとんどなく、尿道カテーテルが時折ちくちくするのが気になる程度ですが、こちらも最初のうち感じていた違和感が徐々に薄らいで問題ありません。あとは寝続けていることによる腰の痛みと退屈さとに耐えるだけの時間がじわじわと過ぎていきました。
2020/10/10
朝、点滴が外され、尿道カテーテルも抜かれて晴れて自由の身に。やれやれ、すっきりした。といってももう一日病院内で過ごさなければなりません。そのために本も持ち込んではありましたが、少々暗い照明の下で小さい活字を追うのも難儀なことで、結局楽しみと言えば食事くらいのものです。
朝:607kcal、昼:515kcal、夜:516kcal、一食460円也。消化器そのものには支障がないので普通に何でも食べられるのはありがたいことです。かたや同室の方々はそれぞれ病名が異なり、抗がん剤の影響で食事が喉を通らない様子の方もいましたが、そうした方々とわずかの日数を身近に過ごすうちにも、そうした状態が決して他人事ではない、いつ自分が同じようになっても不思議ではないと思うようになっていきました。これは気の滅入ることではありますが、将来に向けた漠然とした覚悟のようなものが備わったと考えることもできそうです。
2020/10/11
朝食をとり、医師の回診を受けたら御役御免。無事に退院です。この週末は台風の来襲が懸念されていたのですが、台風は進路を南へと変えてくれていました。久しぶりに見上げる空の青さが目に染みる。
この入院期間中にかかった経費は総額16万円弱ですが、その全額を生命保険で賄うことができました。備えあれば憂いなしです。
2020/10/18
退院して1週間がたち、そろそろ少し身体を動かしてみるかと向かった先は既報の通り目黒富士です。
その帰宅後に、クライミング仲間で練達の看護師でもあるあゆみさんにアドバイスを求めて、手術以来ずっと傷口を覆っていた「バンドエイドのしっかりしたやつ」を剥がしました(写真は自粛)。事前に医師から説明を受けていたとおり、へそとその左右の合わせて3カ所にそれぞれ1cm未満の痕が赤紫の線状に残っていましたが、いずれもしっかりくっついています。これでまた一歩、平時の状態に近づきました。
以後もそろりそろりと様子を見ながら行動半径を広げていきました。上述の冊子の説明によれば、座っての仕事は退院後すぐにOK、1週間たてば「ゴルフなどの運動」も大丈夫。そして3週間後には「力仕事」もできると書かれています。
登山は「ゴルフなどの運動」に入るのか?それとも「力仕事」にカテゴライズされるのか?というのは悩ましい設問ですが、ともあれこの冊子は3週間が過ぎ、症状がなければ、日常生活そして社会生活に復帰可能です
と締めくくっているので、10月いっぱいはおとなしく暮らすことにしました。
2020/10/27
そして今日が最後の診察。手術痕はまだ残っており右鼠蹊部の違和感も続いているものの、いったんこれで無罪放免です。気になる点が生じたらまた来てください、ということになりました。かくして、この2カ月間続いていた鼠径ヘルニア対応がひと段落しました。
それにしても、この1年間本当にいろいろなことがありました。昨秋の腱板部分断裂による右肩の痛みと可動域制限は落ち着くまでほぼ9カ月かかり、その前からの脊柱管狭窄症の症状も冬に悪化して毎週整体通い。さらにコロナで山にも行けなくなった時期に急にジョギングを始めたせいで左足を傷めてしまい、夏の間の沢登りやクライミングは実は痛みをこらえながらとなってしまっていました。こちらは上記の手術が終わったあとに整形外科に通ってレントゲンで見てもらった結果、骨には異常がないので腱が炎症を起こしているのでしょうという見立てになり、ヒールサポーターと温湿布を処方されたのですが、足を締め付けるクライミングシューズには相変わらず気をつかう状態です。
そして極め付けがこの鼠径ヘルニアですが、考えてみると私にとっては去年は本厄、今年は後厄。これ以上ひどい目に合うことがないよう、今年の残り2カ月は筋力回復のためのトレーニングに力点をおき、チャレンジングな登攀は年が明けるまでは控えるつもりです。