黒塚

2022/07/13

この日は金春流能楽師・中村昌弘師の企画による「流儀横断講座『黒塚』(『安達原』)」。前回の『小鍛冶』と同じく五流揃っての講座となりました。そして今回は講師陣(金春流:中村師、 観世流:武田宗典師、宝生流:高橋憲正師、金剛流:宇髙竜成師、喜多流:大島輝久師)が全員国立能楽堂に集合し、受講者は会場でのリアル参加とオンライン参加のハイブリッドで、私はZOOM参加を選択しました。

最初に司会進行の中村師による「黒塚」のあらすじ解説があり、その後に真っ先に確認されたのは曲名で、観世流だけが「安達原」で他流では「黒塚」です。しかし自分は能楽堂では長山禮三郎師のシテによる「安達原」でしか観たことがなく、その代わり歌舞伎で市川猿之助丈(現・猿翁丈)の「黒塚」を観ているという具合。その後、いくつかのテーマを設定して五流の比較が行われました。

  • 小書
    • 〔春〕《白頭》《雷鳴ノ出》。後者は白頭に加えて後シテの出が変わるそう。
    • 〔観〕《黒頭》《白頭》《急進之出》《長絲之伝》。ただし後二者は単体ではつかない小書だそう。私が観た「安達原」は《黒頭・急進之出》で、後シテが一度三ノ松まで出てから揚幕の奥に下がった後に走り出てくるというものでした。また《長絲之伝》では前シテが枠桛輪を使う場面で次第からロンギに至るまでずっと巻き続けるそう。
    • 〔宝〕高橋師曰く「地味で有名な宝生流」は《白頭》のみで、白くなって鬼らしさを強調し、出の囃子も変わり、戻るときもばーっと戻るとのこと。
    • 〔剛〕《白頭》《黒頭》《赤頭》《糸車》。
    • 〔喜〕《替装束》《白頭》。前者は後シテの姿が「道成寺」などと同じになるが、大島師自身は観たことがないそう。
  • 前シテの姿(通常演出の場合)
    • 〔春〕面は曲見、装束は紅無唐織で内に白い箔を着込む。
    • 〔観〕面は深井を使うことが多い。唐織の下には紺色の無地熨斗目を着用。
    • 〔宝〕観世流と同様。装束の柄は貧相さを出すために縞。
    • 〔剛〕観世流と同様。秋の曲なので秋草をあしらう唐織を用いることが多い。
    • 〔喜〕豪華な唐織にしないというのが習い。
  • 前シテの姿(小書が付いた場合)
    • 〔春〕水衣を着用し、面もより老年寄りにする場合がある。
    • 〔観〕水衣を着用。面は痩女を用いて人生に疲れている様子を示す。
    • 〔宝〕装束は常と変わらないが、作リ物に屋根(藁屋)、ススキが付く。
    • 〔剛〕縷水衣を着用し、唐織も地味(写真では女郎花の柄)になる。鬘には白髪が混じる。
    • 〔喜〕装束は常と変わらないが、水衣を着て面を痩女にする場合もあり、これは個人の工夫の範囲内なのかもしれない。
  • 枠桛輪
    • この講座の名物である道具作り実演コーナー。今回は国立能楽堂の備品らしい枠桛輪(箱には「枠枷輪」と書かれていた)を武田師がマニュアル片手に試行錯誤しながら組み立てましたが、取り付けたパーツ(糸を巻き取る糸車(桛輪?))の向きが逆だったりとあたふた。
    • 金春流では、糸を巻いてある枠のパーツと巻き取る糸車のパーツがバーによって一直線に連結されており、かつ枠のシテから見て遠い方から糸を出す(ただし家元と櫻間家とで異なる)。他流では枠の方を遠く、糸車を近くと前後をずらして置くが、両者の間隔は金剛流・喜多流が広め。さらに喜多流ではかつて糸車を回転させるための棒を差してあり、巻き終わってからからと落ちる音も風情があったそう。
    • 枠枷輪を置く位置も、流儀によって作リ物からまっすぐの位置にする〔喜〕か目付柱に寄せる〔観・剛〕かの違いあり。
    • 糸車は右手で回すため、右手を使いやすいように右膝を突く(下掛では下居の際に左膝を突くが、その例外)。また面を曇らせ過ぎないようにして糸を巻くが、そのために実際にはほとんど糸が見えていない状態で巻いているので、時にトラブルが生じることもあるそう。
    • この実演コーナーでは、糸を繰っている者は両手がふさがるため他の演者が左右からマイクを突き出していて、まるで記者会見をしているよう。大島師からマイクで迫られた高橋師は思わず「やりにくいわ!」。
  • 後シテの姿(常)
    • 〔春〕赤頭に法被と紅入の半切、面は般若。他流の面々から、通常赤頭というのも珍しいし、顔は女、胴体は男鬼という格好でおかしいではないか!と異議殺到。
    • 〔観〕前シテの鬘のまま般若面。下の着流腰巻、上の着付とも強い柄にし、女性の名残を残している。
    • 〔宝〕上衣は鱗文の銀の箔、下は腰巻。般若面を掛け、頭をぼこぼこの乱髪にする。
    • 〔剛〕銀の鱗箔の下に黒の丸紋尽の縫箔。襟は赤……というところで大島師から「おかしいよね」とツッコミあり。
    • 〔喜〕鱗の箔に腰巻(写真は立湧輪宝紋)で〔宝〕と同様の写真を映したが、これは大島師のこだわりだったようで、流儀としては赤頭・白頭がむしろ普通とのこと。
  • 後シテの姿(小書付)
    • 〔春〕白頭に法被を脱いで裳着胴とする場合もあれば唐織の右肩を脱ぐ場合もあり、後者は前場用とは別の唐織を着用する……と説明があり、大島師から「本来はおかしいですよね」。言われてみれば確かに。
    • 〔観〕黒頭に面にはおどろおどろしい「蛇じゃ」を用いる。白頭のときには金泥の「霊蛇」。装束は常と変わらない腰巻姿。
    • 〔宝〕ただ頭が白くなっただけ!……だが、写真に映っている平元結が巨大なことに驚きの声が上がる。
    • 〔剛〕白頭、鱗の箔に紅無の腰巻。ススキに髑髏という柄の腰巻をつけることもある。
    • 〔喜〕白頭なら他流と同じ。赤頭のときも箔に腰巻だが、女のつらさを表現するのに赤い頭はどうかという意見もあり、さらに男鬼の格好(顰・法被・半切)は公開の場ではしないというのが近年の傾向。
  • 負柴の背負い方
    • 〔春観〕は左が上、右が下(右手を使いやすいから?)、〔宝喜〕は逆(右手を上げる場面の前に柴を捨てるから)。〔剛〕は両方の例があるらしく「どっちやねん!」とツッコまれていました。
    • 柴を唐織で巻いたり(重い!)水衣で巻いたりするほか、金春流の《雷鳴ノ出》のときは抱き柴(?)と言って多めの柴を熨斗目に包み、怒って床に叩きつける型があるそう。
  • 打杖の振り方
    • 〔宝〕は構えたら右左と八の字を描いて終わり。
    • 〔春観〕は振り上げてから左右に薙ぎ払い、さらに正面に二回振り下ろす。この型を金春安明師に見てもらった中村師は「もっとねちっこくやれ」と言われて往生したそう。
    • 〔剛喜〕も振り上げ左右に払って二回振り下ろすという基本動作は同じだが、宇髙師がずっと左半身で杖を使っていたのに対し、大島師は振る動作ごとに向きを変える大きな体捌きを見せていた。
  • 鬼扇の柄
    • 〔春〕くっきり縁取りがしてある丸尽し中啓。ちなみに縁取りがしてない丸尽しだと天女が持つ扇。
    • 〔観〕一つ牡丹の鬼扇の写真を提供したものの、実は「安達原」では鬼扇ではなく負修羅扇を使うことが多い、と説明されて「えー!」と一同びっくり。
    • 〔宝〕雲に稲妻。紅入と紅無がある。稲妻のギザギザが現代アート風でかっこいい、と褒められ高橋師はまんざらでもない様子。
    • 〔剛〕鱗の地模様に一つ牡丹。
    • 〔喜〕負修羅も使うことはあるが、基本は飛び雲。武田師からの「いいデザインですね」には「ありがとうございます」、高橋師からの「いいデザインですね」には「宝生流には負けます」。
  • 謡本の表紙
    • 〔春〕紺地に銀の松。
    • 〔観〕観世千鳥。
    • 〔宝〕五雲紋。
    • 〔剛〕九曜紋。
    • 〔喜〕喜多霞?(「あすみ」と聞こえたが不明)を崩した模様。

ここまで進んだところで、各流の謡本の一部を画面に映し出し、実際に各講師が謡い聴かせて詞章の横についている節付の記号の解説を行うというユニークな試みがなされました。謡われたのは「真麻苧の絲を繰返し」以下シテの心情が情感をこめて謡われる場面と、閨の内を観られたシテが「如何にあれなる客僧、とまれとこそ」と激怒する場面。こうした記号の意味をきちんと学んだのはこれが初めてでしたが、各流儀少しずつ違いがあるとはいえ、金春流を筆頭に丹念に説明を受けていくとなんとなく読めてくるようになるから不思議です。

謡の中では、とりわけ武田師の前半の技巧的な旋律と後半の恐ろしいほどの気迫が素晴らしく、また高橋師の(というより宝生流の)高低差の広さが特徴的でしたが、大島師が「先生、質問があります」と手を挙げては他流の記号にイチャモン(記号の有無や位置が不親切だ、など)を付けて高橋師から「喜多流のように新しい流儀は親切なんですよ、古い流儀では謡本は参考程度で耳で聴いて覚えるものなんです」と反論され「失礼しましたー」、一方、喜多流の謡本に基づく解説で大島師が「わかりやすいですね」と自画自賛すると珍しく武田師から「後から記号を書き足したようにも見えます」。それにしても囃子方の人は全部の流儀の謡本を読めるのだろうか?という至極もっともな疑問も出ましたが、高橋師は「ほぼ観世流でやってるんじゃないの」と一刀両断でした。

最後に質疑応答コーナーとなりましたが、何人かが質問した中で印象に残ったのは「以前観た『黒塚』の舞台で枠桛輪が回らなくなるトラブルがあった。これはシテの責任なのか後見の責任なのか」というものでした。これはちょっと答えにくい質問だったらしく講師陣は顔を見合わせましたが、武田師から「(『安達原』ではなく)『黒塚』とおっしゃったので」と後押しされた高橋師・宇高師がそれぞれ状況を想像しながらの丁寧なコメントを返した後の、大島師の「何かあったときはすべてシテの責任だと心得ています」という説明がとりわけ強靭な回答でした。

実は前夜の山仲間との飲み会での話題のひとつは近年のいくつかのガイド付きクライミングでの事故の話で、その中にはクライアントの操作ミスによってガイドが墜落死亡したケースもあったらしいのですが、ガイドはクライアントが不測の行動を起こしうることを前提に安全管理をしなければならないので、たとえ直接の原因がクライアントの操作ミスであったとしても責任を負うべきはガイドだと言わないわけにはいかないだろうという結論に落ち着いていたのでした。ジャンルもシチュエーションもまったく異なる話ではありますが、大島師の話はプロとしてその場を主導する立場にある者に求められる覚悟のような部分で共通する内容だと思えたわけです。

ともあれ、これでこの日の講座は終了。また来年……あるかな?と中村師は若干引き気味のコメントを最後に残していましたが、そんなことを言わず来年もぜひお願いします。