塾長の備忘録

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私=juqchoの日常の雑感を不定期に綴る、個人的な備忘録。

鳥瞰

2023/11/30

この日は、小田原から箱根登山鉄道に乗って3駅目の入生田いりうだにある神奈川県立生命の星・地球博物館へ。いくつかの動機があってのことですが、さすがに自宅からここまでは2時間ほどもかかりました。

これが博物館の正面。思っていたよりもはるかに大きく立派な建物であることに驚きました。

着いたのがちょうどお昼どきだったので、まずは1階の「喫茶あーす」で軽く腹ごしらえをします。こちらの名物は恐竜カレーライスと地層パフェで、カレーの方はお子様向けの見た目にも関わらず食べてみると大人の舌にフィットするしっかりした味。ブルーはうずらの卵でした。かたや、パフェの「地層」はもしかすると地球の核とマントルを示しているのかもしれませんが、恐竜の種類が違うところに要注目です。

展示の方は、太陽系の始まりからスタートして徐々に地球が形をなし、そこに生命が生まれて進化していく様子を示す気宇壮大な内容です。ちょうど小学生の団体が見学に訪れていましたが、彼らにはシアノバクテリアが酸素を放出してストロマトライトが形成されて……とか、スーパーブルームが超大陸を分裂させて……といった話はちょっと敷居が高かったかもしれません。私の方もついていくのが精一杯の内容がいくつもあって、それよりは壁面に設けられた岩壁を登りたくなってうずうずしてしまいました。

それにしても、恐竜や古代ゾウの骨格標本も楽に収容できるこの空間の大きさはすごい。しかも展示は極めて体系的で、順路を歩いていくだけで自然に地球の歴史を追体験することができます。

1階から3階に上がると「神奈川の自然を考える」というコーナーがあって、私の好物である丹沢周辺の地質の話もちゃんとありました。

そして最後のコーナーは、人類が地球に及ぼす様々な負の影響(地球温暖化、海洋汚染、熱帯林の破壊……)について警鐘を鳴らす硬派な締めくくり方でした。こうした一連の構成を見ると、次々代を担う高校生くらいの子たちに深く心に刻んでほしい内容だったように思います。

さて、私の本当のお目当ては恐竜カレーライスや地層パフェだけではなくて、ミニ企画展示コーナーに展示されている「『神奈川県鳥瞰図』から読み取れるもの」で丹沢をどのように掘り下げているかという点でした。この「神奈川県鳥瞰図」は吉田初三郎が1932年に作成したもの(原画は神奈川県立歴史博物館(横浜))で、昭和初期の神奈川県の様子が手に取るようにわかります。1932年と言えば関東大震災から9年後。復興なった神奈川県の様子をアピールして外国人観光客を誘致すべく、神奈川県観光連合会の委嘱により制作されたのだそうです。そのためか、全体は純和風に作られているもののところどころに「YOKOHAMA」とか「KAMAKURA」「HAKONE」といったローマ字の地名が入っていました。

実は個人的にも吉田初三郎の鳥瞰図集を持っているのですが、そのいずれの図にも特徴的なのが抱腹絶倒なまでのデフォルメです。たとえば上の図は箱根から伊豆あたりを仔細に描いていますが、ふと気づくと中央一番奥の最遠部の地名は「門司」「下関」。ただ、デフォルメされているとは言ってもそれぞれの相対的な位置関係はあくまで正確で、そこが吉田初三郎の腕の見せ所になっています。

こちらは富士山の前に丹沢、そして左寄りは小田原、右下は三浦半島。そして肝心の丹沢を見てみると「蛭ヶ嶽」「丹沢山」「大山」の名前がありましたが、残念ながら先日話題にした「塔ノ岳」は載っていませんでした。それでもこの大サイズで見ると丹沢の山々が実に雄大ですし、西丹沢ファンにとっては「中川温泉」や「箒杉」が描かれているのがうれしいところです。

さらに大山の阿夫利神社あたりを見ると、前年(1931年)に開業した大山ケーブルカー(当時は「大山鋼索鉄道」)が描かれています。この絵は描かれた時点の姿を正確に描いたものでは必ずしもなく、中には予想未来図(たとえば未開通の東海道線)も含まれているのですが、この絵の目的を考えればそれも頷けます。さらに未判明の名所が2カ所(「清水の峡嵐」「大口遊園地」)描かれていて、これらについては博物館としては「情報求む!」だそうです。

予想以上に充実した見学を終え、最後に宇宙空間から見た丹沢を描いたクリアファイルを買い求めてから博物館を出たのは15時半頃。遅くなってしまったのでそのまま帰ろうかとも思いましたが、やはり山登ラー兼史跡愛好家としては近くの石垣山城跡に登らないわけにはいきません。事前情報によればここから城跡までは登り50分とのことだったので、少し足早になって歩き出しました。

城跡まではおおむね舗装路が続きますが、ところどころにロータリークラブが設置した自然解説板が立っているほか、江戸城の石垣用石材を切り出した石丁場の跡、比企の里山でも見たスダジイ(常緑広葉樹)の巨木などの見どころがあって飽きません。

到着した石垣山城はもちろん、豊臣秀吉による小田原攻めの際の本陣で、小田原から見ると西の高いところに位置します。山の上にあるのだからさしたる規模ではないのだろうと思っていましたが、案内図の縄張りを見るとなかなかの規模であることに驚きました。この縄張りは肥前名護屋城に似ており、黒田官兵衛の関与が想定されるそうです。

しかもこの城は東国で初めての総石垣の城で、近江の穴太衆の高度な技術が持ち込まれたもの。昼夜分たぬ80日間の工期の末に完成すると共に周囲の樹木を伐採して姿を現したことから「一夜城」の伝説を作っていますが、もちろん実際には築城の様子は北条方からも逐一確認されていただろうと案内板に書かれていました。

城跡はよく整備されていて、一段高いところに上がると二の丸跡の広場があり、少し進んだ先から右下に下ったところにある井戸曲輪跡をまずは訪ねてみました。

写真ではなかなか伝わりませんが、この井戸曲輪跡の石垣は実に見事です。沢筋を石塁で塞いでそのまま井戸としたということで、「淀君化粧井戸」とも呼ばれています。

本丸に上がって展望台(工事中)近くから小田原方面を見下ろすと、天守閣こそ見えなかったものの小田原城址公園のものと思われる森が見えており、さらに相模湾から三浦半島までも一望の下でした。

本丸の奥には一段と高く盛り上がった場所があり、これがかつての天守台ですが、残念ながらその石垣は関東大震災によって崩れてしまったそうです。そのてっぺんを石垣山城跡探訪のゴールとし、下り際に西曲輪や南曲輪にも足跡を残してから、日没と競うようにしてJR早川駅を目指しました。