挑戦

2024/03/26

一般社団法人アルパインクライミング推進協議会が主催するトークセッション『Pholesobi(6652m)北壁への挑戦』に参加してきました。正直に言えば、ピオレドールの対象になりそうなほど先鋭的なアルパインクライミングは私の目指すフィールドではまったくない(なにしろ私が標榜しているのは「癒し系バリエーション」ですから)のですが、Facebook上でこのイベントの情報がシェアされたときには集客が思わしくないという話だったので、それならせっかくのイベントの賑わい感に貢献しようという程度のユルい動機で参加を申し込みました。

ところが蓋を開けてみると、会場となった新宿の貸会議室には大勢の人が駆けつけており、用意された座席はほぼ埋まったように見えました。なんだなんだ、話が違うじゃないかとは思ったものの、どんなスタイルであれ山の話は聞いていて楽しいもの。終わってみれば自分の山に取り組む意識も高められて、とても意義ある2時間半でした。

肝心のセッションの内容は、昨年11月にネパールヒマラヤの怪峰ジャヌー(7710m)の近くにあるPholesobi(6652m)の北壁にアルパインスタイルで挑んだものの完登はならなかった種石英典・山本大貴両氏が山行のあらましを解説すると共に両氏の今までのクライミング、そしてこれからの目標を説明するというもので、司会進行は協議会会長の菊地敏之氏。さらに副会長の横山勝丘氏(想像していたよりずっとスリムだったことにびっくり)がコメンテーター的な役割を果たしました。用意されたスライドは24枚に及び、登攀中の様子も含む貴重な写真が目白押しでしたが、ここでは配布資料のうち最初の1ページ(スライド4枚)だけを掲載しておきます。

この遠征はアフターモンスーンを狙い、10月9日にカトマンドゥに入って10月11日から15日まで5日間のキャラバンの後、同月18日から22日までを高度順化、続く25日から27日までをABCの建設と荷上げにあて、11月2日からいよいよ北壁の登攀を開始したのですが、荷上げ期間中に山本氏が体調を崩していたため、登攀5日目の11月6日に標高6150mのトラバース区間に入るところで撤退を決意したという経過を辿りました。しかしこの山行を通じて、壁の中で睡眠をとるための装備や行程中の休養の取り方など反省材料と共に、高度順応には成功していたという確信も得た二人は、今年の秋に再度Pholesobi北壁にアタックする計画だそうです。

完登できなかったとは言え意欲的な登攀に挑んだ二人のプロフィールを聞くと、かたや種石氏が社会人2年目に登山装備もないままに富士山に登って山登りの面白さに開眼し、そこから急ピッチで冬山まで取り組むようになった後に労山の講習会でロープワークを覚えてついにはヨーロッパアルプスやアラスカにフィールドを広げたと言えば、山本氏の方はテレビで見た小山田大氏に憧れて大学の山岳部の門を叩いた(ここで会場から笑い)ところ、部の先輩である中島健郎氏に引っ張られるかたちで剱岳からネパールの6000m峰まで登るようになったと語っており、これだけ聞けばガチガチの山屋の履歴ですが、実は二人ともヨセミテのビッグウォールを登っている上にスポートルートでは5.14台をRPしているテクニカルクライマーでもあります。

これら一連の説明の途中及び説明終了後に質疑応答となったのですが、そこでのやりとりのいくつかを覚えている範囲内(順不同)で紹介してみます。

Pholesobi北壁を選んだ理由
いくつか候補をあげて検討したが、Pholesobiが未踏峰であること、技術的困難を伴うものであること、南壁と異なり日照により生じる落石等のリスクが少ないことがポイント。北壁の中でも3ルートを検討したが、現代のクライミングでは「墜ちて死ぬ」ということはないので、むしろ懸垂氷河やセラックなど自然環境に起因するリスクを避けることを重視した。
7000mや8000mを目指さないのか?
6-7週間の休暇の中で登れる対象となると、必然的に6000mになる。
〔横山氏補足〕7000m以上になると技術的困難以外に克服すべき要素が増えてくることも見逃せない。それだけに昨年実践されたアメリカ人によるジャヌー北壁のアルパインスタイル初登攀(『ROCK & SNOW 103』に記事あり)は衝撃的。
登攀システム
9.1mmシングルロープと5.5mmバックロープを引いて全ピッチスタカット。前半2日は山本氏がリードし、後半は種石氏がリードした。セカンドはユマールだが、山本氏の体調が悪化してリードより遅くなってきたので、最後はセカンドも空身で上がって荷物は別に引き上げた。
〔横山氏助言〕荷上げは荷上げと割り切ってホールバッグを使うのもありでは?
退却方法
基本的にV字スレッド、ところによりハーケン残置。仮に登頂できていても同ルート下降の予定だった。
普段のトレーニング
〔種石氏〕冬は(奥様から許可を得て)毎週末に山に入っているが、それ以外はジムとトレラン。
〔山本氏〕60kg弱を背負って会社の階段を1時間往復。もちろんボルダリングジムも。

……とまあこんな感じでしたが、実はこの後に延々と続いたやりとりが「フリークライミングとアルパインクライミングは両立するか?」という命題でした。これに対する二人の回答を要約すれば、二人がクライミングを始めたときには彼らの一世代上の横山勝丘氏、佐藤裕介氏などオールラウンドのクライマーが手本だったのでシームレスに取り組むのは自然なことだったということになりますし、当の横山氏自身も「やりたいときにやりたいことにフォーカスすればいい」と助け舟を出した上で、二人の今後にはフリーとアルパインの両方の技術を必要とする目標設定を期待したいと発言したのですが、司会の菊地氏は終了予定時刻を大幅に超過しても同趣旨の質問を繰り返し、最後にレジェンド坂下直枝氏から「教えろ教えろと言っているが、二人が立てた目標とそこに向けて実践した事柄が説明されているのだから、答は既に出ているではないか」と言われて鉾を収める一幕がありました。

菊地氏のこのこだわりは、たぶんフリーとアルパインの両立を果たせていないであろう参加者の多くにこの機会に何かを持ち帰ってもらいたいという使命感の表れだったのだろうとは思うのですが、共に1986年生まれで爽やかな青年然とした種石・山本両氏の雰囲気はそうした悩みごとや悲壮感とは無縁で、ヒマラヤでの命を削るような登攀は(40歳を超える)あと数年で切り上げ、その後はパタゴニアなどフリー主体の登攀に目標を変えていきたいとあっけらかんとしています。無縁と言えばさらに、二人の経歴には山岳会などの組織の枠組みといったものが感じられず、実践を重ねながら自律的に自分のスキルとキャリアを高めていく中で、そのときどきに目標を共有できるパートナーを好きに選び取る自由さが窺えたことも印象的でした。

そして、モチベーションを途切れさせないように常に次の目標を持つようにし、一つの山行を終えたら直ちにスイッチを切り替えて「次」に向けたトレーニングに取り組んでいるという話を聞くと、二人とも心の底から山が、そしてそこでのクライミングが好きなのだろうと思いましたが、一方、上記の通り種石氏は奥様の許可条件に従い週末山行を冬に限定しており、山本氏も結婚と育児のために大学卒業後の数年間の山行歴をブランクにしていたという経歴を持つことからすると、どうやら二人はフリーとアルパインだけでなく、良きクライマーであることと良き家庭人であることをも両立させているようです。

そんな彼らの、今秋のPholesobi北壁再挑戦を応援したいと思います。