五流

2024/04/23

矢来能楽堂で、能楽五流(観世・金春・宝生・金剛・喜多)の能楽師が一堂に介してのワークショップ「五流の愉しみ」を聴講しました。

あてがわれた座席が脇正面最前列左端という舞台への近さに驚いているうちに定刻(16時)になり、切戸口から舞台に上がったのはすべて1972-73年生まれの中堅能楽師である以下の五人です。

  • 観世流:清水義也師
  • 金春流:山井綱雄師
  • 宝生流:小倉健太郎師
  • 金剛流:豊嶋晃嗣師
  • 喜多流:佐々木多門師

流儀横断でのワークショップというと、金春流の中村昌弘師が数年前から手掛けてきている「流儀横断講座」が思い浮かびますが、そちらがたとえば昨年の「海人」のように一つの演目を取り上げて深掘りするコンセプトで回を重ねてきているのに対し、こちらは皮切りのトークを担当した豊嶋師がジョーク混じりに「まだ方針が決まっていない見切り発車の会なので優しく見守ってほしい」と挨拶したように手探りでの第一回だったようです。

ともあれざっとこの日の流れを再現すると、次のようでした(あくまで私の理解です)。

  • 五人連吟「四海波」
    • のっけからすごい音圧で圧倒されましたが、この会の企画意図の通り、確かに完全なユニゾンではなく、ところどころ節も違えば詞章も違うことがよくわかります。
  • オープニングトークとナビゲーター(舞台下)の登場
    • 豊嶋師による上記の通りの脱力系のトークに、他の四人は笑いをこらえるのに必死。そこをナビゲーターさんが拾ってくださるのかと思いきや、ナビゲーターさんの進行も微妙に肩の力が抜けていて、この会を親しみやすいものにしていました。
  • 流儀ごとの扇の違いの解説
    • 鎮扇の絵柄や形状の違いについてはネット上にいろいろ説明があるのでここでは繰り返しませんが、観世流の中でも宗家と梅若では規格が違い、金春流なら常の五星に加えて関西に多いという金春雲が紹介され、さらに手前に引くように開く流儀と前方へ押し開く流儀、袴に差す流儀と袴紐に差す流儀というように細かい違いが明かされていきました。
  • インタビュー:能楽師になった経緯 / もしシテ方でなかったら何になっていた?
    • 山井師:祖父が能楽師。自分も5歳で初舞台を踏み、小学校5年生で能楽師になると決意した。乱能で演じた狂言がウケたことがあるのでシテ方以外なら狂言方もいいが、ミュージシャンか役者になっていたかもしれない。
    • 佐々木師:中尊寺で代々能を奉納する家系に生まれたので、能楽師になっていなければ僧侶?
    • 清水師:曽祖父と祖父が能楽師で、祖父の勧めで10歳から本格的に取り組むように。旅行オタクなので能楽師にならなければツアコンをやっていただろう。
    • 豊嶋師:厳島神社で能楽を伝える家系で、祖父の願いで気がついたら能楽師になっていた。シテ方以外であっても一所懸命に勤めただろう(小学生のときの夢は「新幹線の運転手」だったけれど)。
    • 小倉師:祖父の兄が野口兼資師の素人弟子となったことを契機に祖父・父・自分と能の道へ。中学生の頃は能がいやで仕方なかったが、八百屋だコックだと言ったら父から辞めたければ辞めろと言われてかえって反発。高卒で宗家の書生になったところで観念した。
  • 仕舞「高砂」「屋島」「猩々」
    • 「高砂」は〔喜〕〔剛〕が同時に舞い〔観〕が謡います。この異流二人が舞台上で同時に舞うというのは非常に面白くて、確かにタイミングも所作も動線も違うことがはっきりわかりますが、やはり「舞金剛」と言われるだけあって〔剛〕の手数の多さが目立ちます。
    • 「屋島」は〔春〕〔宝〕が同時に舞い〔剛〕が謡います。やはり動線の違いが際立ち、あとで見所からの質疑応答の際に小倉師が語っていたように〔春〕は舞台全体を大きく使っていました(「事前の打合せでは舞台を半分ずつ使おうという話だったのに!」)が〔宝〕は型が「地味」。ところが太刀を抜く段になると、〔春〕は盾に見立てていた扇を閉じて刀とするのに対し〔宝〕では盾を構えたまま腰に差したもう一本の扇を太刀として、二本の扇でダイナミックな型を示していました。後で解説されたところでは〔観〕〔春〕は一本、〔宝〕〔剛〕〔喜〕は二本なのだそうです(が、当然これは仕舞での話)。
    • 「猩々」は〔観〕が舞い、他の四流が揃って地謡を勤めました。おそらく舞台上の五人は流儀間の違いを強く感じながら謡い舞っていただろうと思いますが、見所からはそれでも一体感を持った謡に乗ってスムーズに舞われていることに感心しつつ観ていました。
  • 謡「四海波」(一人ずつ)
    • 各流儀の謡い方の違いを聴き取らせようというのがこのパートの趣旨だっただろうと思うものの、それよりも五人の能楽師が流儀の違いを越えてそれぞれに力強い謡を聴かせてくれたことにただただ感服してしまいました。
  • 謡の稽古「千秋楽」(見所が鸚鵡返し)
    • 佐々木師が説明役、小倉師が先導役となって、見所の参加者は宝生流の詞章を見ながら小倉師の一節ごとの謡を鸚鵡返しでなぞりました。こうして自分で声を出してみるとますます、本職の能楽師のあの力強い謡はいかなる鍛錬の賜物であろうかと感心しないわけにはいかなくなります。
  • インタビュー:能楽師になってよかったこと / モチベーションの源泉
    • 小倉師:正直つらいですね(見所から笑い)。お弟子さんからは「先生は毎日謡えてうらやましい」と言われるが、大変です。ただ、どうすればよりよい声を出せるようになるかということはいつも考えていて、それがモチベーションと言えば言えるかもしれない。
    • 山井師:自分が「道成寺」を披くことになったとき、最初に師事した恩師・金春信高先生のところへご挨拶に伺ったら、当時既に高齢で認知面の症状があった信高師が急に目に生気を宿して「いくつになった?」「がんばれ、応援しているよ」とおっしゃった。その後、大奥様に「俺が綱雄の『道成寺』の後見をしなくちゃならん。裃を出せ」と言い張ったという話もお聞きした。この恩師の言葉が自分の生きるモチベーションになっている(見所から大きな拍手)。
    • 佐々木師:中尊寺の白山神社には能舞台があって、自分が高校生の頃に野村萬斎さんから「多門くんはこの舞台のために生まれてきたようなものだねぇ」(←萬斎師の口調を真似て客席大ウケ)と言われ、そのときはむっとした。しかし今にして思えば確かに、この舞台を護持するために自分があると思えるし、そういう立場になっていかなければならないという気持ちがモチベーションになっている。
    • 豊嶋師:能の稽古は(孤独な)暗記。電車の中でぶつぶつ言っているのがいればそれは能楽師だ。そして日本各地で行われる能の公演は現地集合が常だが、どこからともなく集まってきたおじさんたちが舞台上でぶつかり合って不思議とひとつの舞台を作り上げていく。そうやっていい舞台ができたときは、能はいいものだなと実感する。
    • 清水師:私は先輩方から能フリークと言われるほど能が好き。能は演劇ではなく神仏に近い芸能であり、それを皆さんに伝えていきたい。いい舞台だったかどうかは皆さんの判断に委ね、自分の役割は決められてきたことをきちんとやって、それを次の世代に伝承していくことにある。
    • 再び小倉師:あの〜、最初にしゃべらされるのって不利ですね(見所から笑い)。いろいろ言いましたけど私だって能は好きですよ。私も一所懸命がんばります(一番大きな拍手)。
  • 見所との質疑応答
    • 扇は演目によって違うものですか?
      • 今日使った鎮扇は仕舞用だが、能で使う扇(中啓)は非常に多くの種類があり、演目・役柄などによって使い分ける。
    • 他流と一緒に演じてみてこれは違うと思ったポイントは?
      • 豊嶋師:「四海波」を聞くと流儀ごとにテンポが違う。我々は色をつけずにすきっと謡えと教わるが、それぞれ求める景色が違うのだなと思った。
      • 佐々木師:一緒に舞った〔剛〕の舞の手数、「謡宝生」の謡の味わい、古様を伝える〔春〕の下掛リならではの強さ、きっちりはっきりパワーを出す〔観〕とそれぞれにいいと思いながら、やはりうちの流儀が一番いいなあと思った。
    • この曲は他流に負けないという曲はありますか?
      • 佐々木師:(曲名を挙げることを控えつつ)〔喜〕は江戸時代にできた流儀なので、からっと竹を割ったように力強く演じる中におのずと精神的な膨らみが加わる流儀だと思う。
      • 豊嶋氏:〔剛〕は「舞金剛」と言われるほど舞の手が多く、演目で言えば「船弁慶」の後半などでの写実的な所作が特徴。「土蜘蛛」の千筋の糸を開発したのも金剛流だと言われている。
      • 小倉師:〔宝〕は逆に写実的な型を消して謡を主体とする点が特徴。このため他流と比べるとどうしても地味になってしまうが、しかしあたかも彫刻を見るような感覚で、黙って立っている姿で見る者を引きつけられるかどうか、そういう中身の部分を大事にしている。前面に押し出して圧倒するのではなく、秘めたものに薄衣をかけたような光り方が出る舞台を作りたい。
      • 山井師:〔春〕は秦河勝以来の古い流儀なので、やはり大事にしているのは「翁」。能の源流として「大きく大きく」が流是だと教わる。
      • 清水師:〔観〕は現行曲の曲目が一番多い。中でも他流に比べ多いのは脇能であり、これを強く華やかにきっちりと演じて祝言性を伝えようとする。
    • 発声のトレーニングってするんですか?
      • ほぼ共通:特にこれというボイストレーニングはしません。
      • 小倉師:師匠から稽古をつけてもらうときに謡の発声の仕方を意識して稽古する。また、座った姿勢で真上を向いて謡うと腹からでないと謡えない。そういうトレーニングはします。
      • 佐々木師:「美声に名人なし」という言葉もある。声は持って生まれるものではなく目標を持って作っていくものであり、それは師匠の声を真似ていくことから始まる。
  • 附祝言「千秋楽」(見所も一緒に)

おおよそこのような流れで、気がつけば2時間があっという間でした。どのパートをとっても興味深く、そして能楽師の皆さんのユーモアをたたえながらも真摯な人間性が出ていて引き込まれたのですが、この日の舞台上から伝わってきたものの中でとりわけ心に残ったのは、最後の見所との質疑応答の中で宝生流の小倉健太郎師が語っていた「彫刻論」でした。もしかするとこの説明を聞いたことによって、自分の今後の能の見方が変わるかもしれません。

附祝言を一緒に謡って晴々とした参加者たちは、能楽堂を出たところでお土産のせんべいと今後の公演チラシとをもらい、次回のワークショップへの期待を胸にそれぞれ帰路につきました。皆さんがこの日のワークショップに満足した様子であることは例外なく朗らかな表情を見れば明らかですが、中にはこんな会話も聞こえてきました。

「面白かった!」「お能を観るよりよかったわね」

いや、それでは出演者も困ると思うのですが……。