在在

6月10日に映画『東京フィクション』を観てその翌日の夕方、この映画に登場する「カリカリスパイス」でカレーをいただきかたがた、他に客がいないことをいいことに店主のミナミさんと『東京フィクション』の感想を披露しあっていたのですが、その途中でやってきたお客さんが話題に出したのが「カリカリスパイス」にもフライヤーを置いてあった自主映画『在りのままで咲け』(以下『咲け』)と『在りのままで進め』(以下『進め』)でした。

そのお客さんの熱心な推しにほだされて「行きます」と宣言したものの、正直なところ、その時点では映画の内容もよくわかっていない上に主演の水村美咲さんの名前も知らなかったので、どこまで期待していいものかは未知数でした。それでも何かに背中を押されるような気がしたのは、タイトルの「咲け」「進め」という命令形のインパクトが私の好きな犀の角のようにただ独り歩めという言葉を連想させて印象的だったからかもしれません。

2024/06/13

というわけでこの日の夜に訪れたのは、インディーズ映画の聖地として知られる池袋シネマ・ロサ。池袋駅から徒歩5分ほどのこじんまりとした映画館で、私はこれが初めての訪問です。

まずは短編『咲け』(約30分)から。あらかじめ公式サイトで予習した作品のあらすじは次のとおりでした。

在りのままで咲け

子どもの頃から芝居を続けてきた主人公・由紀子(30)は、4歳の愛娘・愛奈を抱えながらも夢を諦めずにいる。
ある時、由紀子に大きなチャンスが舞い込んでくる。だが、”女優”という仕事に理解のない夫・裕典に「もう夢見てる歳じゃない」「そういうのはずっとやることじゃない」等と言われ、愛奈を抱いて家を飛び出す由紀子。
子どもをもつ母親は夢を持ってはいけないのだろうか。そんな由紀子を救ってくれたものは……?

妻であり母である女性が周囲の理解を得られず自分の理想と家庭責任(特に育児)との両立に悩む、というのはかなり普遍的なテーマではありますが、この映画の中では夫(サトウトモユキ)が自分は「ちゃんとした仕事」をしていると言い、義母(松田陽子さん)も面と向かって「女優ごっこ」はやめろと批判することで、主人公・由紀子(水村美咲さん)の追い求める夢が無理解にさらされていることが強調されます。否、夢どころかすでに制作の現場では由紀子が俳優としてきちんと評価されているにもかかわらず、夫と義母とは彼女の存在意義を家庭(もっと言えば物理的な「家」)の中でしか認めようとしないのですから、事態はますます深刻です。

おそらく少なからぬ観客が主人公に共感し、あるいは自分も身につまされるであろうこうした状況は、由紀子が家を飛び出した後に残された書き込みだらけの台本を見つけて妻の「演じること」に対する思い入れの深さに気づいた夫が、自分の母の反対を押し切ってテレビに映る主人公の姿を娘と共に見るというかたちで解消され、テレビの中の由紀子の立場も年齢も関係ない。心は歳をとらないって、私が証明するというポジティブなセリフに、家で台本を繰り返し音読する母を追ううちにこのセリフを暗記していた幼い娘が言葉を重ねてくれて、笑顔になった二人を夫が優しく見守るところでこの映画のストーリーは完結します。ところが、なぜかそこにその様子を撮るカメラが映り込んできて、この『咲け』の世界が唐突に劇中劇の体裁を得ることになります。これにはかなり驚くと共に、どうしてそういう作りにしたのだろうと疑問符が頭の中に渦巻いたのですが、その疑問は次の『進め』を観た後しばらくしてから解けることになりました。

スクリーンの方はそのまま休憩なく、主演三人の姿をモノクロームで映した短い映像を差し挟むだけで、フルサイズの『進め』(約90分)に移ります。

在りのままで進め

子育てをしながら女優を目指す京華。子育てと夢を両立させることの難しさを感じながらもなんとかしがみついて頑張っている。
結婚や出産を諦めてでも女優を続けるマコ。色んなものを犠牲にして頑張ってきたが、ふと一人でいることに寂しさを感じる時もある。
映画監督になる夢をもつ、助監督の美奈。女性監督として自分の作品を撮ることを目標に奮闘中。
そんな三人が引き寄せ合うようにして出会い、自分たちの力で新しい道を切り拓いていく。

作家性の強い映画作りで評価されてきた若い監督(遊屋慎太郎)が初めて外部からの資金を得て商業映画を撮ろうとする中での主演女優の最終選考というシチュエーションから始まり、本作の最初の、そして最大の見せどころとなるのが、この監督の前で行われる追加オーディションでの二人の女性俳優の演技の応酬です。その場で渡された1ページ半ほどのシナリオの内容は夫を事故で亡くした女性の独白で、3分間の猶予の後に監督はじめスタッフの前でこれを演じることを求められるのですが、かたやマコ(八木橋聡美さん)はシナリオを完璧に読み込んでその中に没入し、一方の京華(水村美咲さん)はシナリオを離れて感情を溢れさせるという対照的な演技を見せて、いずれも圧巻の一言。このわずか10分ほどの場面の迫力が、映画全体に揺るぎない説得力をもたらしていました。

ところが彼女たちの熱演も空しく、興行面での成功を期待される監督はプロデューサー(ジャン・裕一)からの圧力に屈して若いアイドル(飛香まいさん)を主役に迎えざるを得なくなり、これに強く反発した助監督の美奈(鄭玲美さん)はチームから離脱することになります。こうしてそれぞれに失意や失望を抱えた二人の俳優と元助監督の女性三人は、とある映画館[1]でたまたま再会して映画に対する思いを語り合ううちに意気投合し、美奈が持ち続けていた「自分の映画を撮る」という夢の実現に向けて力を合わせることに……というかたちで美奈のシナリオ作りを縦軸にし、三人の周辺の登場人物にも目配りしながら緩やかに終幕へと収束していきます。

『咲け』で見られた「家庭責任と夢との両立」というテーマはこの映画にも顔を出しており、京華は上述の追加オーディションに向かうとき発熱中の息子を夫(笈川健太)に託さざるを得ず、むずかる息子にはつい大声を出してしまったりもしています。しかし、夫が比較的協力的であることもあって前作と比べると切羽詰まった感じはせず、さらに終盤では所属事務所を辞めて自分のペースで仕事と向き合うことを選択するというように、主人公の側にも自分の生き方を状況に合わせて修正する柔軟さが窺えます。そういう意味では本作は前作とは少々テイストが異なり、監督やそのスタッフ、俳優のマネジメントサイドなども含め映像作品作りに関わるさまざまな人々が、それぞれに葛藤を抱えながらも前向きに生きていく姿を描くことに力点がある(家庭責任はその中の"one of")という風に受け止めました。

最後に、石を蹴りながら歩く息子に向かってなぜそんなに石が好きなのかと聞くとだって、おんなじ石ないからと言われた京華が、自分も石が好きかもしれない、どこへ行くかわからないからと目を潤ませながら息子と一緒に家路を急ぐその姿は希望と不安とが半々だったのかもしれませんが、それでもその情景にほのぼのとして気持ちよく映画を観終わることができました。ところが、エンドロールを眺めながら二つの作品を振り返ってみたときに、何か見落としていることがあるような気がしてなりません。『咲け』の方は劇中劇の体裁が違和感ありまくりでしたし、『進め』の方は元助監督がシナリオを書き終えたところまでしか進まないいささか中途半端な終わり方。これはどういうことだろうかと思いながらロビーに出ると、なんとそこに主演の水村美咲さんと八木橋聡美さん、監督の松本動氏がおられました。しかも買い求めたパンフレットを示すと快く表紙にサインしてくださいましたが、ふと横を見るとそこ水村美咲さんの息子役を演じた木下瑛太くんもお母さんと一緒にいて、彼のサインももらうことができました。大事にとっておくので、将来大俳優になってね。

この期に及んでもまだこの2作の関係を理解できていなかった私は、帰りの山手線の中でパンフレットを眺めているうちに、そこに掲載されている次の写真に目が釘付けになりました。これは『咲け』のラストの劇中劇撮影シーンですが、カメラの横に立っている女性は『進め』の元助監督だべした!←思わず東北弁が炸裂[2]

恥ずかしながらここでやっと、『咲け』は美奈の作品であるという設定であり、時系列で言うと『進め』は『咲け』の前日譚に当たるということに気づいたのでした。このどんでん返しのような構成にはびっくり仰天、やられた!という感じ。しかし、まだ若くて家庭責任と夢との葛藤を体験していないはずの美奈にこの脚本が書けるのか?という素朴な疑問も湧きましたが、これに対しては劇中で言及される彼女の母親の人生がそこに投影されているという回答が用意されていそうです。

2024/06/14

昨日帰宅した後にどうしても『咲け』のラストに映っているであろう美奈の姿を再確認したくなり、さらに『進め』の圧巻のオーディションシーンをもう一度観たかったので、この日もまた池袋シネマ・ロサに足を運びました。この映画館での本作の上映はこの日が最後です。

昨日は気が付かなかった神棚に手を合わせ……ではなくて在り在りコーナーを面白く拝見。『進め』はよほど33という数字に縁があるらしく、劇中に出てくるバーの名前は「33 Tokyo」ですし、マネージャー照井(鈴木浩文)がマコに贈るバースデーケーキに立てられたロウソクは33、そしてこの日は水村美咲さんのリアル33歳の誕生日。中央に置かれているケーキは松本動監督お手製だそうです。

このコーナーに置かれている書き込みだらけの台本を手にとって眺めていたら、当の水村美咲さんがやってきてスタンプラリーカードを渡してくれた上に、マコの友人役の内山由香莉さんからも手書きメッセージの入った飴袋をいただきました。ありがとうございます。

さて、大事なところは逃すまじとメモ帳片手にまずは『咲け』からの鑑賞ですが、最終盤にカメラが映り込んできて画面が「撮る側」の姿に切り替わった後に「カット!」の声を掛けたのは、確かに『進め』の元助監督・美奈でした。いや〜、これは昨日は気が付いていなかったな。しかも『咲け』の最後に帰宅する道すがらの母子の会話がハンバーグなら引き続く『進め』の冒頭も一家団欒のハンバーグだというトリックのせいで、無意識のうちに『咲け』→『進め』という順番で時系列が続いているものだと思い込んでしまっていました。

そして『進め』の追加オーディションは、この日観てもやっぱり強烈でした。

まず監督からこの役の人物像(夫に先立たれた妻)の再確認を受けて、マコはそうなったら自分も死にたいと思うだろうと述べた[3]のに対し京華はそれでも全力で生きる選択をすると述べ、それぞれの解釈で構わないと指示された上で渡された台本に書かれているシナリオは、唐突に受けたプロポーズの楽しい思い出→夫の事故死と深い喪失感→思い出を胸に生き続けることが果たして自分にできるだろうかという亡き夫への問い掛けです。マコがこれを完璧に演じきってそのまま夫の元へ旅立ってしまうのではないかとすら思わせたのに対し、京華の方は最初はシナリオ通りに語ろうとしたものの感情が入らず、すみませんと後ろを向いて呼吸を整えてから振り返ると何かが憑依した様子でアドリブを始めました。こうして語られたのは強引な夫への忌避感→夫の死にほっとする自分→時をおいていつも夫のことを考えている自分に気づく→悲しいはずなのに涙が出ない→監督の言葉を触媒にしてようやく溢れ出す涙→夫を愛していたことを確認し、この思いと共に生きていくと言い切る……というもので、最後の慟哭はもはや演技の域を超えています。

これを観ている自分は、左脳フル回転でメモをとりながら右脳で全力で感動していました。舞台俳優からはこれまで何度も心を揺さぶられてきていますが、スクリーン越しの演技でここまで感情移入させられるというのは、自分にとっては稀有な体験です[4]。それにしても、現実のオーディションでは本当にこうしたことが日々行われているのでしょうか?もしそうだとしたら、こうした演技を見ることも誰か一人に決めることも重すぎて、とても自分には役者選びなどできそうにありません。

このようにこの日観たかった場面二つを観たあとは安心してメモをとる手を止め、映画の続きを楽しんだのですが、再会した主役三人が坂道でいったん二方向に分かれようとしたものの美奈が京華とマコを呼び止めて同じ方向へ向かい直す場面で、ネット上の鑑賞者の意見の中にこの映画はここで終えた方が良かったのではないかというものがあったことを思い出しました。確かにこの後、ストーリーはさほど大きな起伏を迎えることなく穏やかに終わりを迎えることになるのですが、自分が見るところではやはりここで終えてしまっては余韻が乏しく、伸ばされた尺の中に照井(バースデーケーキ)と渋谷(クラウドファンディング)のエピソードと三浦の物語(映画作りの決意)を織り込んだことで話に厚みが出ていると思いました。そもそも一人の人生というのは大勢の他者の人生との関わりによって形づくられるものですし、ドラマチックな場面だけで構成されているものでもありませんから、この方が自然です。

上映終了後には舞台挨拶があり、松本動監督・主役三人(水村美咲さん / 八木橋聡美さん / 鄭玲美さん)・二人の夫(サトウトモユキ / 笈川健太)・マコの友人(内山由香莉さん)・三浦(岩永光祐)が壇上に立ちました。最初に本作の原案・企画・プロデュースを行った水村美咲さんから、まず女性の社会進出をテーマとする『咲け』が先に作られていき、その後に周囲の男性も一緒に成長していく物語として『進め』が作られたという話が披露されましたが、この辺りのことをパンフレットに掲載されたプロダクションノートで確認すると、『咲け』の企画立上げは2021年11月で完成は2022年9月であり、この途中の2022年5月下旬から『進め』の製作が開始されていて、これら2作が連作として作られていった経緯がよくわかります。

この話の後には松本監督を司会者として出演者たちに対するショートインタビューが続きましたが、特に面白かったのは劇中の公園での美奈と三浦との会話にまつわる話でした。この場面では二人が互いに好きな映画(例えば美奈は『バットマン・リターンズ』)を挙げあうのですが、実際に観ているのか?という質問に対し鄭玲美さんはもじもじと「観ていない」、なぜなら下調べしたら苦手なタイプ[5]だったので、実際に観て嫌いになっては「好き」だと言えなくなるからと答えて客席に笑いが広がりました。一方、真ん中の八木橋聡美さんと内山由香莉さんは『進め』での友人の結婚祝いランチの場面で「パンを誰がどれだけ食べたか」で議論していましたが(笑)、『咲け』では優しく主人公を励ます子持ちの専業主婦、『進め』では女優の鎧をまとった自称仕事人間を演じ分けていた八木橋聡美さんが、両方を足して2で割ったような明るくきりっとした雰囲気を漂わせていたことも印象的でした。

また、これら女性陣の話もさることながら、『咲け』の夫・裕典は嫌なやつではあるけれど、芯の部分で妻を愛していないと成立しない役なのでそこを丁寧に演じたというサトウトモユキの話にもいたく納得しました。実は『咲け』の一応のハッピーエンドは由紀子が夫に能動的に働きかけて獲得したわけではなく、夫の方が偶然に妻の大事にする世界を垣間見て歩み寄ってくれたかたちである点に少しもやもやしたものを感じていたのですが、この話を聞きながらあらためて考えてみると、だからこそこれは女性だけのための映画ではなく、男性も一緒になって観るべき映画なのだと思い至りました。もちろんシングルで観てもよいのですが、夫婦・パートナー同士で観た上で感想を語らい合いつつ、これを機に互いに自分の大切にしている世界の存在を伝え合い認め合うと、さらに深みに達することができるような気がします。

ついでに書くと、まったくの悪役がいないのもこの映画のいいところです。確かに『咲け』の義母が見せる主人公への罵倒には容赦がなくて震撼しましたが、孫に見せるその表情は慈愛に満ちていてほっとさせられましたし、『進め』でいくつもの心を踏みにじってアイドルの起用を監督に強要するプロデューサー藤田も、興行面での責任を負う立場にある以上これを非難されるべき筋合いではありません。それでも演技達者の二人が演じた彼らがそれぞれの映画における負のポジションを体現したことでストーリーに推進力が生まれていたのですから、この二人を演じた松田陽子さんとジャン・裕一にも舞台挨拶に登壇してもらって、どのように役作りしたのかを語ってほしかったと思いました。

実はこの二人には、物語における「お金」の問題にダイレクトに言及しているという共通点もあります。『進め』の藤田はそれが仕事なので当然ですが、『咲け』の義母の「裕典は十分稼いでいる」という言葉も意味深で、そこには「家計」の面において由紀子が夫と対等の立場を築けていないことが示されているようです。夫婦のそれぞれが自分の才能を活かそうとするときに、経済的にも互いに自立していることが必須だとまでは思いませんが、裕典との言い合いの中で彼の若い頃の趣味であったサッカーを引き合いに出したことで、由紀子は図らずも二人の立脚点の違いを露呈してしまったよう。ここは映画としてはスルーできても、実生活においては揺るがせにできない論点になるのではないでしょうか。

舞台上に話を戻すと、ショートインタビューに続いて水村美咲さんのために全員で「ハッピー・バースデー」を歌い、監督がキャストたちから映画祭受賞100冠記念の表彰を受け、7月にこの2作が田端で上映される旨の告知があって、物販紹介(余っちゃったらわたし持って帰るのが大変!)とフォトセッションで舞台挨拶は終了です。欲を言えば水村美咲さんにはプロデューサーとしての苦労話[6]なども聞かせてほしかったのですが、全体で20分という時間枠の中ではそれは無理な注文です。

冒頭に記したようにひょんなことから鑑賞のきっかけを得た映画でしたが、とにもかくにもよい出会いでした。スクリーン越しとは言ってもそこにいる登場人物たちと観客とがずいぶん近いものに感じられる映画で、この距離感で示される俳優の皆さんの「演じる力」の凄さには舌を巻きっぱなし。さらに映画の中では都内のさまざまな場所が美しい映像で示され、例えば夕焼けの鮮やかな色彩には息を飲んだのですが、ことに印象的だったのは『進め』で主役三人が歩くしっとりした公園の遊歩道と、その後に三人が別れかけた坂道でした。パンフレットに載るロケ地リストによると坂道の方は豊島区の富士見坂だということですから、こちらの方に行く機会があれば歩いてみたいものです。ちなみにバー「33 Tokyo」は渋谷センター街の中らしく、これなら自宅から歩いてでも行けるから、そのうち覗いてみようかな。

最後にタイトルについて一言。「在りのままで」という言葉について、パンフレットの中で水村美咲さんは次のように語っています。

たった一人の自分、ありのままの自分に自信をもって、自分にしか咲かせられない花を咲かせて突き進んで行って欲しいです。

もしこれが「今のままの自分」だったとしたら、自分は共感できなかったでしょう。スタートラインに立つのは「AS IS」の自分であっても、自分の理想がそこでは実現できないとしたなら「TO BE」の自分を思い描いて、そこに向かって自分を変えていく努力こそが尊いと思っているので。しかし、上記の言葉の前には「他者」と比較して自信を失う必要はないということが明記されていますから、ありのままの自分にはきっと「変わろうとする自分」「変わりゆく自分」も含まれているに違いありません。

在りのままで咲け / 在りのままで進め

  • 監督:松本動
  • 原案・企画・プロデュース:水村美咲
  • キャスト
    • 2作共通:水村美咲、八木橋聡美、鄭玲美、木下瑛太
    • 「咲け」:サトウトモユキ、松田陽子、保岡伸聡、いろは、山岸りた
    • 「進め」:遊屋慎太郎、鈴木浩文、岩永光祐、飛香まい、笈川健太、川連廣明、今谷フトシ、ジャン・裕一、内山由香莉、清成月恵、倉橋うみ、吉田シンイチ

脚注

  1. ^上映されていたのは坂部敬史監督『The Right Combination』(2015年)。映ったのは数秒間でしたが、これも面白そうです。
  2. ^後日見た松本動監督のXでのポストによれば、美奈は山形県出身という設定。美奈が実家から送られてきたネギを刻んでカップ麺(エースコック「シュリンプヌードル」【東北地方限定商品】)に入れるシーンはインパクトが強く、「聖地巡礼」ならぬ「聖餐再現」のネタになりそう。ところで、美奈の包丁づかいが妙にこなれていない(ネギを潰している)感じだったのは、美奈という役の性格を示す演技の内?それとも鄭玲美さんの素?
  3. ^このときマコの首にぐるっと赤い筋がついているのをスカーフで隠していることに気づいた京華が目を見張るという描写がありましたが、2回観てもその意味がわかりませんでした。しかし、映画を観終えて1週間ほどたってからふと思い返して「もしや?」と思った一つの解釈は、マコが役作りのために後追い自殺を試みていた、というもの。しかし、それがそうなら俳優というのはそこまでするものなのか?一般ピープル(である私)には想像もつかない世界ですが、この解釈の当否はさておき一つだけ確実に言えそうなことは、この映画は後から何度でも思い返すことができ、そしてそのたびに新たな気づきや問題意識が生まれてくる、スルメのような映画(←褒め言葉)だということです。
  4. ^これまで映画を観て最も涙腺を刺激されたのは、タヴィアーノ兄弟の『グッドモーニング・バビロン!』(1987年)のラストシーンを観たときでした。
  5. ^本人曰く「怖い映画」が苦手な鄭玲美さんにとっては『ハリー・ポッター』もホラーなのだそう。自分もホラーやスプラッターは大の苦手なので、その気持ちはよーくわかります。
  6. ^この作品は文化庁の助成金「ARTS for the future!2」とクラウドファンディングで集めた資金で製作された、いわゆる自主映画。今回の池袋シネマ・ロサでの上映も、同館が夕方〜夜に実施している「インディーズフィルム・ショウ」枠の中でのものです。
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