ロケ

2024/06/10

新宿 K's Cinemaで「DROP CINEMA FESTIVAL」。目当ての作品は行きつけのカレー屋さん「カリカリスパイス」が登場する『東京フィクション』です。この「DROP CINEMA FESTIVAL」は映像・演劇系教育機関ENBUゼミナールの映画監督コースに属する生徒たちの卒業制作作品を数日間にわたって一挙上映するイベントで、ついでに言えばENBUゼミナールは2017年にあの奇作『カメラを止めるな!』を製作した会社でもあります。

それにしてもなぜこの映画を見ることになったかと言うと、5月中旬の日曜日にたまたま「カリカリスパイス」の前を通ったとき休業日のはずなのに店内に大勢の人が詰めかけていたのを不思議に思い、後日「カリカリスパイス」で食事をしたときに店主ミナミさんに質問したところ、この卒業制作作品の一つのロケ地として撮影が入っていたのだということを知らされて鑑賞を思い立ったというわけです。特に、実際には〔こんな感じ〕(ただし普段はもっと落ち着いた雰囲気)の「カリカリスパイス」が映画の中ではどのように映し出されるのだろうというのが興味の中心でした。

東京フィクション

  • 監督:井谷諒太
  • キャスト:道川内蒼、小幡悦子、川嶋芙優、半田大介、鈴木ゆき、岡田亜矢、田中瑚乃、伊藤杜、井出みずき、内海元伸、岡よしの、米田マナ海、永野りん
  • スタッフ:斉藤遼太郎、宮下紗希、岡嶋凌 他

東京で映画学校に通うケーイチのもとに、母親ヨウコがやってくる。30歳を越えても結婚の匂いがしないケーイチ。それを見かねたヨウコは結婚をほのめかす言葉をケーイチに浴びせ続ける。それが次第にケーイチの不満を募らせる。

……というのがフライヤーに書かれていた「東京フィクション」のあらすじですが、実際に見てみるとこうしたギスギスした内容ではありませんでした。

いかにも大阪のおばちゃん風にエネルギッシュなヨウコは、息子が一人暮らしするアパートを拠点に観光に励むのですが、忙しいというケーイチの迷惑顔におかまいなしに都内を案内することを求め、料理を一切しないケーイチのために調理器具を爆買いしてオムライスを作り、甲斐甲斐しく洗濯物を干し、高名な占い師の元に出向いて息子の運勢を尋ねます。一方、一度はヨウコの攻勢にキレかけたケーイチではあるものの、ヨウコのためにお守りを買い、滞在最後の夜に焼肉に誘い、そして東京観光を終えて帰阪するヨウコを東京駅まで送っていくといった具合にほのぼのとしたストーリーが展開します。

こうしたメインストーリーがロケを多用した映像でテンポよく繰り広げられる中で、実はケーイチは映画を作っている最中であり、その産みの苦しみの中にあることが明らかになるのですが、占い師から息子がなぜ映画を撮っているのかと聞かれて言葉に詰まったヨウコがケーイチに同じことを尋ねたところ、ケーイチが「なくなってしまいそうなものをつかまえるためだ」と答えるところには、井谷諒太監督自身の考え方が反映されているようでした。これはこれで十分に重いテーマなので、映画の主題を複線にしてしまっているようにも見えますが、映画が上映される秋にはまた東京に来たらいいよとケーイチに言ってもらったヨウコに嬉しそうな表情を浮かべさせることで、親子の交流の話と監督の映画論とが巧みに結合されていました。

さらに、途中に唐突に挿入される若い女性たちの意味不明な会話が実はケーイチが撮っている映画の撮影シーン(劇中劇)だということが後からわかったり、占い師からの質問によって自分が息子をよくわかっていないことに気づいたヨウコがケーイチの家に帰宅して息子が読んでいる本を手に取ってみたりといった具合に、場面と場面とが有機的につながる映画ならではの面白さを味わうこともできて、卒業制作作品とは言いながら行き届いた作劇がなされていることに唸らされました。俳優陣の見事な演技も含めて、この映画の完成度の高さは商業ベースに乗せられるのではないかと思うほど。

このように純粋に見ていて気持ちの良い映画でしたが、実は鑑賞の下心にあった「カリカリスパイス」も大事な役割を持って映画の中に登場します。

上京してきたヨウコを東京駅前で出迎えたケーイチが、まずは食事にしようと連れていったのが「カリカリスパイス」(もちろん店名は変えてあります)。若い女性店主がもろにミナミさん風の風貌ですし、ヨウコとの会話の中で語られる「関西出身でレストランでしばらく働いた後にカレー店を切り盛りするようになって4年」というプロフィールもそのまんま。供されるあいがけカレーもふだん「カリカリスパイス」で出されているもの(当然ミナミさんが作っているはず)です。店主と意気投合したヨウコは支払いを済ませて後から出てきたケーイチに「ええ子やったな」と語りかけるのですが、これがラストシーンに向けた第一の伏線。

次に劇中でもう一度、今度は夜の「カリカリスパイス」が出てきますが、ここでは一人の男性客がカレーを食べ終えて店を去ったあと、店主が無言で片付けをしながら人待ち顔に外を気にする様子をカメラが延々と追い続けます。これが第二の伏線。

ところが、上記の東京駅での見送りのシーンでケイイチがヨウコの背中を見やりながら「カット」と小さく呟いた[1]後にエンドロール(撮影協力のところに「Kari Kari Spice」の表示あり)が流れ始めたため、あの夜の「カリカリスパイス」の長回しはなんだったんだ?と思っていたところ、エンドロールが終わった後にエピローグが付いていて、「カリカリスパイス」のカウンターに一人すわるケーイチとカウンターの中にいる店主との間に微妙な空気がしばらく流れ、ケーイチが意を決したように「あの」と呼び掛けたところで映画はすぱっと終わりました。なるほど。

「カリカリスパイス」がこれほど重要な位置を占めることになるとは嬉しい驚きでしたが、店内の雰囲気やカレーそのものが綺麗に、そしてリアルに撮られていたのもポイント高し。劇中でヨウコが目の前に出されたあいがけカレーを見て「美味しそう!」と喜んだときには思わずうんうんと頷いてしまいました。たまたま私の目の前の席に座ったミナミさんも映画の出来を喜んだだろうと思いますが、彼女自身の感想は近日中に「カリカリスパイス」を訪れてビール片手に聞いてみるつもりです。

脚注

  1. ^後日「カリカリスパイス」で店主ミナミさんとこの映画について語り合ったときに、ミナミさんはこの場面を「なくなってしまいそうなものをつかまえる」というケーイチの言葉と結びつけてみせて、その解釈の鮮やかさで私を脱帽させました(なるほどなぁ……)。もしかすると、映画を撮るという行為は「なくなってしまいそうなもの」=「大切にしたいもの」を見つけるということと同義なのかもしれませんね。