羽衣

2024/07/24

この日の夜は金春流能楽師・中村昌弘師の企画による「流儀横断講座『羽衣』」。講師陣は例によって金春流:中村師、観世流:武田宗典師、宝生流:高橋憲正師、金剛流:宇髙竜成師、喜多流:大島輝久師の五人です。

以下、いつものようにいくつかのテーマを設定して五流の比較が行われるのですが、始まる前にスライドショーで示されていた講師紹介の中にある講師陣の生年をチェックしてみると、高橋師と大島師が1976年生まれ、中村師と武田師が1978年生まれで、宇髙師が1981年生まれ。つまりこの日の昼に開催された「五流の愉しみ」の講師陣(1972-73年生まれ)に対して全員が年の上では数年後輩です。実際、この後の講座の中で「五流の愉しみ」についての言及があり、そこでは先輩・後輩の関係についての話が披露されたのですが、その内容を逐一ここで再現することは控えるとして、中村師から流儀の先輩で目下闘病中の山井綱雄師が九月に舞台復帰を予定している旨が知らされたこと、大島師からは佐々木多門師のことを「能楽界で一番『いい人』です」と紹介されたことの二点を記しておきます。

さて、講座の方はまず登壇した中村師が「羽衣」のあらすじを説明して、上演機会が多くポピュラーな曲であるだけに流儀比較をすると当たり前のことが当たり前ではないだろうから、これまでになくマニアックな回になるだろうという予告がされた上で、他の四人を交えての比較説明に入りました。

  • 初めて演じた年齢とこれまで演じた回数
    • おおむね20台前半で初演しており、その後も上演回数を重ねている(武田師は10回以上)が、「羽衣」は短縮形で演じられることが多く、高橋師はきちんと通して演じたことがないとのこと。大島師も同様だったので、10年ほど前にあえて通してやってみたら地謡陣から「こんなに長い曲だったのか」と驚かれたというエピソードを披露していました。
  • 小書(表記は講座の中で示されたところによる)
    • 〔春〕《替ノ型》のみ。装束が変わり、緩急がつくが、あとはシテの好み次第。
    • 〔観〕《和合之舞》《彩色之伝》《脇留》。前二者のいずれかがつかない「羽衣」が上演されることは極めて珍しい。
      • 《和合之舞》は序之舞と急之舞[1]が合わさる。謡も一部省略される。
      • 《彩色之伝》は盤渉序之舞になり急之舞[1]の入る部分にイロエが入る。
    • 〔宝〕《盤渉》のみ。序之舞が盤渉調になるほか、ワキが衣を直接返さない、最後にシテが幕に入りワキが見送る(脇留)といった変化が生じるが、〔宝〕では《盤渉》は重く扱われ、小書がつかない上演形態の方が多い。また小書がつかないからといって変化がないわけでもない。
    • 〔剛〕《盤渉》《床几之物着》。
      • 《盤渉》は盤渉序之舞、終わりにシテは舞い込みワキが見送る、作リ物の松がなくなり一ノ松の欄干に衣を掛けるといった演出になる。
      • 《床几之物着》はワキが作リ物に衣を返し、これを後見がとるとシテは後見座ではなく床几に掛かっての公開着付けとなる。また、序ノ舞がなくなり破ノ舞のみになる(ので高橋師がツッコミを入れたようにお爺さん向けかもしれない)。
    • 〔喜〕《舞込》《霞留》《雲居之舞》。
      • 《舞込》は最後に謡の中でシテが幕に入るもので、もと友枝家の小書だったものが流儀の小書になったもの。
      • 《霞留》は《舞込》と基本的には同じだが作リ物を出さず、最後が「霞にまぎれて」で終わり(「失せにけり」が謡われず)囃子方の残リ留で余韻を残す(高橋師「気持ち悪くないですか?」 / 武田師「『野宮』での『火宅留』に似ているかも」)。
      • 《雲居之舞》は今はほとんど上演されないが、大正時代の天覧能に際し短時間で終えるためいろいろ省いたものらしい。それだけに最も重い小書とされているため、あるとき短縮型で上演しようとしたシテが囃子方に比喩としてこの小書の名前を出したところ、後で大問題になったというエピソードがある。
  • 装束・面など(舞台写真を見ながら)
    • 〔春〕長絹は赤、紫、場合によって白。腰巻は紅入系統で普通は縫箔(写真は唐織だったので宇髙師が驚く)。小書がつくと頭にかざすものが月輪から牡丹になり、長絹を舞衣にすることもある。面は基本的に小面、ときに増。
    • 〔観〕初演時の腰巻は紅入縫箔。面はだいたい増、冠は月輪。長絹は紫。《和合之舞》になると冠が鳳凰になり、長絹も紫ではないもの(白、赤など)になる。まだ勤めたことはないが《彩色之伝》では冠が蓮、上衣は舞衣になる(ここで武田師オリジナルTシャツのPRあり)。
    • 〔宝〕腰巻には赤はあまり使わない(写真で紹介されたのはエメラルドグリーンと浅葱色の二種類)。長絹は鳳凰が描かれた赤ないし白、舞衣を使うこともあるがさらっと着られないので長絹の場合が多い。宗家には円山応挙が鳳凰を描いたと伝わる長絹がある。なお、女神は常に月輪、面は泣増。
    • 〔剛〕赤い腰巻に鳳凰の長絹。金剛宗家の長絹の一つには上村松篁の手になる鳳凰が描かれている。面は小面(無邪気)か増(威厳)だが、写真(《床几之物着》)の宗家は珍しく孫次郎を掛けている(ここで紅白染分けの露を用いることや天冠からの紐の色についてひとしきり会話あり)。小書がつくと月輪が蓮になる。
    • 〔喜〕面は小面一択だったが替で万媚を使う例もあり、近年は上掛に影響されてか増を使う場合が出てきている。冠は小書がつくと月輪が牡丹に変わる。腰巻は赤が多いが、写真の舞台はあえて白。長絹は赤を使うことが増えてきているが、詞章の「白衣・黒衣」に即して白か紫が本来だろうと考えられている。
    • ここで腰巻の着付け方の違い(「宝生付け」と呼ばれるように宝生流だけが他流と異なる)について講師間で盛り上がり、作リ物の台の丸角、髪飾り(平元結か飾髻ばさらか)といったニッチな話題も提示されました。
  • 謡い比べ(いやうたがいは人間にあり、天にいつわりなきものを[2]
    • この同じ詞章を順番に謡っていきましたが、中村師も最初に語っていたように、流儀の違いと共に個人の謡い方による違いも含まれていたかもしれません。しかしそれでもはっきり違いが出たのは、多くの場合「いや疑いは」「人間にあり」「天に偽り」「なきものを」と切られていたのに対し武田師ははっきりと「いや疑いは人間にあり」「天に偽りなきものを」と前半・後半をそれぞれつなげていた点で、観世会系統での女性の謡に際しては極力つなげて謡うこととされているのだそうです。また武田師の謡はとりわけ高い音程(これと対照的に低かったのが高橋師)でしたがこれも観世会の教えだそうで、銕仙会だとまた違うかもしれないということでした。
  • 謡い継ぎ(然るに月宮殿の有様霞にまぎれてうせにけり
    • サシからキリまでを五つに分け、その場でのくじ引きで順番を決めて謡い継ぐという、講師にとっては心臓に悪い企画。あらかじめ配布されているのは金春流の詞章ですが、流儀によって詞章が違うところがあるので謡が違っても「間違えた!」と思わないようにしてほしい、そこで顔を上げられるとドキッとするので、という念押しに客席は大ウケ。そもそも謡い出しのしかるに月宮殿からして〔剛〕ではなかんずく月宮殿ですが、それよりも講師陣がどのパートを引き当てることになるかで緊張している様子が見ものでした。
    • くじ引きの結果は順番に〔剛・春・観・宝・喜〕で、図らずもこれは年齢順(年少→年長)でもあります。この中で高橋師が担当することになった南無帰命月天子……の部分は舞台上では省略されることが多いため、玄人的にはイヤなパートなのだそう。ともあれ舞台上に緋毛氈を敷いて左から右へ謡う順番に並んで着座し、空気を変えて謡い継ぎが始まりました。こうなるとさすがに流儀間の比較というのは聴衆にとっては(自分が謡を習っていない限り)難しくなりますが、それにしても贅沢の極みです。
    • 序ノ舞の後のワカの部分から高橋師の謡にひときわ力がこもり、聴いている方もぐいぐい引き込まれていきましたが、続くキリをとりわけリズミカルに謡った大島師が最後のうせにけりを謡い終えた後、ふと笑顔を浮かべて「ドキドキしましたね」とこぼしたときには会場の空気が一気に緩みました。
    • ここで講師同士で違いの確認があり、詞章の違い(月の色人 / 宮人)や抑揚の違い(たとえば〔春〕はクセの冒頭の春霞で「は」から「る」へ下がるところが他流にとっては驚き)でマニアックに盛り上がっていました。さらに高橋師は大島師が謡ったキリの最後の部分が全然違ったと宇髙師に同意を求めて「ウチは〔剛〕に近いのかな」と述べたところ、宇髙師は「でもたまに(〔宝〕に)裏切られるんです」。
  • 再び謡い比べ(あしたか山や富士の高根霞にまぎれてうせにけり
    • 高橋師が「同じところを謡わないと客席に違いが伝わらないのではないか」と提案して、予定にはなかった再びの謡い比べ(キリの一部)が実現することになりました。
    • 五人が次々に謡ったその違いを言葉で説明するのは難しいのですが、なるほどこうしてみると確かに違うことがわかります。たとえばあしたか山やの抑揚ひとつとっても〔春〕がを中音域からスタートして上下に動いている印象なのに対し〔観〕では出だしの音程がとても高くそこを天井にして下方向へ動いており(伝わるでしょうか?)、最後のうせにけりも〔春・宝〕は上がり方が微妙ですが対極的に〔喜〕はぐーんと上がっていく感じ。言葉の切り方も違ったような気がしましたが、さすがに一度聴いただけではそこまではわかりません。できることならそれぞれの謡を五線紙上の音符に置き換えて、音の動きを視覚的に比べてみたいものです。
  • 「羽衣」用の仕舞扇
    • 次に仕舞「羽衣」を舞うとしたらどういう扇を使うか、というお題で各人が持参した扇が披露されました。〔宝・剛・喜〕の三流は金扇風で、色彩的にはシンプルなものながらとても華やか。扇の形状と長さなども異なっており、五人が扇を寄せ合ってその違いを示す構図はなんとも微笑ましいものでした。
      • 〔春〕緑地に桜模様
      • 〔観〕金地に桜 / 三段水巻・金霞の上へ桜を散らしたもの
      • 〔宝〕金地の五雲
      • 〔剛〕金地の金剛雲 / 白地に金の九曜星
      • 〔喜〕金地の喜多霞
  • 型(回転)
    • 壇上の動きをスマートフォンのカメラで撮ってスクリーンにリアルタイムで映し出して、各流の二回転(〔春・観〕では「小回り」、〔宝・剛・喜〕では「回り返し」)の足の捌き方を比較しました。回り始めの足の開き方、回っている間の移動の有無や程度などここでも違いがみられましたが、いずれもバレエダンサーに勝るとも劣らないスムーズな回転とこれを実現する精妙な足捌きに感嘆するばかり。しかし高橋師から提示された「左に回るのは天に上がる、右に回るのは地に落ちる」というDNAらせん理論(または蛇口理論)に対し、宇髙師から「〔剛〕では「羽衣」の最後の舞込みは右回りです」と逆裏切り。

この後、出演者の今後の公演予定が紹介された上で質疑応答コーナーとなりました。ここではその全部を紹介することはしませんが、最後の質問者から能において「つ」を「ん」と飲む(含む)発音の由来についての質問があり、横道にそれて濁音と鼻濁音の使い分けに話が及んだところから、昔の謡い方は丸い(不鮮明な)ものが多かったのが時代と共にクリアに謡われるようになっていく傾向の中で、鼻濁音も使えなくなっているのではないかという指摘が大島師からなされました。そして、これを引き取った中村師からの「能は継承されていくものと共に時代につれて変わっていくものがある。今の能と百年後の能とでは違うものになっているかもしれない。だからこそ末長く能を応援してほしい」という言葉で講座が締めくくられました。

さすが、これまで回数を重ねてきているだけあって内容も進行も十分に洗練されており、講師五人の息もぴったり。今回も今まで以上に楽しくてためになる講座でした。ただ「五流の愉しみ」の中でも感じたように、謡や仕舞を習っている人であれば自分の中に一つの流儀に基づくスタンダードを持てるのでそれとの比較によって流儀ごとの違いが一層鮮明に理解できるのだろうと思われるのに対し、自分の場合はそうした下地がないために、ことに実演の部分については浅い理解にとどまらざるを得ないのが残念です。それでも、そういう限界を認識し受け入れた上で、これからもこの「流儀横断講座」をはじめさまざまな形で能楽に親しむ場に接していきたいものです。

この講座は、オンラインでのアーカイブ配信が用意されています。百聞は一見に如かず、講座に参加したかったにも関わらず参加できなかった方は、このレポートを読むことに時間をかけるよりも〔こちら〕を視聴することを強くお勧めします。

脚注

  1. ^ab「急之舞」と説明されていましたが「破之舞」でしょうか?
  2. ^引用は当日配布された金春流の詞章に基づく。以下同じ。