四流
2024/07/24
矢来能楽堂で、能楽五流(観世・金春・宝生・金剛・喜多)の能楽師が一堂に介してのワークショップ「五流の愉しみ」を聴講しました。四月に第一回が開催されて、わずか三ヶ月後に開催された今回は第二回になります。
このワークショップは観世流:清水義也師、金春流:山井綱雄師、宝生流:小倉健太郎師、金剛流:豊嶋晃嗣師、喜多流:佐々木多門師の五人によって企画され、進行も彼らと舞台下のナビゲーター(Global能楽社の清水さん)との掛合いによって進められます。以下、前回同様にかいつまんでこの日の流れを再現すると、次のようでした(あくまで私の理解です)。
- イントロダクション=仕舞「羽衣キリ」
- 舞台上の後方に〔喜〕と〔観〕、それぞれの前に〔宝〕と〔剛〕が居並んで、ここから始まったのは(後でわかるように)「羽衣キリ」の仕舞です。この配置では、後方の二人が地謡の役割に当たるはずですが、実際には謡の声が発せられることはなく無音のうちに舞い進められ、それだけに質実な〔宝〕と華やかな〔剛〕の対比(動線からしてまるで違います)が示されました。
- オープニングトーク
- いったん切戸口から下がった四人がマイク片手に再登場して、まず豊嶋師によるトークは例によって最初は脱力系でしたが、少し口調を改めて説明されたのは山井師の欠席です。自身のブログで明かしている通り、山井師は6月中旬に脳卒中を発症して右半身不随となり、現在も入院・リハビリ中。「五流」を打ち出している企画なので代役を立てることも考えたものの、やはり山井師の復帰を待ちつつ四人でやろうと意見が一致したという話が紹介されました。
- ついで舞台下の清水さんにマイクが渡り、まず山井師の「熱い」メッセージが朗読されてから、この「五流の愉しみ」の事務局も勤めているGlobal能楽社が主催する連続公演「ひとつのはな」の本年12月26日公演「羽衣盤捗」(小倉師)および「黒塚白頭」(佐々木師)にちなんで、今回の「五流の愉しみ」では「羽衣」と「黒塚」を取り上げる旨が説明されました。
- 四人の能楽師の自己紹介
- 前回同様、清水師はハキハキ、小倉師はほのぼの。豊嶋師の訥々と佐々木師の気品も変わりありません。
- 「羽衣」
- 仕舞「羽衣キリ」
- まず四人が並んで着座し、一人ずつ前に出て舞いました。その順番は、清水師が舞うときは佐々木師が地謡、佐々木氏が舞うときは小倉師が地謡、小倉師が舞うときは豊嶋師が地謡、そして豊嶋師が謡うときは清水師が地謡です。冒頭の無音の仕舞でも見られたように〔剛〕と〔宝〕の動線を含む型の違いが対照的であることが再確認できましたが、演者の方ではそれよりも謡のスピードの違いに驚いたようで、清水師は佐々木師の地謡に「こんなにゆっくりなんだ!」と思い、逆に豊嶋師には「観世流はこんなに速いのか!」と思われただろうという話がありました。
- 衣の色
- 〔宝〕常は朱の長絹。白の舞衣を使うこともあるが、宝生流は昔はあまり白地を使わないとされていたので、基本は朱である。
- 〔剛〕朱の長絹一択。濃淡があったり金が入ることもある。
- 〔喜〕緋の長絹を使うときは小面を掛けて可愛らしいイメージ、白の舞衣のときは気品高く増を掛ける。
- 〔観〕常は紫、小書がつくと白。面は基本的に増。
- 小書《盤捗》
- 12月26日公演で「羽衣盤捗」を勤める小倉師からの解説。
- 序ノ舞の音階が高い盤捗調に変わり舞の中の型も多少変わる。
- ワキが長絹をシテに返すときに直接返すのではなく作リ物の松に戻す演出になる。
- ここで清水師から長絹と舞衣の違いについての説明が付け加えられ、実は舞衣の着付は長絹の三倍難しく、これを(楽屋ではなく)舞台上での物着で着付けるのは後見の技術の見せ場にもなっているという話がなされました。
- 12月26日公演で「羽衣盤捗」を勤める小倉師からの解説。
- ワキからシテへの衣の返し方
羽衣を返し与ふれば
という詞章に沿って衣を返すときに、流儀によって襟がある方をシテの右腕側にする〔宝・喜〕か左腕側にする〔剛・観〕かが違い、さらには上下までも違う〔喜〕という点が実演され、このためワキ方はシテ方の流儀に合わせて渡し方を変えており、そのあたりを申合せですり合わせるという話がなされました。- この話に絡めて作リ物の松の話になり、清水師から〔観〕では多くの場合作リ物の松は出さずに橋掛リの一ノ松(の位置の勾欄)を活用するという話が披露されました。
- 仕舞「羽衣キリ」
- 舞台上の方角
- マイクが佐々木氏に渡って、今度は舞台上での仮想の方角の話。そもそもなぜ流儀によって方角が違うのかというと、各流が揃って何かやるときに対照的になった方が面白いからだろうといういささか眉に唾したくなる説明がされた上で〔観〕以外の三人が「清経」の
西に傾く月を見れば
という場面を演じたのですが、これが極め付けに面白いものでした。まず目付柱に向かって斜め一列に三人がきちきちに詰め合って立ち並ぶところからすでにおかしな構図ですが、ここから清水師が拍子盤と張り扇で打ち出す拍子と謡に合わせて一斉にばらけるとそれぞれに美しい軌跡を描いて舞台の三方に散り、それぞれが西を向く姿になったときには〔宝〕は目付柱から笛柱を、〔剛〕は脇柱から幕を、そして〔喜〕は逆にシテ柱から脇柱を向いており、さらにそこから〔喜〕だけがしずしずと舞台上を脇柱の近く(つまり〔剛〕の横)まで進んだ上で合掌の後、入水に至りました。この一連の型は三人が舞台上でぶつからないように調整してあり、したがってそのまま流儀の型を示しているわけではないという注釈があらかじめついていましたが、それにしても流儀ごとの方角認識の違いを視覚的に鮮やかに示していて、たいへん興味深いものでした(〔観〕は〔剛〕と同じとのこと)。また、ここでもワキ方はシテ方の流儀にその都度合わせていると説明されると舞台下の清水さんから、それならいずれ「五流の愉しみ」で「清経」を取り上げるときにワキ方にもゲストで来ていただこうと提案されて、聴衆からの拍手を集めていました。
- マイクが佐々木氏に渡って、今度は舞台上での仮想の方角の話。そもそもなぜ流儀によって方角が違うのかというと、各流が揃って何かやるときに対照的になった方が面白いからだろうといういささか眉に唾したくなる説明がされた上で〔観〕以外の三人が「清経」の
- 構エと運ビ
- いささか話の流れが飛躍しているような気がしますが、ここでなぜか流儀ごとの構エと運ビの違いの説明。常座あたりに立っての構エから、すり足で舞台を回る運ビを順番に見せました。特に注目されたのは重心の位置で、だいたい次のような具合だそうです(ここの説明は微妙で、正確に聞き取れているかどうか自信がありません)。
- 〔喜〕身体をすんなり立てて丹田に重心を置き、進むにつれて徐々に上へ。膝は曲げない。肘は返して円を描くようにし、そして左手で印を結んでいる。
- 〔剛〕重心は後ろ目。はっきり中腰で、膝は強く曲げている。
- 〔宝〕重心は気持ち前だがかかとを上げてはいけない。胸に目があるつもりで前に出る。
- 〔観〕膝は曲げず、踵に薄紙を一枚入れる=完全な前重心。よって一歩ずつ踏み込むため他流と異なり運ビが滑らかにはならないし、腕(肘)も前に構える形になる。
- いささか話の流れが飛躍しているような気がしますが、ここでなぜか流儀ごとの構エと運ビの違いの説明。常座あたりに立っての構エから、すり足で舞台を回る運ビを順番に見せました。特に注目されたのは重心の位置で、だいたい次のような具合だそうです(ここの説明は微妙で、正確に聞き取れているかどうか自信がありません)。
- 「黒塚 / 安達原」
- 枠桛輪
- 佐々木師から「黒塚」の中で枠桛輪が出てくるまでのストーリーの流れと、この枠桛輪が逃れ難い輪廻の象徴であるという説明がなされた上で、各流儀で枠桛輪がどこに置かれるかが実物をもって示されました。
- 〔喜〕作リ物から出てまっすぐ進んだ位置に、糸車と枠を結ぶ糸の先にワキがいるような配置で枠桛輪が置かれる。後見がこれを適切な位置に置いてくれるかどうかがとても大事で、面の限られた視界では枠桛輪の位置も把握しにくい上に、糸を下からすくうときにはまったく見えていないため、うまくいかないと手で糸の位置を探ることになってしまう。
- 〔宝・剛〕枠桛輪の位置はもっと目付柱寄り。〔観〕はこれらの中間。したがって〔喜〕以外の流儀では作リ物を出てからの動線が直線的ではなく(一部違いはあるものの)正面に向かって右に出てから枠桛輪へ向かう。そして、この間にすかさず枠桛輪を視界に収めて位置を把握する。
- 枠と糸車の間隔も違っており〔宝・観〕は狭く〔剛〕はそれよりはやや広めだが〔喜〕よりは狭い。さらに糸の太さも異なり〔宝〕は絹糸なのでとても細い。
- 次に(おそらく佐々木師の素人弟子だろうと思われる)ゲストの山本さんを舞台上に呼んで、実際に面を掛けた状態で枠桛輪の前に着座し糸をとることができるか!というテストが行われました。まず佐々木師から「黒塚」の前シテには「曲見」「深井」「姥」が用いられるという説明があった後に、正中で鬘桶に座った山本さんに指導しながら極めて丁寧に面を掛けていき(手にとって礼→目の位置を合わせる→おあたり→お締まり)、面を掛け終わったところで山本さんに立ってもらって姿勢を正させた上で、枠桛輪に向かって前進の後に「一足引いて座ってください」。そこで着座した山本さんに「いま二足引きましたね」とチェックが入り山本さんが慌てる場面がありましたが😅、最終的にはなんとか糸車を回すことができました。この一連の実演は、面を掛けた状態では本当に視界が限られていることが見ている側からでも実感できて非常に面白い取組みでした。ただし佐々木師によれば、慣れてくるとこの視野が限られていることが集中力を高め、安心感にもつながるのだそうです。
- 佐々木師から「黒塚」の中で枠桛輪が出てくるまでのストーリーの流れと、この枠桛輪が逃れ難い輪廻の象徴であるという説明がなされた上で、各流儀で枠桛輪がどこに置かれるかが実物をもって示されました。
- 祈リ
- 後シテに用いられる般若面(佐々木師が「道成寺」を勤めたときに用いたもの)が取り出され、般若には「葵上」などで用いられる白い般若と「黒塚」などで用いられる赤い般若があるという説明に続き、泥眼の金は怒りだけでなく鬼になってしまった悲しみが表現されているという解説がなされました。
- 最後に「祈リ」の実演になり、清水師の迫力に満ちた囃子に乗って佐々木師(シテ)は橋掛リを下って、幕の前から舞台に戻るとワキと対峙する形。強い動きの中にふと入る、身を左にねじって沈み込む姿がことに印象的でしたが、これは般若の角をワキに向けて引き上げる型なのだそう。シテが祈り伏せられたところで実演は終わり、このワークショップの本編も完了しました。
- 枠桛輪
- 見所との質疑応答
- 装束は能楽師の身体の大小にどう合わせるのですか?
- 折り畳んで着るものであればある程度は融通がきくが、古い装束だとやはり現代の体型には合わず使えない。たとえば宝生流では古い装束だと300〜400年前のものが伝わっているが、繊維が傷んでいるものは大事に保存するだけで実用にはできないし、実用できても身長165cm程度でぎりぎりなので(背丈の低い)上の先生に使っていただいて、背の高い能楽師向けには新しい装束を作ったり仕立て直したりしていくことになる。
- 舞台上の東西南北が舞台の形状に対して斜めなのはなぜ?
- シテとワキとの対話ではシテ(幕〜常座)とワキ(脇座)とを斜めに配置することで、距離をとって大きさを出すという考え方がベースにある(鏡板の中央に松が描かれ、囃子方の真ん中二人(大鼓と小鼓)が床几に掛かるのも同様の視覚効果を狙ったもの)。また能楽は陰陽を大事にするが、舞台上でもこの対角線を境として陰陽を分けている。このように、能楽では斜めの方向を重視しているためである。
- 流儀による詞章の違いを聞いてどう思ったか?
- 清水師:〔観〕では昭和14年に大成本が編まれたときに詞章がかなり改訂されている(「安達原」もそれまでは他流と同じく「黒塚」だった)。このように流儀の中でも詞章はどんどん変わるものだと思ってほしい。
- 小倉氏:今日のように他流の謡い方を次々に聞かされると、自分がどう謡ったらいいのか迷うことはありますね(見所から笑い)。
- 豊嶋師:〔剛〕でも本が改訂されるたびに多少詞章が変わってきている。今日は他流の謡はなるべく聞かないようにしていた(同)。
- 佐々木師:〔喜〕では江戸時代以来変わっていない。自分たちのテキスト(古典)をどう咀嚼するかというところに注力している。
- 能楽師として普段の暮らしの中で意識していることはありますか?
- 佐々木師:自分はさておき、流儀の友枝昭世先生は「常にまっすぐ」ということを意識して、荷物を持つ順番・道を曲がる回数も同じにしておられる。自分もそうでないといけないなと思っている。
- 豊嶋師:あるとき新幹線の中で、日本舞踊をしているとおぼしき着物の女性の歩き方を見た師匠が「なかなかの達人じゃないか」とおっしゃった。そのように自分も安定した歩き方ができるようにと心掛けているつもりだ。
- 小倉師:背中が丸まったり左右のバランスが崩れたときに、気がつけば直すようにはしている。先輩の中には、せっかく稽古で作り上げた身体をマッサージで壊すのはNGだと言う人もいれば、逆に砕いて芯の部分だけを磨くのがいいと言う人もいるが、ことほどさように身体の作り方は人それぞれ。
- 清水師:能楽師にはさまざまなタイプがいるので、トレーニングの仕方は人によって違う。自分が一つだけ決めていることは、最寄りの駅から自宅まで雨が降ろうと槍が降ろうとまばたきをしないこと。ルーティンを自分で持つことが大事だ。
- 装束は能楽師の身体の大小にどう合わせるのですか?
- 附祝言「千秋楽」(見所も一緒に)
以上、メモをとりきれていない部分もあったので雰囲気だけでも伝わればと思いますが、実はオープニングトークの中でナビゲーターの清水さんからこの日「羽衣」を取り上げるという話があったとき、私はびっくり仰天してしまいました。第一回のレポートでも書いたように、この会の「五流の能楽師が集まって流儀間の違いや共通点を探りながら能楽の面白さを掘り下げる」というコンセプトは金春流の中村昌弘師が何年も前から手掛けてきている「流儀横断講座」に通じるものですが、その本家「流儀横断講座」がこの日の夜に、しかも「羽衣」を題材として開催されることが4月からアナウンスされていたのに、後から日程をぶつけてきた「五流の愉しみ」が題材も同じ「羽衣」を扱うというのはなんともすごいことだな、と驚いたためです。しかし考えてみると、この日の「五流の愉しみ」が「羽衣」を扱うことはフライヤー等には載っておらず、この場で初めて明かされているので「流儀横断講座」に対する営業妨害(?)になっているわけではありませんし、受講する側にしてもこれら二つの会がそれぞれ異なる目線での情報を提供してくれるのであれば(お金はダブルでかかりますが)むしろハッピーなこと。実際にそうなるかどうかを、ここは冷静に見極めてみようと思い直しました。
そして終わってみての感想ですが、たとえば「黒塚」の枠桛輪の話のように「流儀横断講座」でのそれと重なる部分もなくはなく、同じことは「羽衣」についても起こりうるだろう(たとえば装束の話は「流儀横断講座」では定番のネタです)とは思う一方、実際の能舞台を使っていることで得られる実演の説得力は大したものでした。たとえば今回のプログラムの中では舞台上の方角の違いを示したパートの演出がとりわけ秀逸でしたし、素人弟子さんに舞台に上がってもらった場面もこのワークショップのオリジナル企画として面白いものでした。一方、今日は金春流の山井綱雄師を欠いた四流だったので舞台上での流儀比較がスムーズにいった面がありますが、仮に五流フル装備で仕舞比べを行ったとしたら冗長さを免れないような気がしますし、それにこういう形での流儀比較の場合は観る側の中にどれか一つの流儀についての型が入っていないと違いが見つけにくいだろうとも感じました。
ともあれこのワークショップはまだ発展途上にあり、アイデアレベルではありましたが将来ワキ方をゲストで呼ぼうといった話も興味深く、今後もこうしたオリジナル企画を次々に打ち出して差別化を図ってもらえるのであれば、これからもこの「五流の愉しみ」を「流儀横断講座」と共に応援していきたいと思います。
なお次回(第三回)は本年11月5日に予定されていて、あいにくその日は予定があって自分は参加できませんが、続く12月26日の公演の方はこの日の帰り際に申込みを行いました。また、この「五流の愉しみ」はストリーミング配信も用意される模様なので、第三回はそちらで視聴するつもりなのですが、フライヤーの記載によればそこでも再び「羽衣」と「黒塚」が取り上げられることになっています。これには、果たしてそんなにネタがあるのか?とちょっと心配になってしまいました。