三面

2024/09/29

池袋の新文芸坐で映画「越後奥三面ー山に生かされた日々ー」(民族文化映像研究所・姫田忠義監督)を見ました。

奥三面おくみおもてとは新潟県と山形県の県境にピークを連ねる朝日連峰の西面にあった雪国山村で、プログラムの記すところによれば平家の落人伝説をもつマタギの集落として民俗学的な関心を集めていたとのことです。しかしそれは過去のことであり、奥三面ダムの建設により集落は水没することになって、1985年に全戸移住・閉村してしまいました。この映画は、記録映画作家・映像民俗学者である姫田忠義氏(1928-2013)が1980年から4年間、奥三面に通って撮り続けた記録を150分間の映像作品にまとめたもので、1984年に公開されてから40年近くがたった2023年にデジタルリマスター版として再生されたものです。

私も今年の夏に秋田県の森吉山に登りに行った際に地域の施設の方から山に暮らす人々の生業についての話を興味深く伺っていたところだったのですが、たまたまこの映画の上映情報を知る機会があって関心を持ち、限られた日程ではありましたが上映館に足を運ぶことができたというわけです。

映画は最初に奥三面の紹介から入り、ついでダム建設の受入れに関する住民の声を拾っていますが、この視点から声高に何かを語ろうとはせず、すぐに奥三面の一年の暮らしぶりを淡々と追う記録映像としての本分に立ち帰ります。

▲奥三面の四季と生活の対応(パンフレットから引用)

まずは年末から年始にかけての習俗が描かれ、ついで狩猟(かつてはカモシカ、その後クマ、ウサギなど)の様子が描かれます。実はこの狩猟の様子を撮影することは困難を伴ったようで、カメラマンの同行に最初は強い拒絶を示していた住民たちも最後はこれを許諾してくれたものの、実際に仕留める場面ではカメラマンに待機を命じ、その代わり山中で行う解体後の作法(心臓に十字の切れ目)を村で見せてくれたりといった具合に、撮影者との関係は微妙な緊張関係をはらんでいます。

しかしそれ以外の場面ではおおらかに撮影を許諾してくれたようで、春になれば雪に埋めておいた野菜を掘り出し、冬の間に傷んだ家屋や道路を補修し、5月になると一家総出でゼンマイ小屋に詰め(子供たちも学校からゼンマイ休みを1週間もらいます)てゼンマイ採りに精を出すさまがフィルムに収められています。上越から東北にかけての地域で沢登りをしていればゼンマイ道を使ったり横切ったりすることはよくあって、山の暮らしの中でのゼンマイ採りの大切さはある程度理解しているつもりでしたが、ナレーションの中でゼンマイが1年分の現金収入の半分をまかなうと語られたときには驚きをもって認識を新たにしました。

これらの後も季節が進むにつれて田植え、焼畑、罠猟・罠漁、栗や胡桃の採集と加工、稲刈り、雑穀の収穫、きのこ採り、翌年に向けたゼンマイ小屋の補修……とその時期ごとの仕事が十分な情報量で紹介され、ことに印象的なのは集落総出で行う村仕事(たとえば雪解け後の道路の補修)と、季節ごとに行われる行事(たとえば三ツ辻の団子刺し)の数々でした。男も女も、子供たちさえもそれぞれの役割を担い、都会へ出ている若者たちも大きな行事では村に帰ってきてそこに参加する姿に「古き良きもの」の存在を実感しましたが、それらは親から子へ、そして孫へと代々受け継がれてきた共同体の結束を確かめ、強固にする働きをもっているのでしょう。

この映画のパンフレットには、ありきたりの解説ではなく姫田忠義氏が取材した奥三面の暮らしにまつわる詳細な解説が含まれています。これはこの映画の製作と共に取材成果をまとめて出版した『山に生かされた日々』という本から抜粋したものだろうと思いますが、さほどページ数のないこのパンフレットだけでも十分に読み応えがありました。

淡々とした、しかし耳に心地よい語り口のナレーションに導かれてあっという間の2時間ほどのうちに奥三面の暮らしが紹介された後に、やはり話題はダム建設に戻ります。しかし映画の撮り手はそのこと自体から適切に距離を保った上で、残されるべき文化としてトチの大木による丸木舟作りや、昔ながらの毛皮の狩装束による雪中行進の様子を記録し、そこに土地の民謡と一人の住民の次の言葉を重ねてからすぱっと思い切りよくカメラを止めていました。

やっぱり山は、山はいいなあ。山、山、山……幾多の恩恵、心の支え……おれにはそれしか、山しかねぇな。

まったく偶然にその存在を知ったこの映画でしたが、これを見る機会を得られたことは幸運だったと思わせてくれる記録映画でした。10月中旬には下高井戸シネマで「姫田忠義特集」と題した上映機会があってこの作品も上映されるので、雪国山村の暮らしに関心を持つ人はこの機会を活かしていただければと思います。私自身はこの「姫田忠義特集」の中でアイヌ関係の記録映画に強く心惹かれているのですが、今回はあいにく都合が合いません。それでもいつかどこかで民族文化映像研究所の記録映画に触れる機会が得られれば、そのときはなんとか都合をつけて上映会場に足を運びたいと思っています。