羊羹

2024/11/30

うららかな秋晴れのこの日、川崎市にある実家に行ってきました。

この「備忘録」にも記していた通り、2020年11月に父が他界した後、しばらくは母がここに独り住まいしていたのですが、高齢の母をいつまでも一人にしておくのも不安。どうしたものかと思いつつぐずぐずしているうちに、世代的に冷蔵庫の中のものを捨てられないたちの母が古い卵で食中毒を起こし救急車のお世話になるという事故が起こってしまい(「古い卵を生で食べたでしょう!」「生で食べてないよ。ご飯にかけただけだよ」「それを生って言うんですよ!」という嘘のような本当のやりとりあり)、覚悟を決めて家族一同で協議した結果、母には昨年の春に同じ区内の高齢者向け施設に移ってもらいました。

その後空き家となったこの家と土地とを売りに出していたところ、紆余曲折はあったもののこのたびようやく買い手がつき、所有権の移転もできたので、ご近所の何軒かにこれまでのご交誼に対する御礼かたがたお別れを母に代わって述べるために訪れたものです。

ご挨拶に伺うにあたっては当然手土産が必要で、こういうときの自分にとっての定番はやはり「とらや」の羊羹です。渋谷ヒカリエの地下にある「とらや」の店舗に出向いて買い求めたのは「夜の梅」。『古今和歌集』に収載された歌春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やは隠るるにちなむオーソドックスな小倉羊羹です。本当は小さいサイズのものを何種類か詰め合わせた方が食べやすいのでしょうけれど、お届けしたいのはモノではなく気持ちなので、豪快に竹皮包羊羹一本770g也をチョイスしたのですが、伺う先は5軒なので合計3,850g。そのずっしりした重さを腕に受け止めながら、まだ公務員だった30歳頃にカバン持ちとして参加したアフリカ・ヨーロッパ合計7カ国への出張のときの在外公館へのお土産がこの「とらや」の羊羹だったことを思い出しました(あれはさらに重かった)。

さて、この日お伺いしてみると何軒かは不在だったため、そういうこともあるだろうとあらかじめ用意しておいた手紙を添えて羊羹を置いてきたのですが、ご在宅だった家ではいたく感謝されると共に別れを惜しんでいただき、やはり近所付合いというのは大事なものだなと再認識しました。ただ、ご多分に漏れずどの家も平均年齢が上がっているので、このでかい羊羹を消費しきっていただけるかどうかは若干不安。日持ちがするものではあるので、正月などご家族が一堂に会する機会にでも召し上がっていただければ幸いです。

この家は私が中学生だった1973年に建てられたもので、私自身が住んでいたのはその後20代の半ばで自立するまでの10年あまりだけでしたが、母はちょうど半世紀にわたってここに住んでいたことになりますし、私にしても父が亡くなる前の10年間ほどは季節ごとに庭に咲く花を愛でたり父の囲碁と晩酌の相手をすることを楽しみに折々に通いました。さらに居間の柱には、私の甥と姪とがまだ子供だった頃にこの家を訪問するたびに背丈を測って鉛筆で線を引いた跡が今でも残っています。

そんな家族の思い出の詰まったこの家も、間もなく取り壊されて年内には更地になる予定。そこにはやがて新しい家が建って、新しい家族が住み始めることでしょう。したがって、私がここを訪れるのはこれが最後になるはずです。