再現
2025/01/13
アップリンク吉祥寺で、映画『MR. JIMMY』(ピーター・マイケル・ダウド監督)を観てきました。この映画は、Led ZeppelinのJimmy Pageの演奏を究極の精度で再現することに生涯を賭けているギタリスト・ジミー桜井(敬称略・以下同じ)の姿を追ったドキュメンタリー映画です。ジミー桜井のことはずいぶん前から噂には聞き、テレビに出演したその姿をチラ見したこともありましたが、きちんとした形でその活動ぶりを見たのはこれが初めてでした。
主人公ジミー・桜井のアイデンティティーをフライヤーの表現を借りて説明すると個性を“封印”し、“再現芸術”を“異様”なまでに追求し続けた
ギタリストということになりますが、スクリーンに映し出されるジミー桜井の人柄はとても穏やかで礼儀正しく、どこにも偏執狂的の影は見られないのに、実際にやっていることは確かにフライヤーの言うとおり。Led Zeppelinの各年代のライブ音源を聴き分けてフレーズと奏法を研究するばかりでなく、使用する楽器やアンプをパーツレベルで吟味・改良し、さらに衣装もその時々にJimmy Pageが着ていたものを映像でチェックして作り上げ、ステージアクションごと再現するこだわりぶり。もちろんそこにはそれぞれのジャンルの専門家がいて、ジミー桜井の高いレベルの要求に向き合いその「再現」を支援していくわけで、映画の最初の方ではそうした協力者たちと共にジミー桜井のペルソナを作り上げていく過程と、その頂点において2012年に来日したJimmy Page本人が彼のバンドであるMR. JIMMYのライブを鑑賞し、ジミー桜井を賞賛するという驚くべき場面が描かれます。
かくしてジミー桜井はそれまでのサラリーマンギタリストからプロの音楽家へと脱皮してLAに渡り、2014年にZEPトリビュートバンドであるLed Zepagainのメンバーとなるのですが、ここから映画のトーンは大きく変わり、ジミー桜井の苦闘が映し出されていくことになります。ジミー桜井の「再現」に対するこだわりは自分だけでなく他のメンバーにも向けられ、特にボーカリストは曲間での発声が「ア〜」か「エ〜」かといった点まで確認されてうんざりするという場面が赤裸々に映し出されますし、ジミー桜井が(オリジナルどおりに)25分間ものギターソロを入れたことでプロモーターから文句をつけられたボーカリストが「ビジネスのことを考えろ」と逆にジミー桜井に妥協を求めたりもします。
そうしたバンド内の緊張関係が映画の中盤以降のかなりの部分を占め、息苦しい展開の果てについにLed Zepagainを離れることになったジミー桜井は新たに自分でメンバーを集めて米国版MR. JIMMYを立ち上げたものの、ステージは好評でも収支としては赤字。このバンドはジミー桜井が他のメンバーを雇ったかたちでしょうから、その赤字は彼自身が負担しているはずです。
ジミー桜井は決してぶれない、姿勢を変えない、妥協しない。しかし彼の音楽活動はうまくいかず、もしやジミー桜井の夢は破れてこのままバッドエンドで終わってしまうのか?と思いきや、そこにJohn Bonhamの息子であるJasonから彼の「Jason Bonham's Led Zeppelin Evening」のオーディションを受けてみないかという誘いが入ります。かくしてジミー桜井はJasonのツアーの一員としてツアーに参加し、また日本でも別プロジェクトを展開して充実した演奏活動を取り戻すことができたことが字幕で紹介されて、映画は一応の多幸感のうちに幕を閉じます。
僕自身はもともと無いからね。ジミー・ペイジのギターを弾いて来ただけだから。
とジミー桜井が自ら語るとおり、彼にとって「トリビュート」とは文字どおりLed Zeppelinに敬意(忠誠と言ってもいいかもしれない)を示す行為であり、それは必然的に完全再現につながるのでしょう。この映画に接してまずぶつかる疑問は、それは音楽家のあり方としてどうなのか?という点です。冒頭に引用したように個性を“封印”し、“再現芸術”を追求し続けた
彼の姿勢は“異様”
とまで形容されていますが、異様というのは些か言いすぎのように思うにしても、Jimmy Pageの偉大さの本質は「創造性」にあると思う自分の観点からはやはり、この映画に描かれるジミー桜井の音楽との向き合い方に割り切れないものを感じます。ただ、ジミー桜井が彼を支援しているギター製作者から「どうする?世界中のどこかに桜井さん以上の人がいたら」と問われて「そのときは俺の仕事がもう終わるとき」と答える場面を見た後では、どこまでも孤高を目指すと宣言する彼の求道的な姿勢へのリスペクトを基底に持ちながら映画を見続けることができました。
また、Led Zepagainのボーカリストの言うこともよくわかります。バンドを維持するためには聴衆が楽しめるヒット曲集でステージを作らなければならないという彼の言は、ジミー桜井からは志が低いと思われたのかもしれませんが、そもそもアメリカの聴衆の中に1972年のどこそこでの演奏と1973年のどこそこでの演奏とを聴き分けられる者がどれだけいるのか?これが日本の小さなクラブであれば、そうしたこだわりを共有できるニッチなファンが集まってギグが成立することもありますが、Led Zepagainは単に楽しみとして音楽を聞きたいだけの聴衆に、その人たちが出したお金に見合う満足を提供することを目標としてツアーを行っているバンドです。映画を見ている側としては、主人公であるジミー桜井に感情移入しようとはするものの、ボーカリストが「ビジネス」という言葉を多用するのも至極当然のことに思えました。彼は彼で、バンドとそのスタッフを経済的に維持する責任を負い、そのことによる葛藤と戦っているわけなので。
このように、必ずしもジミー桜井を完全無欠のヒーローとして感じられなかったということは、この映画が客体から一歩引いた視点を維持し続けていたことの証拠でもあります。監督のピーター・マイケル・ダウドはハーバードでパーソナル・ドキュメンタリーの技法を学び、トリビュート・バンドの音楽シーンにまつわるドキュメンタリーを構想する中でジミー桜井と出会ってこれを映画に撮ることを決めたそうですが、Led Zepagainでのジミー桜井と他のメンバーとの軋轢は想定外。プログラムに掲載された監督のこの点に関する言は次のとおりです。
最初は「これは面白くなるぞ!」と思いました(笑)。というのも、日本のファンvsアメリカの流儀、理想vsビジネスの対立だったからです。芸術を作りたいのか、カネを稼ぎたいのか?観客にとっても興味深いディベートになると思いました。
それでも監督は、バンドが「4th Night」(マジソン・スクエア・ガーデンでの3daysライブにもし4日目があったとしたらという想定でステージを作る企画)実現に向けて日本の六本木EXシアターで実施したウォームアップギグでメンバーたちが絆を取り戻し、ハッピーエンドでこの映画を締めくくれると思っていたところ、その目論見は外れ、ジミー桜井はステージを降りてきたところで自分が目指すレベルには絶対に到達できないから、このバンドは辞める
と宣言してしまいました。このくだりは映画には出てきませんが、その後アメリカに戻ったバンドが「4th Night」企画を放棄し、新任のマネージャーとの衝突もあってジミー桜井がバンドを離れたときには、監督はこの映画にどう決着をつけるべきか悩んだのではないかと思います。ここで映画を終えるわけにはいかないと覚悟を決めた監督は、撮影続行のために自身も経済的な手当をしなければならず、自分の車を売るところまでいったそうですが、最終的にJason Bonhamという救い手が現れてくれたことは上記のとおりです。とは言うものの、映画のアウトロにはジミー桜井がJasonに対し「どのバージョンでいくか」を尋ねたところ、Jasonがこれを笑い飛ばすシーンが挿入されていました。2時間かけてジミー桜井氏の細部へのこだわりを描いてきて、最後の最後に「そんなのどのバージョンでもいいよ」的な笑い。これはジェイソンのバンドであってジミーのバンドではないことはジミー桜井も理解しているから実際には問題にならないのでしょうが、映画の作りとしては不思議な余韻の残し方だという気がします。
残された最後の難関は、この映画における楽曲群の使用許諾でした。断片ばかりとは言っても30曲もあるLed Zeppelinの楽曲の使用許諾を得ようとすることは「狂気の沙汰」だと周囲から言われ、実際、この映画の初上映の時点ではまだ許諾が降りておらず、監督は「最悪牢屋行きだな」と思いながら上映に臨んだそうです。監督へのインタビューの中でのこのくだりはとても感動的なので、ちょっと長くなりますがプログラムから引用してみます。
上映自体は大成功で、スタンディングオベーションに包まれたんですが、いまだに楽曲使用の許諾はない。iPhoneを充電しようとして、弁護士からのメールに気づきました。承認された曲がリストアップされていました。「胸いっぱいの愛を」、許可、「レイン・ソング」、許可、「天国への階段」、許可……。膝から力が抜けて、赤ん坊みたいに泣きました。申請した曲はすべて認められたんです!そこから他のアーティストの楽曲も道が開けました。ツェッペリンが破格の値段でOKしてくれたことで、格安の条件で交渉に応じてもらえたんです。
この映画はジミー桜井の物語ですが、この映画を作り上げたピーター・マイケル・ダウドにもこうしたドラマがあったことに心を向けながら見ると、さらに味わい深いものとなることでしょう。なお、このようにプログラムの中にはこの映画を理解するためのさまざまなヒントが掲載されていますが、ジミー桜井のギアもずらりと紹介されていました。ギターフリークならこれも必見ではないでしょうか。
映画の中で演奏されたLed Zeppelinの曲は次のとおりです。ライブのシーンももちろんその音質と音圧とで聴かせるのですが、最も印象的だったのは雨の庭でアコースティックギター1本で演奏される「The Rain Song」でした。とは言ってもいずれも通して演奏されることはなく、カット割の中でほんのひと節ふた節演奏されるだけであったり、改良したアンプやPUのチェックのために音出しをしただけのものまで含まれています。しかし、そうした断片であっても聞けばそこに独特の世界観が立ち上がるのが、Led Zeppelinの音楽のすごいところです。
- Dazed and Confused
- The Song Remaims the Same
- Since I've Been Loving You
- Whole Lotta Love
- The Rain Song
- Custard Pie
- Rock and Roll
- I Can't Quit You Baby
- Bron-Y-Aur Stomp
- Ramble On
- Stairway to Heaven
- Celebration Day
- Achilles Last Stand
- Black Dog
- Moby Dick
- Bron-Yr-Aur
- The Lemon Song
- Communication Breakdown
- Good Times Bad Times
- Going to California
- The Ocean
- Heartbreaker
- Kashmir
- Babe I'm Gonna Leave You
- Over the Hills and Far Away
- Misty Mountain Hop
- No Quarter
- Thank You
- Immigrant Song
- How Many More Times
また、劇中では数多くのブルースナンバーが場面間をつなぐブリッジとして使用されていましたが、これもLed Zeppelinの音楽と溶け合って映画の雰囲気作りに貢献していました。