雲水
2025/01/24
今日は母が入所している施設へ定例のご機嫌伺い。手土産は小田急線の下北沢駅構内で買った抹茶プリンですが、見ればその手提げ袋は趣があって素敵です。
落ち着いた色合いと味のある筆致で描かれた絵がいい雰囲気を醸し出していますが、そこに書かれた「行雲流水こううんりゅすい」の四文字にも興味を惹かれました。調べてみるとこれは北宋の文人政治家・蘇軾の「与謝民師推官書」に由来する言葉で、原文は次のとおりです。
大略如行雲流水 初無定質 但常行於所当行 常止於所不可不止 文理自然 姿態横生
行く雲、流れる水とは自然の雄大なさまを示す表現。蘇軾のこの言葉は、文章には定型というものはなく、自然の成り行きに任せて思うままに筆を走らせることが作文の極意であるとするものでしたが、転じて日本では、物事に執着せず淡々と自然の成り行きに任せて行動することを意味する言葉として用いられるようになり、一所に留まらず各地を巡り修行する禅僧を「雲水」と呼ぶのもここから来ているのだそうです。
この「行雲流水」が蘇軾の言葉であることを知ったところで思い出したのは、川本喜八郎の異色のアニメーション作品「旅」(1973年)でした。川本喜八郎(1925-2010)と言えば、安珍清姫伝説(能「道成寺」の前日譚)に題材をとった「道成寺」(1976年)やストレートに能「求塚」を映像化した「火宅」(1979年)といった純和風の作品が著名であるほか、NHKの人形劇「三国志」(1982年)と「平家物語」(1993年)の人形美術を担当したり難解作「死者の書」(2006年)で見る者を困惑に包んだり(?)と長年にわたり活躍した人形アニメーション作家ですが、今回思い出した「旅」はその作風の中では異色の切り絵アニメーションです。私がこの作品に初めて接したのはまだ「火宅」が公開される前で、「道成寺」をメインとする上映会の一コマとして見ましたから1970年代後半ということになりますが、その第一印象の強烈さは今でも鮮明に覚えています。そこで今回、蘇軾の言葉に触れたことをきっかけに手元にあるDVD『川本喜八郎作品集』を引っ張り出して、久しぶりに「旅」を見てみました。
「旅」はバッハのオルガン曲をバックに当時の日本(おそらく東京)を映すモノクロームの実写写真の連続で始まり、全編の主人公となる娘が海外旅行の中吊り広告を見上げる姿がクローズアップされるとそこに次の詩句が重なります。
廬山煙雨浙江潮
未到千般恨不消
これは蘇軾(蘇東坡)の「廬山煙雨」の一部で、この後に空を飛ぶ飛行機の姿がカラーの絵で描かれてから、不穏なムードの弦楽四重奏曲と共に画面の調子ががらっと変わっていきます。
最初に出てくる異国の回廊にはトルソが何体も連なっていることからギリシアあたりが旅先だろうという気がするものの、その後に展開する情景はなんとも不気味。これにはデ・キリコやサルバドール・ダリ、さらにはエッシャーなども連想しましたが、川本喜八郎自身の言葉によれば着想源はその後の世代であるウィーン幻想派の絵画なのだそうです。そうした中、回廊に現れた盲目の男に導かれて超現実的な情景の中を歩き回る娘が塔の上から目撃した空に浮かぶ白い男の半身像は、その後生気のない表情の売り子が店先に置く石膏像になったり、横たわる巨大な顔を背景として火に包まれる修行者になったり、さらには海上に浮かぶ幻影やインド人旅行者になったりして、たびたび娘の前にその姿を示します。それは娘自身の生(性)への執着の象徴のようでもあり、いずこかへの導き手のようにも見えてきます。
ところが、この幻想的な世界に似つかわしくないと思われる現実的な存在が、この戦車でした。そこに銃を構えて立つ兵士には顔がなく無名性が保たれているのですが、それにしてもこの戦車はなんなのか。しかし、川本喜八郎が1963-64年にチェコスロバキアの人形アニメーション作家イジー・トルンカの下で修行したという経歴を知れば、ここから「プラハの春」に対するソ連の軍事侵攻(1968年)を想起することは難しくありません。
また、この作品は川本喜八郎の過去だけでなく、未来ともつながっているようにも思えます。たとえば火に包まれる修行者の姿は「道成寺」の若い僧に、幻影となって出現する男は「死者の書」の俤おもかげびとに。
作中には生老病死の四苦が表現され、あてどない内面の旅を続けた娘が最後に般若心経を聞きながら金剛界曼荼羅の中央で結跏趺坐する姿が描かれた後、帰国後の娘が冒頭と同じモノクロームのスチールで映し出されます。
雑踏の中へ消えていく娘、そこに重なる蘇軾の七言絶句。オープニングでは第一句と第二句だけでしたが、エンディングでは第三句と第四句が加わっています。
廬山煙雨浙江潮
未到千般恨不消
到得還來無別事
廬山煙雨浙江潮
廬山は奇岩で知られる景勝地、浙江は海水が川を逆流する海嘯で著名。行かないうちは心が落ち着かなかったが、行って帰ってきてみれば別事無し。第一句と第四句が同じというのが特徴的で、おそらく行く前と行ってきた後では見え方が違っているのでしょう。また「別事無し」はいろいろに読むことができるようですが、川本喜八郎は人生の旅、それは苦の認識。しかし、それを認識したからといって、自分のまわりの世の中は何も変わらない
と解釈してこの作品に投影したのだそうです。
まさか抹茶プリンから蘇軾を介して川本喜八郎を思い起こすことになるとは思ってもいませんでしたが、この半世紀前の作品を久々に見てみても、そのシュールな世界観のインパクトは些かも色褪せていませんでした。しかし、この作品が作られた時代にはまだ自分の内面を拡張する契機にもなり得ていた「旅」というものが、そうした非日常性を少なからず失って「映え」という言葉に象徴されるSNSでの発信のチャンスに堕してしまっている現代では、旅の前後で「別事無し」なのは自分のまわりではなく自分自身のこととして「廬山煙雨」を読まなければならないのかもしれません。