絵本

2025/05/15

米倉斉加年(敬称略・以下同じ)と言えば変人も善人も巧みに演じこなす俳優で、私の中では大河ドラマ『風と雲と虹と』の興世王(最期を迎える場面が強烈)と焼肉のタレのCMのイメージですが、絵師・絵本作家としての一面も持っていたことは、かつて絵本『多毛留たける』がボローニア国際児童図書展でグラフィック大賞を受賞したことを取り上げた特集番組を見たときに知り、それ以来半世紀近く、この『多毛留』のことが心の片隅にずっと残っていました。そして、先日見た「異端の奇才 ビアズリー展」をきっかけに「オーブリー・ビアズリー」について調べたところ、Wikipediaの記事にビアズリーの影響が濃厚な画家の一人として米倉斉加年の名前が挙げられていたことから記憶が一気に蘇り、この機会に買い求めることにしました。

買い求めるにあたって今度は「米倉斉加年」の記事を渉猟したところ、同じ出版社から同じ判型で『多毛留』(1976年)と共に『おとなになれなかった弟たちに……』(1983年)が出されていることを知り、こちらも入手しました。後者についてはこれまで耳にする機会がなかったのですが、出版以来長きにわたり中学校1年生の国語の教科書に採用されていたそうなので、私よりある程度若い世代の人たちには本作の方がポピュラーなのかもしれません。

まず『多毛留』はむかし むかし 倭ノ奴ノくにでの話。漁師の阿羅志と彼が朝鮮から連れ帰った乙女との間に生まれた多毛留を主人公とし、方言を用いた簡潔な口調でファンタジー的に語られる短くも痛切なストーリーの中に、日本と朝鮮半島とのながいながいつきあいの歴史を浮かび上がらせるものです。

二年目乙女は目ばあげた
二年目阿羅志はじっと見た

二人は浜の小屋でねたったい

この場面での挿絵は本書の中で最もビアズリー的と思えるものですが、ここも含めて本書ではすべての見開きページに筆者の挿絵が大きく描かれていて、それらは文章以上に読者の意識を作品世界の中へと牽引する役割を果たしています。しかし、その多くに見られる繊細な描線と色彩感覚はビアズリーとは直結しないものですし、登場人物の顔立ちを強調する様式的な絵には日本の役者絵の伝統が取り込まれていたりもします。

一方『おとなになれなかった弟たちに……』は、米倉斉加年自身の体験に基づく挿絵入り児童文学といった趣きで、画風も『多毛留』とは異なります。

それは太平洋戦争中の食糧難の中でのこと、語り手(著者)とその妹に食べさせるために自分は満足に食べなかった母は、まだ乳児である語り手の弟ヒロユキに与える母乳が出ず、ときどき配給されるミルクに頼るしかなかったのですが、甘いものがほしい語り手はそれがいけないこととわかっていてもたびたび盗み飲みをしてしまいます。やがて栄養失調で亡くなったヒロユキの亡骸を棺に納めようとしたものの棺が小さくて納まらなかったとき、それまで涙を見せることがなかった母が「大きくなっていたんだね」と言って初めて泣いた、という話です。

空は高く高く青くすんでいました。ブウーンブウーンというB29の独特のエンジンの音がして、青空にキラッキラッと機体が美しくかがやいています。道にも畑にも、人影はありませんでした。歩いているのは三人だけです。

これはヒロユキの亡骸を背負った母と語り手とが病院から疎開先の家へ戻る場面で、ヒロユキはすでに亡くなっているのに歩いているのは三人だという言葉に胸を突かれる上に、空襲のさなか、それも真夏の昼日中でありながら「静謐」という言葉が当てはまりそうな独特の文体が二人の悲しみの深さを伝えます。そしてこの情景描写の後にはヒロユキの死の半月後に戦争が終わったことが淡々と述べられて、語り手は次の言葉で本書を締めくくります。

ぼくはひもじかったことと、弟の死は一生わすれません。

語られている事柄のリアルさとは裏腹に、鉛筆で描かれたと思われる挿絵はいずれもどこか儚げで、それはもしかするとまだ小学生だった筆者の記憶をそのままに描き出したものだったためかもしれません。しかし、本書のタイトル『おとなになれなかった弟たちに……』が「弟たち」と複数形を用いていることには、同じ境遇にあった子供がヒロユキだけではなかった(さらに「あとがき」の記述からすれば日本だけのことでもなかった)という米倉斉加年の思いがこめられていて、そのことが本書に自伝の枠を越えた普遍性をもたらしています。

こんな具合に二つの絵本を並べてみると単純にビアズリーの影響が濃厚などとは言えないことがわかりますし、むしろエゴン・シーレを連想させる線の揺らぎと表情の生々しさが際立つ絵もあって、米倉斉加年がいかにして自身の画風を確立していったのかという点に興味が湧いてきました。

この記事を書くにあたって初めて知ったことですが、絵師・米倉斉加年の作品を紹介するウェブ美術館『斉加年見世』というウェブサイトがあり、そこでは上記の絵本に掲載された絵のほか各種イラスト、夢野久作や吉行淳之介の作品の表紙絵などを見ることができます。そこから1点だけ引用させてもらうとして、ことに美しさが際立っていると感じたのは上の「花のスカーフをした女」(番号が付されているのでおそらく版画)でしたが、他にも例外なくつんと鼻が上を向いた女の子たちやアンニュイな雰囲気を漂わせる大人の女性たち、自画像のようにも見える道化師のシリーズなどがいずれも個性的です。

そしてこのサイトによって昨年12月に熊谷市で「米倉斉加年展」が開催されていたことを知って、これを見逃したことを残念に思いました。これは米倉斉加年の没後10年を記念して実施されたものだったらしく、イベントカレンダーを見ても今後これといった予定は入っていないのですが、もしいつの日か再び関東近県で同種の展覧会が開催されるようなら、足を運んでみたいと思っています。

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