炭素
映画『宇宙大怪獣ドゴラ』
2025/06/06
ある日、ある時、とあるサイトで昭和レトロ的な位置付けで東宝映画『宇宙大怪獣ドゴラ』が紹介されているのを目撃し、あまりに懐かしくなったのでAmazon Prime Videoでこの映画を見てしまいました。
本作は監督:本多猪四郎 / 特撮:円谷英二という鉄壁のツートップによる1964年8月公開の特撮映画ですが、Wikipediaの解説にあるように従来の着ぐるみによる怪獣映画とは異なり、光学合成による不定形の宇宙怪獣の表現に挑んだ異色作
で、そこに要約されているストーリーの通り、炭素をエネルギー源とするドゴラが巻き起こすダイヤ盗難や石炭浮遊の謎よりもこれと並行する宝石強盗団とそれを追うダイヤGメン&刑事とのアクションストーリーの方が分厚く、強盗団の一員である若林映子さん(後のボンドガール)と変な外人実はダイヤGメンのダン・ユマの存在感が突出していたりラストの銃撃戦が無駄に長かったりして、むしろアクション映画の味付けにホラー要素を加味したような感じです。
しかも、肝心のドゴラがそのクラゲ・タコ・ヒトデを合成したような完全形を炭鉱地帯である北九州市の上空に見せてくれるのは、約80分の尺のうち50分が経過してからのたった5分間だけ。ここでミサイル攻撃を受けたドゴラは細胞分裂して細かい光の玉のようなものに変わってしまうので、あまりにも「怪獣」としてのアイデンティティに乏しいと言わざるを得ません。もっとも、当時の東宝は本作にしろ前年の『マタンゴ』にしろホラーないしサスペンスに偏った作風を採用していたので、そもそも本作を「怪獣映画」として売り出す方が間違っていたのかもしれません。

とは言うものの、さすが円谷特技監督。上述の特徴的な形態を見せるドゴラの登場シーンの特撮の出来栄えは素晴らしいもので、ゆったりと触手をくねらせながら空中に漂うドゴラの動きや、渦を巻いて吸い上げられる石炭の描写はいったいどうやって撮っているのかと驚きを持って眺めました。これもWikipediaが種明かししてくれたところによると、ドゴラのふわふわとした動きはソフトビニールで作ったドゴラのミニチュアを水槽の中にテグスで吊り下げ下から水流を当てて実現しているということですし、石炭の方は天井に吊るした一斗缶の中に入れた黒く着色した砂を回転させながら落下させて撮影したものだそうで、それらの実現のために要した知恵と努力にいたく敬服すると共に、せめて最後にドゴラが退治される場面でも完全形での断末魔を見せてほしかったと思わずにはいられませんでした。

……とまあ、褒めているのかけなしているのかわからない感想を書き連ねましたが、なぜこれが「懐かしい」映画だったのかと言うと、私の記憶の中にある最古の映画だからです。上述の通りこの映画の公開は1964年8月で、そのとき私はまだ4歳。もちろん父が映画館に連れて行ってくれたのですが、私はドゴラに向かって発射されたミサイルが炸裂するときの轟音が怖くなってしまい、父にせがんでこの場面のさなかに映画館を出てしまったことを覚えています。しかし映画のストーリー、とりわけ強盗団にまつわる描写はまったく覚えておらず、ただ単に「ふわふわと浮遊する生き物にミサイルが当たって炎が上がる」場面の記憶だけが、上映途中(しかも一番の見せ場)で外に出たいと騒いだ自分のわがままの苦い思い出と共に今に至るまで残り続けていたのですが、今回こうして本作を61年ぶりに見直してみて、むしろこの場面に至る50分間の大人テイストのストーリー展開をよく我慢していたものだと感心してしまいました。

それにしても、父はなぜこの映画を4歳の私に見せようとしたのか不思議でなりません。ここで考えてみると、当時の父の年齢は33歳とまだまだ若い。怪獣映画だって好きだったかもしれません。もし父自身がこの映画を楽しんでいたのだとしたらと思うとなんとも申し訳ない気持ちになるのですが、Wikipediaの記事を読んでいるうちにもう一つの可能性に気がつきました。それは、父自身の目当ては同時上映の『喜劇 駅前音頭』(森繁久弥、伴淳三郎ほか出演)で、たまたま「怪獣映画」が併映されていたので我が子を自分の娯楽のだしにした、というものです。なぜなら、そのときは私の弟がまだ生後6カ月で母は乳児の世話に追われており、父としてもたまの休日に一人で遊びに出かけるのは後ろめたかったでしょうから。それに『喜劇 駅前音頭』の舞台は「小田急線のC駅」で、この映画の10年後に父が念願のマイホームを持ったのが小田急線沿線の百合ヶ丘だったことと符合しているような気もします。はたして真相はいかに?
父が亡くなってから4年半がたつ中で「存命のうちに話を聞いておけばよかった」としみじみ思うことがいくつかありました。本件も、その一つです。