三輪

能楽五流流儀横断講座「三輪」

2025/07/30

この日は国立能楽堂大講義室で金春流能楽師・中村昌弘師の企画による「流儀横断講座『三輪』(『海士』)」。講師陣は例によって金春流:中村師、観世流:武田宗典師、宝生流:高橋憲正師、金剛流:宇髙竜成師、喜多流:大島輝久師の五人です。能「三輪」は2010年2023年にいずれも観世流(小書なし)で観ていますが、他流ではどうなるのか、小書がつくとどう変わるのかなど、まさにこの講座の主題は自分にとって関心のあるところでした。

◎以下、いつものようにいくつかのテーマを設定して五流の比較が行われましたが、毎度のごとく情報量が多くメモをとるのが大変で、その場で説明されたことのすべてを正確には書き留められていないことを最初に断っておきます。

  • 小書
    • 〔春〕《三光》。重い習いの小書で、後場の舞の途中でシテが(岩戸隠れのごとく)幕の内に入ってしまう。
    • 〔観〕《誓納》《白式神神楽》など七つ。《誓納》は宗家のみの一子相伝[1]。《白式神神楽》は岩戸隠れから出てくる様子を写実的に再現するという意図があるが、《誓納》は何か違う要素が入っているように思う。
    • 〔宝〕小書はありません。
    • 〔剛〕《神道》《素囃子》の二つ。《神道》も観世流の《誓納》と同じく宗家のみの一子相伝で、同じ「三輪」とは思えないほど違ってくる。
    • 〔喜〕《神遊》《岩戸の舞》。前者は(一子相伝とはされていないが)小書として最も重い。後者は暗闇の中のイメージで橋掛リをゆっくり進むものだが、上演機会はあまりない。
  • 出立
    • 前シテ
      • 〔春〕曲見(深井にすることも)、紅無唐織、数珠、木の葉。
      • 〔観〕深井(曲見にすることも)、紅無唐織。小書がつくと木の葉を水桶に入れて出てくる。
      • 〔宝〕曲見、紅無唐織、数珠、木の葉。
      • 〔剛〕同上。数珠ではなく扇を持つ。
      • 〔喜〕同上。数珠と木の葉。
      • ここで数珠の持ち方(〔観〕〔宝〕は二重に束ね〔春〕は一重、〔喜〕はシテ次第[2])や衣の持ち方(〔観〕の写真では左腕にとった衣を胸に抱くようにしていたが、これはワキが置いた衣を自分でとった場合。演出によってワキから腕に掛けてもらう場合もある)、合掌のときの足の爪立て方、引廻シの色などをひとしきり確認。
    • 後シテ
      • 〔春〕増、金の風折烏帽子(金風きんかざ)、長絹(白が多い)、緋大口。《三光》では扇は御幣になり狩衣を衣紋に(胸前を内側に折り込んで普通の着物の衿のように合わせて)着る。
      • 〔観〕増、烏帽子は黒。長絹は紫が多い。最初に幣を持ち、クセ、神楽……と幣・扇を持ち替える。《白式神神楽》では白の着付に白の狩衣、白大口、頭は垂髪すべらかしにする。手には紙垂をつけた榊。《誓納》の場合は白い直衣に赤い指貫。なお《白式神神楽》では作リ物は笛座の前に斜めに置く。また《白式神神楽》《誓納》の作リ物は青竹で作る。
      • 〔宝〕泣僧、金風、白長絹、緋大口。
      • 〔剛〕増、金風、白長絹、緋大口。3年前に若宗家が「龍門之會」で《神道》を演じたときは黒烏帽子に狩衣を衣紋に着て、手の御幣は六角の幣という特別な物を用いた。面は本番では増髪だったと思う。
      • 〔喜〕小面(巫女に憑依したものだから)、金風、白長絹、緋大口。《神遊》では金風、狩衣(本来は袷、二度目以降は単が多い)。この小書では幕際で翁舞の姿(左袖を被き扇を面の前)により岩戸隠れを示す。
      • 紙垂の形についてひとくさり。人形(両紙垂)は伊勢系統?稲妻型(片紙垂)は吉田神道?
    • 前シテから後シテへの着替えに関しての話題。大島師は「三輪」の着替中に引廻シが落ちてしまうという大トラブル(!)に遭遇したことがあるそう。さらに水衣の作リ物への掛け方の難しさを皆が熱弁し、武田宗和師(宗典師の父君)の《白式神神楽》の写真での後シテの出立の完璧さに後見の腕前を一同絶賛。狭い作リ物の中で面・装束のみならず鬘まで替えるのは至難の業らしく、武田師によれば観世会の中でもしばらく前まで《誓納》《白式神神楽》で後見を勤めていたのは野村四郎・木月孚行・武田宗和の三師くらいだったそう。
    • 謡い継ぎ
      • 大島師:クセ上羽「まだ青柳の」〜。
      • 宇髙師:ロンギ「げに有難き」〜。
      • 高橋師:「天の岩戸を」〜。
      • 武田師:「天照大神」〜。
      • 中村師:キリ「思えば伊勢と三輪の神〜名残なるらん」。
    • 詞章について
      • 本曲は神が人(玄賓僧都)に救済を求める構図。それほどワキが尊い方であることを示す上でワキ謡山頭には夜孤輪の月を戴き、洞口には朝一片の雲を吐く。山田もるそほづの身こそ悲しけれ。秋はてぬれば。訪ふ人もなしは重要なのではないか。でも自分は謡いませんよ(大島師)という話から、素謡会でワキをあてがわれたときの苦労(高橋師)や、普段聞いているワキ方(たとえば下掛宝生流)の謡い方が耳に残っているからかえって自分の流儀のワキ謡が出てこない(大島師)、素謡会では客がみな謡本を見ながら聞いているので緊張するし客の顔が一斉に上がると「間違えたかな?」とドギマギする(武田師・高橋師)、といった話が披露されました。さらに講座の最後の方で、この秋はてぬればという枯れ枯れしい雰囲気を生かすために前シテは(詞章の中には中年女性であることを示すくだりがないにもかかわらず)紅無になっているのではないかという形でこのワキ謡が再度引き合いに出されました。
      • クセの詞章に描かれる神婚譚の中にはエロスが感じられる。脇能に近い雰囲気を持つ「三輪」の中に妖艶なクセがあるところが、この曲の魅力であると思う(大島師)。
    • 苧環に針をつけ。裳裾にこれを閉ぢつけて。跡をひかへて慕ひ行くを舞台上で再現。〔観〕は糸をつける所作が写実的、〔春〕は針がついている感じがしない&〔剛〕は型が多い!と高橋師がツッコミを入れ、そこから片左右と左右の比較になって再び高橋師から〔春〕は手が高い&〔剛〕は動きすぎ!と再び指摘が入りました。
    • さらに合掌の際の手の位置(〔観〕〔宝〕は低い位置)と面の照り曇り具合の比較があり、喜多流では頭を下げないのが常だったのに某辛口能評家がこれを批判したら流儀の中でもやり方が変わってしまったという恐ろしい話まで聞かれました。
    • 糸くり返し行く程にでは「三輪」にしかない特殊な型が出てくるが、ここでは今までとは逆に高橋師が武田師から「いっぱい動きますね」とからかわれていました。
    • 岩戸を少し開き給へばでの天の岩戸の開き方も比較され、〔春〕〔剛〕は目一杯開いている感じ、他三流は肩幅程度。
    • こはそもあさましやと驚く場面は〔春〕〔観〕は一足ツメるだけ、他流は左回りに回ってみせて、〔春〕と〔観〕が近いのは珍しいと驚かれていました。
  • 再び小書
    • (大島師)常の形ではシテが作リ物の後ろから出た後にシテに関係なく引廻シが下ろされるが、これは「三輪」だけかもしれない。これは小書がついたときに限り作リ物の中から変身したシテの姿が現れるという劇的効果への配慮(小書への遠慮)だろうか?
    • (高橋師)小書がない〔宝〕では引廻シが下ろされたときに作リ物の中から後シテが登場するのが常の演出。そもそも小書つきの演出の方が自然だというなら、いつも《神遊》にすればいいのではないか。〔宝〕はよりよい演出をスタンダードにしようという考え方をとっているので小書が(少)ないのだと思う。
    • (武田師)〔観〕の場合、《誓納》は宗家一子相伝なので、もともとは小書なしの「三輪」が普通だったはず。ところが江戸末期に朝廷筋の後援者から京都の片山家が《誓納》をやってくれと言われてそういうわけにもいかず、その代わりとして作ることを認められたのが《白式神神楽》。
    • (大島師)この問題は伝統芸能の根本に関わることだと思う。歌舞伎関係の方と話したとき、歌舞伎では人気役者が人気演目をやるから客が集まるのに能はなぜそれをしないのかと問われたが、そこには興行中心の考え方と伝統(「小書なしのピュアな演出」を含むニュアンス)を残すという考え方との境目があるのかもしれない。
    • (高橋師)宝生流は大和猿楽四座のうち大神神社がある桜井市に根拠を置いた外山とび座が源流なので、ことに「三輪」を大事にしており、それだけに「これが完璧」だというものを残してきた結果小書がないのだろうと自分としては考えている。←(大島師)その点は金春の芸とされる「道成寺」にも同じことが言えるかもしれない。

こんな具合にいつになく(?)ディープな議論で締めくくられた今回の講座でしたが、最後に登壇者それぞれの今後の演能予定が紹介された中で、それまで「流儀の主張」としての小書の少なさをさんざんアピールしていた高橋師が8月に能登復興支援特別公演として上演する「融」に《酌之舞》がついているというオチがあったりして、観客の期待を裏切らない楽しくもためになる講座になりました。

こうなるとなるべく早いタイミングで小書つきの「三輪」を観てみたくなってきますが、何度も強調されていたとおり宝生流には小書がないということなので、今日の高橋師の熱弁にもかかわらず他の四流で拝見することになりそうです。スミマセン。

脚注

  1. ^2023年に銕仙会能楽研修所での青山能で本曲が上演された後、終演後の小講座で観客から「《誓納》というのはどういう演出か?」という質問が飛びましたが、講師の観世淳夫師は「明らかに違う、としか言えない」と回答していました。
  2. ^ここで宇髙竜成師が「宗派が関係するんでしょうか」と口をはさんで会場に笑いがおきましたが、確かに宗派によって数珠の持ち方は違いますから、あながち外していないような気もします。
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