火垂
「高畑勲展 日本のアニメーションを作った男。」
2025/08/15
麻布台ヒルズ・ギャラリーで開催中の「高畑勲展」を見てきました。サブタイトル「日本のアニメーションを作った男。」が示すとおり、高畑勲氏(1935-2018)は日本を代表するアニメーション監督の一人で、2019年に開催されたその回顧展を見逃したときに残念な思いをしていたところ、このたびの展覧会の報に接したため迷いもなくチケットを買い求めました。
展示の構成は、まず最初に高畑氏がアニメーションの道に進むきっかけを作ったフランスのアニメーション映画『やぶにらみの暴君』(後に『王と鳥』)が紹介されてから、時系列に沿って高畑氏が関わった作品が順次取り上げられるかたちとなっています。
第1章 出発点
東映動画の長編作品『安寿と厨子王丸』(1961)『わんぱく王子の大蛇退治』(1963)やTVシリーズ『狼少年ケン』(1963-65)で腕を磨いた高畑氏が初めて監督を勤め、後に日本のアニメーション映画の金字塔として評価されることになる『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)が、この章の眼目となります。本作は個人的にも思い入れが深く、自分にとって「高畑勲」と言えば「ホルスの」と枕詞がつくくらいの位置付けですが、展示の方も充実しており、各種キャラクタースケッチやイメージボードに加えて、ストーリーの起伏や登場人物の相関関係を緻密に設定しながら制作していった過程が跡づけられていました。本作は、作り手たちの思いと製作費を出す会社側とのせめぎ合いの中で高畑氏としては不本意だった部分もなきにしもあらず(たとえば「湖渡る」のシーンが丸ごとカットされたなど)であることは有名なエピソードですが、その一端として会社側から高畑氏に対し「いつまでにできるのか明らかにせよ」と迫るレターまでも展示されていたのは驚きでした。
第2章 日常生活のよろこび
東映動画を離れた高畑氏の姿を『長くつ下のピッピ』の挫折と『パンダコパンダ』2作を経て『アルプスの少女ハイジ』(1974)『母をたずねて三千里』(1976年)『赤毛のアン』(1979年)という三つのTVシリーズで後づける章。これらの作品の中では『母をたずねて三千里』に深いなじみがあり、特にジェノヴァの町を描いた味わい深い背景画の数々に惹かれましたが、『アルプスの少女ハイジ』の製作に先立ってスイスで行われたロケハンの様子を示す数々の写真も、自分が毎夏のようにスイス(ツェルマットやグリンデルワルト)に通っていた頃を思い出させてくれました。
第3章 日本文化への眼差し
高畑氏が『じゃりン子チエ』(1981)を手がけたときは題材の意外さに驚いたものですが、この展覧会での解説によってこれ以降の高畑氏が日本の風土や庶民の生活のリアリティに関心を向け続けたことを知ってようやく納得がいきました。この章で取り上げられた作品は『セロ弾きのゴーシュ』(1982)『火垂るの墓』(1986)『おもひでぽろぽろ』(1991)『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)で、特に今年は終戦後80年にあたることから『火垂るの墓』がキービジュアルに採用されていました。実はこの作品は見るのが怖くてまだ見られていなかったのですが、展示の中では本作が徹底した考証を下敷きに制作されたことが示され、幽霊を導入した演出意図や色彩設定の意味、主人公の少女のプリレコにまつわるエピソードなども丁寧に紹介されており、さらに新たに見つかった「重巡洋艦摩耶のハーモニーセル」(庵野秀明氏作成)も展示されていて興味深いものでした。なお、公開時に『火垂るの墓』は『となりのトトロ』と同時上映だったことを認識して仰天。この2作を一度に見た観客は感情のジェットコースターに乗せられたようなものだな(そう言えば東宝『ハワイの若大将』(1963)の同時上映は『マタンゴ』という恐ろしい例もありますが)。
第4章 スケッチの躍動
『じゃりン子チエ』に意外さを感じたように『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)にも公開当時さらなる不思議を覚えました(なにせこの頃、宮崎駿氏の方は『もののけ姫』(1997)『千と千尋の神隠し』(2001)とファンタジーまっしぐらでしたから)が、本作は90年代に絵巻物研究従来のセル画様式を離れ、デジタル技術を駆使して手描きの線を生かした水彩画風の描法にトライしたものだったとのこと。会場にはそのサンプルが3場面上映されていて、確かにそこには不思議なほどによく動く線画の登場人物たちの生き生きとした姿がありました。そして、その方向性を推し進めたものが高畑氏の最後の作品にして傑作の誉高い『かぐや姫の物語』(2013年)です。本作もまたラフなタッチの描線をそのまま動かす独特の表現方法が公開時に話題となり、私もぜひ映画館で見たいと思いながら果たせなかった作品ですが、会場で部分上映されていた「かぐや姫が激情に駆られて疾走する場面」は本当にすごい。荒々しく駆け続けるかぐや姫の姿を普通に前後側方から撮るだけでなく、走り続けるかぐや姫の目線で見上げる月がぐらぐら動いていたり、かぐや姫と並走し(したがって仮想のカメラも揺れ)ながらかぐや姫とその向こうの空の月を捉え続けやがて追いつけなくなるといったショットが連続して、その突き抜けたアイデアと表現力とに呆然としてしまいました。
このように数年来の願望が果たせて、あらためて高畑勲氏の表現者としての深みを知り、予想通り「ホルスの」という枕詞は矮小に過ぎることを実感できたのは幸いでした。その結果、あらためて『かぐや姫の物語』を鑑賞する機会を作ろうと心に決めることはできたのですが、かたや『火垂るの墓』に関しては、この展示の後でもまだ見ようという勇気を持てていません。


展示の中には、高畑勲氏が「我が師」と崇めたフレデリック・バックへの言及もありました。掲示されていたのは『クラック!』(1981)の部分映像やマルク・シャガールそのものの『トゥ・リアン』(1977)の複製画、それにバックから高畑氏に送られた手紙で、高畑氏がバックの自宅を訪ねて『かぐや姫の物語』を見せた8日後に、バックは亡くなったのだそうです。実はバックの『木を植えた男』(1987)も見たいと思いながら見られていなかった作品の一つだったのですが、この展覧会でバックの名に接したことを機に探してみたら、容易に見つけられました。
これも、この展覧会に足を運んだことの収穫のひとつです。