十四

石川直樹『最後の山』

2025/09/22

石川直樹『最後の山』(2025年9月19日発行)読了。

1977年生まれの著者は登山家・冒険家としての顔を持つ写真家で、23歳のときに当時最年少で七大陸最高峰を制覇したことで早くから知られ、2024年10月には日本人二人目の8000メートル峰全14座登頂者になったことで再びその名を轟かせた人物ですが、恐縮ながら私は自分のアマ・ダブラム登頂の後に、著者のアマ・ダブラム登山を描いたYouTube動画をそのあまりに素朴な作りに呆然としつつ眺めたという程度の認識の浅さでした。

その認識の浅さの底には、セブンサミッターはおろか14サミッターですらすでにかつてほどの希少価値を失っている(著者自身がそのように記しています)上に、私自身にも酸素ボンベを使った登山への興味がない[1]ことが重なっていましたが、そうは言っても8000m峰の大変さは肌感覚としてある程度想像できるので、高所登山の模様を生々しく描く本書の出版はやはり興味深く、Kindle版を予約購入して配信早々に読み始めたというわけです。

上記のとおり20代でセブンサミッターになっていることからもわかるように、著者の最初の8000m峰は2001年のエベレスト(チベット側から)で、その後2011年のエベレスト(ネパール側から)、2012年マナスル(認定頂上)、2013年ローツェ、2014年マカルーと続きますが、本書の中ではこれらについては触れられておらず、2019年にその後長きにわたって信頼関係を結ぶことになるクライミングシェルパのミンマ・Gと出会って共に登ったガッシャブルムII以降の登山の様子が時系列に沿って綴られます。本書によれば、著者自身が14座のコンプリートを意識するようになったのはコロナ明け後の2022年にミンマ・Gからダウラギリに誘われたことがきっかけで、その年にダウラギリ、カンチェンジュンガ、K2、ブロードピーク、マナスル(真の頂上)と一気に5峰を落とし、2023年はアンナプルナ、ナンガパルバット、ガッシャブルムI、チョ・オユー、そして2024年にシシャパンマを登って14座をコンプリートしています。驚くべきハイペースですが、しかし本書は単なる著者の登頂成功譚というわけではなく、いくつかの山行では条件が整わなかったり事故に遭遇したりして無念の撤退を余儀なくされた様子も克明に記していますし、同時にミンマ・G、ニルマル・プルジャといった自立したクライマーとしてのアイデンティティを備えたシェルパたちの姿も活写しています。この、新世代のシェルパたちが新しい時代を切り拓く様子を間近で記録していきたいという気持ちが、著者の14座完登を後押しすると共に本書の上梓の動機にもなっているようです。

▲8000m峰14座と著者の登頂日。(本書より引用)

このように厚みのある内容を持つ本書に書かれていることを細々と紹介する愚は避けますが、読んでいて心に残った次の2点はここに書き留めておきたいと思います。これらのエピソードに興味を持った方には、本書を買い求めて一読することを強く勧めます。

  • 2023年春、アンナプルナBCに入った著者は長引く悪天候のために1カ月ほども足止めをくってしまいました。毎日、近くの氷河からとれる水でコーヒーを淹れ、その水で調理された食事をとり、少しずつ体内の水分が氷河の水に置き換わっていく。このことを著者は次のように述べています。ぼくの体を形作る水分は少しずつアンナプルナのそれになっていき、やがて遠征が1カ月を超えると、ぼくは山と同化していくことになる。高所順応というのは、高度に体を慣らすだけでなく、その内部も山そのものに近づいていく行為ではないかやがて好天の窓を得てC2まで上がった著者は、そこでそれまで数々の山で相棒を勤めてくれていたシェルパの若者がエベレストのアイスフォールで事故死したというニュースに接します。後日、この相棒の故郷を訪ね年老いた両親と対面する場面は、読んでいて胸が締め付けられてきます。
  • 2023年秋のシシャパンマは、成功すれば著者だけでなくミンマ・Gはじめ複数のシェルパにとっても14座達成の機会となるはずでしたが、思わぬかたちで失敗に終わりました。彼らは二つの隊に分かれて山頂を目指していたのですが、両隊にアメリカ人女性初の全14座登頂というタイトルを賭けて競い合っているクライアントがおり、そのペースに巻き込まれて両隊はプジャ(祈祷)すらも執り行うことなく同日に拙速とも思えるサミットプッシュを敢行します。しかし、異なるラインから頂上を目指した二人の女性は、登頂を前にしてそれぞれ別の場所でサポートのシェルパと共に雪崩に巻き込まれ生命を失いました。二人のそれぞれと友情を結び、しかもそのうちの一人を自分の視界内で失った上に、自分とシェルパたちの夢も潰えることになった著者の落胆は大きかったのですが、そこに抗いがたい山の意思を感じた著者はシシャパンマに対する敬意や畏怖の念を忘れ、プジャもせずに登り始め、スピードを争った。そんなことをしていたから山が怒ったんだ。彼女たちを登らせないようにしたんだ。そんな風に考えてしまったと記しています。この敗退の顛末を記す章は、本書の中でもとりわけドラマティックです。

なお、2024年に捲土重来を果たして文字通り「最後の山」となったシシャパンマは唯一チベット内に山のすべてがある8000m峰で、よって登山の際にはネパールから中国への越境という手続面でのハードルが加わります[2]。この許可の取得から入国審査までの難儀な様子も本書は詳しく記していますが、本を正せばシェルパ族は「シェルパ」という言葉がチベット語の「シャール・パཤར་པ」=「東方から来た人」に由来しているように東チベットにルーツを持ち、チョ・オユーの西のナンパ・ラ(標高5806mの峠)を越えてネパールのクーンブ地方へ移住してきた民族なのだそうです。

▲クーンブ地方の地図。マゼンタ色の線は2024年のアマ・ダブラム登山時に歩いたルート。

このナンパ・ラを介したチベットとネパールとの交易の拠点だったのがナムチェ・バザールだということは2018年のエベレスト・ベースキャンプへの旅の際に学んだことですが、今年の11月に私は再びこの地方を訪れて、計画通りに行ければゴーキョから西へレンジョ・ラを越え、かつての交易路であったボーデ・コシ沿いの道を歩くことになっています。もともとこの旅はコンマ・ラ、チョ・ラ、レンジョ・ラという5000m超の三つの峠を越えることを主眼としていましたが、そこにかつての交易路の一部を辿るという意義を加えることができたのも、本書から得られた付加価値でした。

脚注

  1. ^あくまで私は興味がないという話であって、酸素ボンベを使用した登山の価値を否定するものではありません。たとえ酸素ボンベを使用しようがフィックスロープとシェルパに頼ろうが、「高所」は最終的には登山者自身の身体と心の持久力を厳しく求められる世界であり、その環境にうち克っての8000m峰登頂は偉業です。
  2. ^かつては「最初に登るべき8000m峰」とされていたチョ・オユーも、山頂はネパールと中国との国境線上にあるものの、ベースキャンプはナンパ・ラ近くのチベット側にあるために同様の手続が必要になります。そう言えば昨年私がネパールを離れる前日に現地のGlacier Himalaya Treks & Expedtions社のダデンディ社長と会食を持ったとき、同席していたスペイン人登山者からの「来年8000m峰に登るとしたらどこがいいか」という質問に対してダデンディ社長がチョ・オユーではなくマナスルを勧めていたのもそうした理由だったことを、本書を読んでいて思い出しました。
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