野心

映画『レッド・ツェッペリン:ビカミング』

2025/09/26

TOHOシネマズ日比谷で、映画『レッド・ツェッペリン:ビカミング』(原題『BECOMING LED ZEPPELIN』:バーナード・マクマホン監督)を観てきました。そのタイトルの通り、この映画はLed Zeppelinの結成初期を捉えたドキュメンタリー作品で、過去の写真や映像と存命のメンバー(Jimmy Page, John Paul Jones, Robert Plant)へのインタビューを組み合わせ、メンバー一人一人の生い立ちから始まり音楽的な志向のルーツと自らも音楽で身を立てていく決意を固める過程、そして音楽家としてのキャリアのスタートを経てLed Zeppelinを結成するに至るプロセスを見事に描いています。

これを見ると、既にプロの音楽家として高い名声を得ていたJimmy PageがThe Yardbirdsの終焉を機に明確な方向性を持って自身のバンドを結成しようと動き出してRobert Plantを見出し、Robertの勧誘でJohn Bonhamが加わり、そこにやはりプロとして十分なキャリアを積みJimmy Pageとも旧知の仲だったJohn Paul Jonesが手を挙げたというバンド創生の流れがわかります。また、Jimmy Pageが最初から米国マーケットで売れることを目指すプロデューサー目線を持っていたことも見てとれますが、そのことを象徴する場面として、彼らがファーストアルバムをリリースする前のギグの様子を見ると同じ「Communication Breakdown」を歌っていてもイギリスの聴衆は場違いなものを見ているように呆然としているのに対し、アメリカ(サンフランシスコ)の聴衆はノリノリに踊りまくっていました。もっとも、生い立ちのパートで語られているように彼らはブルーズやR&B、ソウルといったアメリカ音楽への憧れからミュージシャンへの道を歩み始めているので、そんな彼らが作った音楽がアメリカ市場との親和性が高いのは当然と言えば当然です。そしてアメリカでの名声が逆輸入されるかたちでついにイギリスでも人気を得たLed Zeppelinが、米国ツアーの最中に制作したセカンドアルバムを引っ提げて1970年1月に行ったロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのライブがこの映画のクライマックスとなり、夢を現実のものとした若かりし頃を回想するメンバーたちの姿を映し出して映画は終わります。

こうしたストーリーの組立ては奇を衒わずに王道を行くスタイルであり、バンドに関する予備知識を覆すような新事実が提示されるわけでもなく、映像も多くは既出のものなのですが、それでもこの映画が高く評価される重要なポイントは、新たなリサーチを通じて獲得した写真(ステージ写真ばかりではなくメンバーの幼少期や音楽活動の初期までも)と共に、これまでその存在が知られていなかったJohn Bonham(1980年死去)のインタビュー音源を発掘していることです。このインタビューは1970年代初頭にオーストラリア人ジャーナリストによって収録されたものらしく、監督は以前聞いたことがあったブートレグに残されたインタビュアーの訛りを手掛かりにキャンベラの国立アーカイブに探索を依頼して僥倖を得たのだそうですが、そこに残されたJohn Bonhamの肉声を聴くJimmy PageやRobert Plantの驚いたようなうれしいような表情が、この映画のもう一つのクライマックスであったように思います。

もちろんロックバンドのヒストリーを追った映画なので演奏シーンも豊富に組み込まれており、たとえばThe Yardbirds名義によるデンマークでの「How Many More Times」や1969年3月のロンドンでのスーパーショウにおける「Dazed and Confused」、同年6月のバース・フェスティバル・オブ・ブルースでの「I Can't Quit You Baby」、上記ロイヤル・アルバート・ホールでの「What Is and What Should Never Be」などが断片的ではなくしっかり通して演奏されています。中でもロイヤル・アルバート・ホールの聴衆が狂ったように「Led Zep!!」コールを連呼している様子は圧巻でしたが、それもむべなるかなと思わせる演奏のクオリティとパワーは、とてもデビューしたてのバンドのものではありません。このライブの映像は実は過去にまとまったかたちで観ているのですが、映画館ならではの大音量で聴くその迫力はやはり圧倒的でした。

▲劇中で使用された曲の一覧。(パンフレットから引用)

この映画をLed Zeppelinの全史を扱う映画だと勘違いして鑑賞したために「ここで終わり?」という感想を持った客もいたようですが、タイトルに「ビカミング」とあるのだからそんなはずはないことは最初から自明ですし、監督自身も本作の制作意図を、人生で何をしたいかを考えている若者たちに向けて野心的な目標にどのように取り組むか、磨くべきスキル、自分自身の中に見出すべき決意と目的、そして他人と協力する能力を示すことにあったと述べていますから、アルバム『II』の大ヒットとロイヤル・アルバート・ホールでのライブをクライマックスとした本作の締めくくり方は当を得たものというほかありません。それは戦略家としてLed Zeppelinを牽引したJimmy Pageにとっても、売れっ子スタジオミュージシャンの地位を捨ててバンドの一員となったJohn Paul Jonesにとっても、まだ二十歳そこそこで自身の音楽家としての未来像を描けていなかったであろうRobert PlantとJohn Bonhamにとっても、自分たちの野心が成就した瞬間だったに違いないからです。

最後に、見ていて「おっ?」と思った点をいくつか挙げておきます(時系列は逆に遡ります)。

  • Led Zeppelinはファーストアルバムを出す前にVanilla Fudgeの前座として米国ツアーを行っており、その際にVanilla FudgeによくしてもらったとJimmy Pageが述懐しています。当然John BohnamもCarmine Appiceの薫陶を受けることになるのですが、その文脈上でJohn Bonhamが一時期(ごく限られた期間でしたが)ツーバスのセットを叩いていたことを初めて知りました。
  • John Paul Jonesが最初のギグを行ったときのRobert Plantの印象を述べる場面で、喉を酷使するスタイルを心配したことを明かしていました。Robert Plantは5枚目のアルバム『聖なる館』の頃にはかつてのような声が出せなくなっていたと言われていますが、確かに初期のステージの様子を見るとそれも無理はないと思います。
  • 四人の中ではJohn Bonhamが一番破天荒というイメージを持っていましたが、バンド創設前後の様子を見るとRobert Plantの方がワルだったことが窺えます。そのためBonhamの妻は夫がRobert Plantと組むことを嫌がり、Plantのことを災厄(disaster)とさえ呼んでいました。
  • Jimmy PageとJeff BeckがThe Yardbirdsのステージに共に立っている映像の中で、Jeff Beckがギターをアンプに叩きつけて破壊していました。Jeff Beckにもこういう一面があったのか、と驚きましたが、当時はミュージシャンの破壊衝動以上にオーディエンスの側に刺激を期待する空気が強かったことは、Keith Emersonの自伝にも書かれていたことです。
  • John Paul Jonesの初期の写真を見ると、手にしているベースはFender Bass VI。確かThe BeatlesでもPaul McCartneyがピアノを弾く曲ではJohn Lennonがこのベースを弾いていたと記憶していますが、John Paul Jonesと言えばFender Jazz Bassだと思っていたので意表を突かれました。
  • Shirley Basseyによる「007 Goldfinger」の熱唱場面がありましたが、その伴奏にJimmy PageとJohn Paul Jonesも加わっていたことを、恥ずかしながらこの映画で初めて知りました。これは二人が早くからプロの演奏家としてキャリアを積んでいたことを示すエピソードでしたが、それにしてもShirley Bassey、かっこいい……。
  • Hatena::Bookmark