樺太

『ジャッカ・ドフニ 大切なものを収める家』

2026/02/05

〔監修〕北海道立北方民族博物館〔編集〕高島屋史料館TOKYO『ジャッカ・ドフニ 大切なものを収める家―サハリン少数民族ウイルタと「出会う」』読了。

この「ジャッカ・ドフニ」という不思議な響きの言葉はウイルタ語で、その意味は本書のタイトルにある「大切なものを収める家」です。これは1978年から途中に休館期間をはさみつつ2012年まで網走市にあったサハリン少数民族の資料館[1]の名前でもあり、同館の閉館後にその収蔵品(「大切なもの」)は同じ網走市の北海道立北方民族博物館へ移管されているのですが、本書は2024年にそれら旧収蔵品を東京で公開した高島屋資料館TOKYOの展覧会の「図録」として刊行されたものです。

先月このブログ内で紹介した『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』でも独立した章を設けて紹介されていたように、サハリン(樺太)には主としてサハリンアイヌ[2]、ニヴフ、ウイルタといった民族が、それぞれの言語と文化を持って暮らしていました。彼らは狩猟・漁労・採集(ウイルタはトナカイの飼育も)を生業とし、また大陸中国や日本との交易にも関わりつつ長い年月をこの島で過ごしてきたのですが、1875年の樺太・千島交換条約(樺太はロシア領として確定)、1905年のポーツマス条約(南樺太が日本領化)、1945年の第二次世界大戦終結(樺太全土がソ連領化)に伴う施政権の変動の影響を直接的に受け、最終的にサハリンアイヌは大半が北海道以南に移住したほか、南樺太に住んでいた他の先住民族の中にもさまざまな事情から北海道への移住を選択した人がありました。「ジャッカ・ドフニ」は、そうした移住者の一人であるウイルタのダーヒンニェニ・ゲンダーヌ氏とその義妹の北川アイ子さんによって設立・運営されてきた施設です。

自分が「ジャッカ・ドフニ」のことをいかにして知ったかという話は最後に回すとして、ここから本書の内容紹介に移ります。

第1章 サハリン(樺太)

最初に記述されるのはサハリンの地理・歴史と、そこに住むウイルタの説明です。上述のように19世紀以降日本とロシア(ソ連)の間でサハリンの帰属が揺れ動く中、一時的に北海道への移住を余儀なくされたものの多くが疫病に斃れたサハリンアイヌの悲劇や、日本統治下で強制的に集住させられ日本語教育を受けたものの日本国籍を与えられなかった南サハリンのニヴフ、ウイルタの様子が概観され、ついでウイルタについて以下の特徴が紹介されます。

  • 故地はアジア大陸であり、17世紀までにはサハリン島に渡ってきたと考えられていること[3]
  • 記録に残る人口は多いときでも800人、現在の人口も約300人と極めて少ないこと。
  • ウイルタ語はツングース諸語に属すること[4]。現在その話者は10名以下と思われること。
  • ウイルタはトナカイ飼育を行い夏冬で家を変えていたこと、など。

第2章 ジャッカ・ドフニ

「ジャッカ・ドフニ」の設立の契機と経過、そしてゲンダーヌ氏を初代館長としての開館と北川アイ子さんの二代目館長就任を経て、建物の老朽化等の理由により2010年一般公開終了、2012年閉館に至るまでの歴史がおおまかに振り返られ、次にゲンダーヌ氏と北川アイ子さんの生涯が写真と共に振り返られます。二人とも波乱万丈の人生ですが、その生涯をかいつまんで紹介するとこんな感じです。

ゲンダーヌ氏
南サハリン中部に日本の樺太庁が設けたニヴフ、ウイルタの集住地であるオタスに育ち、日本人教師による教育を受けてから、日本軍特務機関の指令の下で戦時活動に従事。このため戦後にシベリアのラーゲリに収容され、昭和30年の解放に際してソ連領サハリンではなく日本を選択して網走に移住。その後、①サハリンへの里帰り、②戦没者慰霊碑の建立、③ジャッカ・ドフニの建設を悲願としていずれも実現させたが、一方、アイヌと異なりニヴフ、ウイルタには日本国籍がなかったために恩給法の適用を受けられなかったことに対し国への請願を行ったものの解決を見ることはなかった。
北川アイ子さん
同じくオタスに育つが、昭和生まれのため日本名しか持たない。教育所卒業後は日本軍に関係するところで働くが、戦後、日本人の引揚げに際し(日本人ではないので)樺太に留まるようにと言われて憤激する。昭和40年代になってゲンダーヌ氏を頼りサハリンから網走に移住。ゲンダーヌ氏亡き後のジャッカ・ドフニを支えたが、2007年の逝去によって日本国内にウイルタを名乗る人はいなくなった。

第3章 ウイルタの文化

本書を「図録」と考えればここがそのメインパートになりますが、実は全体で200ページほどある中でこの章のボリュームは50ページほど、さらに次の章の中で展示の様子を伝えるページを加えてもプラス10ページほどです。それでも、そこに掲載された衣服や祭具、それにウイルタならではのトナカイ飼育に関わる道具などを見ると、寒冷地に文化的に適応した彼らの暮らしの様子が伝わってきますし、特に衣装の中には中国東北部の影響を感じさせるものもあって、サハリンと大陸との結びつきの強さを実感することができます。

掲載されている写真は、個々の展示品をクローズアップしたものと展覧会会場に並べられた状態で写されたものとが上手に組み合わされていますが、後者を見ると白を基調とした会場の設えの中でこれらの展示品が大事に展示されていることがわかります。冒頭に記したようにこの展覧会は2024年に開催されており、その時点では私は「ジャッカ・ドフニ」のことを知っていたのですから、この展覧会の情報をつかんでいれば何をおいても見に行ったことでしょう。実に惜しいことをしました。

第4章 交流のあった民族

第3章に続き、今度は主にサハリンアイヌに由来する展示品の説明が行われます。

左端のイナウ(木幣)はアイヌの精神世界を特徴づけるもの、そして衣服(イミー)の意匠の洗練度には感嘆しますが、その右の黒地に白で精細な幾何学模様を描いたものはウイルタの文様の切り紙です。

この後に北川アイ子さんの『私のおいたち』の手書き地図(サハリン南部とオタス周辺図)や写真家・仁田樹氏の写真展「雪」に展示されたサハリンでの写真が紹介されて目次の上では本編は終わるのですが、本書をさらに読み応えのあるものにしているのは数々の寄稿です。まず第2章の後に編集者・瀧口夕美氏と作家・黒川創氏による「私たちが見たジャッカ・ドフニ」を置いて第2章の内容を掘り下げた後、第4章の後に以下の論稿を掲載しています。

  1. 「日本帝国と樺太先住民族」加藤絢子氏
  2. 「日露/日ソの境界変動と樺太アイヌの歴史」田村将人氏
  3. 「ジャッカ・ドフニと博物館の歴史と構造」犬塚康博氏
  4. 「民族の心―北川アイ子さんとの対話から」弦巻宏史
  5. 「資料館ジャッカ・ドフニの90年代を振り返る」青柳文吉

それぞれに主題も文体もさまざまな論稿は興味深いもので、たとえば4.は北川アイ子さんの生前の姿を生き生きと描いて楽しく、5.は経済面での苦労を赤裸々に明かしながらジャッカ・ドフニが単に資料館としてだけでなく少数民族の権利主張の拠点として機能していたことを指摘して意義あるものでしたが、サハリンを領有した近代国家が講じた政策がサハリン先住民族に及ぼした影響をアカデミックな筆致で紐解いた前二者(とりわけ現代の日本に暮らすサハリンアイヌのアイデンティティの問題にまで踏み込んだ2.)は、本書の地位を「図録」からサハリン少数民族の近代史に関する「教科書」に引き上げていると感じました。


上記論稿2.でも言及されていましたが、サハリンの少数民族についての一般の認識を高めることに近年大きく寄与したと言われているのは、野田サトルの漫画『ゴールデンカムイ』です[5]

この漫画の中でヒロインのアシㇼパは、秘密に守られている金塊の所在地を示す暗号を解く鍵を求めて北海道各地を旅した後にサハリンに渡り、北緯50度線を越えてロシア領に入るのですが、その旅の過程で同行しているキロランケ(樺太アイヌの曾祖母を持つタタール人)がサハリン少数民族の文化について事細かに解説していきます。そして、北海道アイヌであるアシㇼパがこの旅を通じてサハリンアイヌ、ニヴフ、ウイルタの文化に触れわたしたちはちょっと違ってちょっと似ていると述懐したときに、彼女は(読者も)この北方世界に対する視野の広がりを実感したのだと思います。

しかし、アシㇼパがサハリンを旅したのはこの漫画の中では日露戦争が終わって間もない1908年頃のこと。その頃にはまだ伝統を守っていたウイルタの文化が、その後どのように変化したかということについて、上述の『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』に掲載されたコラム「北方少数民族ウイルタの生活と文化」(〔寄稿〕山田祥子氏(室蘭工業大学准教授))は次のように記していました。

ウイルタの生活様式は、1920年代から劇的に変化することになります。敷香郊外に樺太庁が設置したオタスという村に、アイヌ以外の北方少数民族が集住させられたからです。すでにみたように、ウイルタの生活様式の特徴は小規模なトナカイ飼育と季節移動でしたから、一か所に集住することはウイルタの「ウイルタらしい」生活を失うこととほぼ同義でした。決定的だったのは、1930年にオタスで開校した敷香教育所による学校教育の本格化でした。大人たちは子どもの通学のためオタスに住み、漁業や荷役などの賃金労働をして生計を立てるようになりました。子どもは学校で日本の教育を受けました。そうして、ウイルタの伝統的な文化は急激に衰退しました。


最後に、自分が「ジャッカ・ドフニ」の名前を知ったきっかけについて。

実はこのブログのところどころで既に言及しているのですが、2018年に網走(能取岬)へアイスクライミングツアーに行った際、半日のオフをとって北海道立北方民族博物館を訪れたときに開催されていた企画展が「永遠のジャッカ・ドフニ―北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニの35年間」でした。そのときは博物館の中を駆け足で見て回るにとどまり、この企画をそれと認識して見ることはできなかったのですが、「ジャッカ・ドフニ」という言葉の響きにどこか惹かれるものを感じて今日に至っていたわけです。

今回、ウェブ上で北方民族に関する参考書を渉猟していて偶然に見つけた『ジャッカ・ドフニ 大切なものを収める家』のおかげで8年越しの想いが満たされて幸運でしたが、おかげであらためて網走を訪れ、北方民族博物館の展示をこの目で見たいという気持ちが湧いてきています。もし訪問が実現すれば、もはや前回訪れたときとは比較にならないほど体系化された知識を身につけているので、展示内容がまったく違って見えてくるに違いありません。

脚注

  1. ^正式名称は「北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ」。
  2. ^樺太アイヌ。本稿では『ジャッカ・ドフニ 大切なものを収める家』内の表記に従い「サハリンアイヌ」とします。
  3. ^サハリン島の先住民とされているのは、ニヴフ、サハリンアイヌ、ウイルタの三民族である。このうち一番古くからサハリン島にいたのがニヴフで、次にサハリンアイヌ、そして最後にサハリン島にやってきたのがウイルタとされている(本書 p.124)。なお、5世紀から9世紀にかけて北海道の東北沿岸に広がったオホーツク人はニヴフの祖先と考えられています。
  4. ^アイヌ語とニヴフ語はいずれも、親戚関係にある言語が見つからない「孤立した言語」とされています。なお、本書の中には19世紀サハリンでの共通言語が、日本とロシアを交えた場合もアイヌ語だったということはあまり知られていないという記述があります(本書 p.162)。
  5. ^ちなみに実在のサハリンアイヌであるヤヨマネクㇷ(和名「山辺安之助」)を主人公とする小説『熱源』(〔著〕川越宗一)が直木賞を受賞したのは、『ゴールデンカムイ』で樺太編が掲載されたコミックス14巻(2018年)〜22巻(2020年)発行直後の2020年。