金神

漫画『ゴールデンカムイ』にまつわる二つの書籍

2026/01/09

11月のネパール旅行の終盤から症状が悪化した頸肩腕症候群のために、この冬はクライミングはもとより山歩きも一切控えてリハビリに邁進中。そんなわけであり余る時間を使って、いずれ読もうと思っていた野田サトルの漫画『ゴールデンカムイ』(全31[1]巻)を大人買いして年末年始に一気読み[2]し、ついでその関連本である中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』(いずれも集英社)にも手を伸ばして、1週間ほどで2冊を読了しました。

2014年から2022年にかけて『週刊ヤングジャンプ』誌上に連載された『ゴールデンカムイ』は、日露戦争終結直後の北海道と樺太を主な舞台とする金塊争奪戦をストーリーの主軸とし、そこに冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・ホラー・GAG&LOVE!和風闇鍋ウエスタン!!というちょっと何を言っているかわからないキャッチコピーが示すあらゆる要素をぶちこんで史実と各種オマージュ[3]で味付けをしたような作品です(←ちょっと何を言っているかわからない)。この作品が人気を集めた理由は、一つはほとんど群像劇と言っていいほど多彩なキャラクターが入り乱れているのにそれぞれの人物に深みのある背景事情が設定されていること、そしてもう一つは(これが重要な点ですが)アイヌ文化が実に丁寧に紹介されていることです。

過去にもこのブログの中で言及したことがありますが、私がアイヌや北方諸民族の文化への関心を持つようになった端緒は今から半世紀以上も前(つまり子供の頃)に接した『太陽の王子 ホルスの大冒険[4]と『太陽の子と氷の魔女』(詳細はそれぞれの記事参照)で、その後、金田一京助『ユーカラ』を皮切りに各種人文系書籍や写真家・星野道夫の作品を通じて細々と興味をつないでいたのですが、ここ数年、アイスクライミングや沢登りで北海道を訪れるようになってから、その滞在地の近くにある博物館[5]に積極的に足を運び、自分のこの領域への関心と知識のアップデートを図るようになりました。特に一昨年の夏に訪れたウポポイ 民族共生象徴空間では、アイヌの歴史[6]と文化についてのまとまった知識を仕入れることができ、それが今回の一連の読書の下地を作ってくれました。

さて、『ゴールデンカムイ』自体については〔Wikipedia〕に詳細な解説があるので、ここでは『読み解く』『絵から学ぶ』について紹介します。

著者の中川裕氏(千葉大学名誉教授)は『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修者(「アイヌ文化監修者」と言ってもよさそう)で、前者は漫画が連載中の2019年、後者は連載終了後の2024年に出版されたものです。前者は言わば『ゴールデンカムイ』を入口としたアイヌ文化入門、後者は漫画の「絵」に着目してその背景を深掘りすると共に樺太の少数民族にも目配りしたもの、といった内容になっており、巧みに重複を避けながら全体として良質のアイヌ文化概論になっています。

ただ、ここでこと細かにその内容を記述することにはあまり意味がないだろうと思うので、まずは両書の目次を並べてみます。

アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化
  • アイヌ文化に人々を惹きつける「ゴールデンカムイ」の魅力
  • カムイとアイヌ
  • アイヌの先祖はどこから来たか?
  • 言葉は力
  • 物語は知恵と歴史の宝箱
  • 信仰と伝説の世界
  • 「ゴールデンカムイ」のグルメワールド
  • 「ゴールデンカムイ」名シーンの背景
  • アシㇼパたちの言葉 アイヌ語とは
  • アイヌ語監修とは何をやっているのか?
  • はじめに
  • アイヌの精神文化
    • カムイとアイヌ
    • アイヌの伝統的風習
  • コタンの生活風景
  • 道具たちの織り成す世界
    • 衣服
    • 道具
    • 祭具
  • アイヌの一年
    • アイヌの一年
    • 男の仕事、女の仕事
    • 狩猟の世界
    • 罠のいろいろ
    • 採集の世界
  • 極寒の地に住む人々
    • 樺太アイヌ
    • ニヴフ、ウイルタ
  • 世界史の中の「ゴールデンカムイ」
  • 「ゴールデンカムイ」あのシーンの背景
  • 「ゴールデンカムイ」のアイヌ語せりふ解説

「巧みに重複を避けながら」とは書きましたが、漫画のタイトルにも出てくる「カムイ」はアイヌ文化を知る上で最も重要な概念(これがわからないとアイヌ文化は何もわからないほど)なので、両書とも最初の方でこれを説明し、その後に様々なジャンルの解説を続けるという構成になっています。

ところで、私より上の世代だと「カムイ」と聞けば白土三平の『カムイ伝』やそのスピンアウトである『カムイ外伝』を思い出す人が少なくないでしょう。しかしこれは『カムイ伝』の構想段階で主人公がシャクシャインの戦いに参加する筋書きが予定されていたことの名残りで、結果的にはアイヌとの接点は設けられませんでした。また、私のような(道外の)登山愛好家の多くにとってはカムイ=ヒグマという認識があり、したがって怖いもの・危ないものという印象しかないかもしれません。ところが上記二書を読むと、確かにヒグマはカムイの一部ではあるもののそれだけではない上に、人間とカムイとの間柄はむしろ対等の取引関係に近いことがわかります。要するにそれだけ「カムイ」についての理解はあやふやである可能性がある(少なくとも自分はそうだった)というわけなので、以下この点に限ってやや掘り下げます。

著者の記すところによれば伝統的なアイヌの世界観では、世界のあらゆるものにはラマッ「魂、霊魂」があると考えられておりその中でも精神・意志を持って何らかの活動をしていると感じられるものを、特にカムイと呼ぶのだそうです。したがって、多くの動物たちはカムイですし、人間が作る道具も、火もカムイです。ただしカムイと呼ばれるものと呼ばれないものの境目は、人によっても地域によっても変わり、たとえば鹿のように群れなす(自分の意志に基づいて活動しているようには見えない)動物はカムイであったりなかったりするのですが、とにかく、

カムイと人間との関係で重要なのは、このカムイとアイヌ「人間」がひとつの社会を作っているという考え方です。人間とカムイはただ同じ空間に共存しているというだけではなく、お互いに必要なものを与え合うことによって繁栄していくものであり、そのための交流関係を作っていくことが大事

なのだということです。

ヒグマを例にとると、カムイたちの世界(カムイモシㇼ)では人の姿をしている山の神は、人間の眼に見えるように衣装を着て=ヒグマの姿になって人間の世界にやってきて土産として肉や毛皮を与えます。人間はこのカムイを客として盛大に歓待し、人間にしか作れない酒・煙草・イナウ(木幣)を捧げ、感謝の祈りと共に丁重に送り返して、他のカムイたちに吹聴してもらえるようにします。そうすることによって、他のカムイたちも土産を持って人間の世界に来てくれるからです。ヒグマ以外も同様で、まさに、

カント オㇿワ ヤク サㇰ ノ アランケ シネ カ イサㇺ
天から役目なしに降ろされた物はひとつもない

というわけです。

こうしたアイヌの世界観は、2024年にウポポイを訪れたときに国立アイヌ民族博物館での展示を通じてある程度学んではいたのですが、ウポポイがあまりに広くて駆け足での見学だったため、今回まとまった時間をとって知識の整理をすることができたのは大きな収穫でした。

なお、2018年に釧路市の北海道立北方民族博物館を訪れたときちょうど企画展「永遠のジャッカ・ドフニ」が開催されていながらその展示室をスルーしてしまっていたウイルタについても詳しい解説を読むことができたことは、価値ある予想外でした。そもそも、樺太の少数民族が登場する漫画というのはこれまでなかったのではないでしょうか?

アイヌが東北北部[7]から北海道を経て南樺太と千島列島までの広い範囲に居住していたのに対し、ニヴフは間宮海峡の両岸、ウイルタは樺太の中東部から北東部にそれぞれ分布して独自の言語と独自の文化を保持してきましたが、樺太アイヌ・ニヴフ・ウイルタの人々は20世紀前半に樺太の領有権が日本とロシア(ソ連)との間で揺れ動いたことの影響を受け、その文化的なアイデンティティは今でも(ノスタルジーの対象ではなく)現実の課題であり続けているようです。今回取り上げた二冊の本は『ゴールデンカムイ』の舞台となった20世紀初頭の状況を伝えることを主眼とするため、この点に深く踏み込んではいませんが、学習の素材を「参考文献」として整理してくれています。

閑話休題それはさておき

話をカムイに戻して、『ゴールデンカムイ』という英語とアイヌ語が接合した不可思議なタイトルの由来は何なのか?これはこの漫画を読み始める前からの疑問で、実は中川裕氏も『読み解く』を上梓した時点ではその意味を知らされていなかったそうですが、全31巻中の第27巻に至って、登場人物の一人でいわば敵役である鶴見中尉が金塊(実際は膨大な量の砂金)発見の鍵を握る本作のヒロイン・アシㇼパに向かって語りかける次の言葉で明かされました。

アイヌの生活にとってそもそも黄金は必要のない……役に立たないものだった。

(中略)

天災や疱瘡など人間をおびやかすカムイもいるのだろう?黄金にもカムイがいるとすれば…!!それはアイヌにとって災厄をもたらす悪い神様なのではないかね?触れる者に無残な死をもたらし、どんなカムイよりも醜悪で凶暴で、眩いほどに美しく黄金色に輝くカムイ。いわば…ゴールデンカムイか。

『ゴールデンカムイ』の中では、役に立たないどころか砂金取りのために川が汚されて主食と言えるサケが捕れなくなることをアイヌのおばあさんが嘆く描写がありましたし、ストーリーの主軸である金塊争奪戦の過程では実に多くの人が命を落としています。これらを見れば、金はアイヌにとって災厄をもたらす悪い神様だという鶴見中尉の言はもっともであり、『ゴールデンカムイ』も基本的にはこの価値観をベースにドラマを構築しているようです。ただし『読み解く』に「黄金の民・アイヌ」というコラムを寄稿した瀬川拓郎氏(札幌大学教授)は、その著書『アイヌ学入門』の中で、奥州藤原氏の一団が日高地方に砂金採掘のため拠点を設けていたことを指摘した上で、アイヌ自身も当然その価値を知って金を採取し交易に用いていたはずだと論じています。同氏によれば、自給自足の狩猟・採集民というイメージとは裏腹に、アイヌは北東アジアと本州とを結ぶ中継交易中心の社会システムの持ち主だったということですから、そうであるなら金との付き合い方を早い時期から心得ていたとしても不思議ではありません。このあたりは、未だ読みかけの『アイヌ学入門』を読了したところでもう一度整理することになるかもしれません。

◎後日読了した『アイヌ学入門』についての記事は〔こちら[8]

ともあれ、結局のところ主人公の一人である杉元佐一が最後に語ったように黄金のカムイっていうのはそんな悪いものじゃなくて、使う奴によって役目が変わるということだったのでしょう。『ゴールデンカムイ』の終盤では、金塊の半分が道内の広範な土地の権利書に化けており、これをアシㇼパが手に入れ、後にそれらの土地が国立公園・国定公園に指定されることによって、カムイたちとアイヌの文化が守られることになるという大団円につながっています[9]

してみると、私たちがこうして大雪山系をはじめとする北海道の山々に入り、豊かな自然の中に身を置くことができるのも、黄金のカムイの恩恵だったということになるのかも?

脚注

  1. ^主人公の一人である「不死身の杉元」こと杉元佐一にちなんで。
  2. ^もう一人の主人公であるアシㇼパの名前はアイヌ語で「新しい年」を意味するので時期的にぴったり。ちなみに彼女の和名は「小蝶辺明日子」ですが、本人は自分の名前を「未来」と解釈して「わたしは新しい時代のアイヌの女なんだ」と語っています。
  3. ^たとえばこれは、アイヌ説話を映像(活動写真)に残そうとするアシㇼパ。世界のクロサワの姿で大人たちを叱咤します。
  4. ^『ホルス』のタイトルロールの声優を務めた大方斐紗子さんは、実写版『ゴールデンカムイ』でアシㇼパのおばあさん(フチ)を演じています。ちなみに『ホルス』のヒロインであるヒルダの声は市原悦子さん(『家政婦は見た!』)。少年だった頃の我々はヒルダに恋し、その声優にも憧れの気持ちを持ったものですが、そんな我々が初めて市原悦子さんのご尊顔を拝したときのショックときたら……。
  5. ^本文中に言及した白老町のウポポイの他、網走市では2018年に北海道立北方民族博物館、2025年に網走市立郷土博物館同 モヨロ貝塚館を訪れて、いずれも実り多い時間を過ごしました。
  6. ^ゲノム人類学の観点から見たアイヌについては〔こちら〕を参照。
  7. ^東北地方にアイヌ語由来の地名が多いことはよく知られていますが、津軽藩で18世紀に蝦夷風の名前と習俗を改めさせる触れが出されていたとことは今回初めて知りました。これは取りも直さず、その頃までアイヌ文化が北東北地方で維持されていたことを示しています。
  8. ^同書の中で紹介されていた、知里真志保によるアイヌの神観念と和人交易との類似性の指摘は、非常に興味深いものでした。長くなりますが、以下に引用します。
    アイヌが考える神との関係
    神々はその国で、人間と同じ姿で、人間と変わらない生活を営んでいる。/ときをさだめて人間の村を訪れる。/その際、特別の服装を身につける(山の神であればクマの毛皮)。/人間に土産を持参する(山の神であればクマの肉)。/人間の村を訪れ、首長の出迎えを受ける。土産をあたえ、神はほんらいの姿にもどる。/客となってそこに数日間滞在し、大歓待を受ける。/首長から土産の酒・コメ・シトキ(粢=水に浸した生の米をついて粉にし、水でこねて丸めたもの)・幣などをどっさりもらい、自分の国へ帰る。/国へ帰ると、部下の神々を集めて盛大な宴会をひらき、人間の村での見聞をきかせ、土産を部下におすそわけし、神々の世界での威を高める。
    ユーカラに見られる和人交易
    アイヌの首長は、村で狩猟や漁務を営んでいる。/かれはときをさだめて和人の村へ交易にでかける。/その際、晴着を身につける。/交易品の毛皮などを持参する。/和人の村を訪れ、毛皮などを土産としてさしだす。/客となってそこに数日間滞在し、大歓待を受ける。/和人から土産の酒・米・シトキ・煙草などをもらい、自分の村へ帰る。/村へ帰ると、部下を集めて盛大な宴会をひらき、和人の村の見聞をきかせ、土産を一同におすそわけし、アイヌの村での威信を高める。
  9. ^金塊の残り半分は意外な人物の手に渡ることになりますが、それは『ゴールデンカムイ』を読んでのお楽しみ。ただしWikipediaではきっちりネタバレされているので、これから『ゴールデンカムイ』を読もうとする人は要注意です。