塾長の備忘録

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私=juqchoの日常の雑感を不定期に綴る、個人的な備忘録。

泰造

2003/11/29

1973年にカンボジアで亡くなったカメラマン・一ノ瀬泰造を描いた映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』(五十嵐匠監督 / 浅野忠信主演)を観たのは3年半前でした。

今回渋谷シネ・ラ・セットで観た『TAIZO』(中島多圭子監督)は、この作品を下敷きにしつつ一ノ瀬泰造の軌跡を追ったドキュメンタリーです。縦軸に一ノ瀬泰造の生涯を時系列に沿って置き、そこに彼の両親や友人、カンボジアでの下宿先の家族や親友の妻などが登場してインタビューに答える構成をとっており、ところどころに『地雷を踏んだらサヨウナラ』の映像が差し挟まれます。

映画『地雷を踏んだらサヨウナラ」はある意味大変叙情的な作りで、それなりの予備知識がないとストーリーを追うことが難しい部分があったのですが、『TAIZO』はドキュメンタリーだけあって一つ一つの場面に説得力があり、たとえば一ノ瀬泰造が処刑されたとされるアンコール・ワット近郊のプラダック村で、両親が土と同化しかけた彼の亡骸(目の前で掘り起こされたもの)と対面し、骨を川で洗う場面などは見ていて言葉もありません。また、当時インドシナに派遣されていて一ノ瀬泰造とも接していたジャーナリストのインタビューでの言葉には、揺るぎない説得力があります。特に、最初にアンコール・ワットに接近して共産勢力に捕えられたものの無事に釈放されたことで甘くみてしまったのだろうという説明はショッキングでした。一ノ瀬泰造は、最初につかまったのもクメール・ルージュだと思っていたらしいのですが、実際にはベトナム軍だったようで、このジャーナリストの言によれば、ベトナム軍につかまって帰ってこなかった外国人はいないし、クメール・ルージュにつかまって生きて帰ってきた外国人もいないのだそうです。一ノ瀬泰造が最後につかまったのはクメール・ルージュであり、それでも1週間程は連行された村で撮影活動も許されていたのですが、カメラをとりあげられたことに抗議して処刑されてしまったといいますから、やりきれません。

それにしても、一ノ瀬泰造を含め、彼ら従軍カメラマンが命を削りながら写真を撮ろうとする動機はいったい何だったのでしょうか。『TAIZO』の大きなテーマはそこにあったはずなのですが、率直に言ってまだよくわかりません。功名心・金銭……しかしフィルムをUPI支局に持ち込んでも、その中から一部を切り取られてたかだか数10ドル。そして、配信される写真にカメラマンの名前が載るとは限らないのだとすれば、割に合わない話です。『TAIZO』の中でも、一ノ瀬泰造と接していた日本人ジャーナリストや学生時代からの友人は、彼が最も危険な(つまり共産勢力の聖地と化したアンコール・ワットの)撮影で一旗揚げることを熱望していたと証言していますが、一方でバングラデシュやカンボジア、ベトナムの子供たちや家族を撮った優しい写真もまた少なくありません。24歳から26歳までの実質1年半の間にインドシナを駆け巡った彼自身にも、今そこにいる理由がはっきりしていたのかどうか、やはりわかりません。一方、自分がこの映画を見る動機がどこにあるかといえばそれは多分に「アンコール・ワット」自体への愛着であって、正直に言えば一ノ瀬泰造の生き方への思い入れがそれほど強くあるわけではないのですが、やはり見てよかったと思える映画ではありました。

シネ・ラ・セットは実にこじんまりとした映画館で、前半分はサロン風に色も形もさまざまな低い椅子がしつらえられており、なんだか不思議。私が観たのは公開初日の一番最初の回で、ソファー席に座っていた4人の年配の方々は、会場の関係者とのやりとりや映画を見ながら時折目頭を押さえていたところから察すると、主人公の近親者でしょうか。受付で売られている『TAIZO』のプログラムにはたくさんの写真が掲載されていてお買得で、また、この日と翌日の先着500名には映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』の脚本プレゼントがあります。

さらに、一ノ瀬泰造がベトナムでいつも腕にしていたというベトナムビール「333」(バーバーバー)のマークにちなんで、会場のスナックコーナーで缶ビール「333」を333円で売っていたのでつい1本買い求めたのですが……味は、まだ試していません。