下降

2005/11/28

沢木耕太郎『凍』。これはアルパインクライマー山野井泰史氏のギャチュンカン(7,985m?)北壁からの登頂と、それに引き続く壮絶な下降を描いたノンフィクションです。

ギャチュンカン行のあらましについては、既に山野井氏自身による『垂直の記憶 岩と雪の7章』によって読み知っていたので、興味のポイントは、第三者の立場からあのギャチュンカン行を描くことで何が変わったか、ということになるわけですが、結論から言ってしまうと、クライマー自身の主観でそぎ落とした文体で書かれた『垂直の記憶』の方が、心に響くという点でははるかに上。特に下降の途中で雪崩に叩かれ、宙吊りになって視力を失いながらのビバークの苦しさ、ベースキャンプに辿り着いたときにキッチン・テントしか残されていないことを知ったときの絶望感などは、山野井氏自身の言葉で語られることによってしか得られない臨場感に満ちています。

ただし『凍』の方も、そこはプロの書き手になる作品ですから、ギャチュンカン行の全貌を細大漏らさず描きながら、そこに山野井夫妻の生い立ちからのさまざまなエピソードを実に巧みに織り込んでおり、とりわけ妙子夫人の強さをしっかり書き込むことで、全体として山野井夫妻の2人に平等に目配りをしている点に好感が持てます。また、帰国後の手術とリハビリの模様が詳しく、ここでも、両手の指全てを失っても決してくじけない、むしろ笑ってその状況を受け入れてしまう妙子夫人に強靭な意思の力を感じました。

そして、2年後にもう一度ギャチュンカンへのベースキャンプを訪れ、残置した荷物を回収するためにかつてのデポ地点に向かうものの、見つかったのは他のパーティーの空き缶一つ。「これでギャチュンカン北壁は終わったな」と山野井氏がつぶやく終章が感動的。

『垂直の記憶』とセットで読むことをお勧めします。