塾長の備忘録

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私=juqchoの日常の雑感を不定期に綴る、個人的な備忘録。

巡礼

2023/05/22

昨年10月に瑞牆山紅葉岩稜の「ピーターパン・シンドローム」を登ったとき(敗退)に、事前検討のためにこのルートの初出記録が掲載されている『クライミングジャーナル』15号(1985年1月)を古書店から手に入れ、以後その古書店「山の古本屋 軟弱古書店」のtwitterアカウント(@yamanohon2001)をフォローしていたのですが、先日、気になるツイートが目に止まりました。

この画像の右上にある『西丹沢詳細図』とはなんぞや?さっそく問い合わせをしてみたところ、写真添付で丁寧な説明メールをいただき、さらに気になるお値段も破格の安さ(ランチ1回分といったところです)。これは手に入れるしかない!と思って購入を申し入れ、数日の内に手元に届いた『西丹沢詳細図』をテーブルの上に広げて仔細に眺めてみました。

まずぼろぼろに傷んだ外装を見ると、この地図は山岳巡礼倶楽部という山岳会が製作したものであること、内容は4枚1組で西丹沢の主要な沢の様子を示すためのもの=つまり沢登りに用いることを想定したものであることがわかりました。「巡礼」という言葉から何となく抹香臭いものを感じ、それが丹沢の古道歩きを趣味のひとつとしている私のアンテナを刺激していたのですが、どうやらこの地図の性格はまったく異なるようです。

製作されたのは昭和21年10月で、山岳巡礼倶楽部「蔵版」かつ「非賣品」とありますから、同会の会員限りに配布されたか、または会で管理していたものかもしれません。

しかし、経緯は不明ながらこの地図は一時期「横須賀山岳会 山本健一郎」氏の手元にあったことが外装の書込みでわかります。山本氏はとても几帳面な方だったらしく、4枚の地図それぞれの裏面に『西丹沢詳細図 山岳巡礼倶楽部 第○号』と記すと共に、4分冊のどの位置にあたるかを手描きの四象限図で示していました。

以下の画像は地図本体です。

▲第1図「小川谷上流 石小屋沢 / 桧洞沢上流 ザンサ(ママ)洞」。この地図の用途を反映して枝沢の名前や尾根上の小ピークの名前が細かく記述されている点が特徴的で、また檜洞丸には「彦右衛門ノ右(ママ)ノ頭」と異称がカッコ書きされています。なお、元の持ち主はすべての地図の上と左の余白を折って使用していたようです。

▲第2図「箒杉沢・竜ヶ馬場沢 / 熊木沢・ユウシン沢」。登山道が塔ノ岳から丹沢山(三境峯)を経て蛭ヶ岳から北へ伸びていますが、蛭ヶ岳から臼ヶ岳方向への登山道は存在しません。檜洞丸周辺の登山道が整備されたのは1955年の神奈川国体のときだと聞いていますので、この時点では地図に載るような道はなかったのでしょう。

▲第3図「同角沢、モチコシ沢 / 小川谷、女郎小屋沢」。小川谷の中流には中ノ沢休泊所があり、玄倉側の上流には諸士平の記載も(なぜか左岸側に)あります。山神径路が二重線でしっかり書かれているのは、この時期にこの道が健在だったことを反映しているのでしょう。さらに目を引くのは小川谷、モチコシ沢、女郎小屋沢に細かく滝が書き込まれ、それぞれの高さが「10m」などと記されていることですが、同角沢の滝には高さが書かれていないので、沢ごとに調査の行き届き方に精粗の違いがあったようです。

▲第4図「四十八瀬川(勘七・本谷・ミズヒ沢)/ 寄木川上流 鍋割沢」。大倉尾根を登って塔ノ岳に達し丹沢山を目指す道が右端に書かれていますが、表尾根には道がなく、逆に今で言うところの大金歩道が記されている(第2図にも描かれている)ほか、左半分では寄からの雨山峠越えの道の途中から越場沢を用いた鍋割峠越えの道が明記されていることも目を引きます。なお、この地図ではもう一つ気になる点がありました。

▲第4図(部分)。左上の玄倉側上流を示す部分に「ユウシン休泊所」が書かれていますが、注目したのは「カヤノキダナノ沢」の位置です。今年の1月に茅ノ木棚沢ノ頭の位置について地図により揺らぎがあることを考察し、それはどの沢を茅ノ木棚沢と認識するかにかかっていることを見てきたのですが、この地図では鍋割峠に詰め上がっていく沢が茅ノ木棚沢であるとしていました。ただ、この地図は茅ノ木棚沢を遡行対象として認識していないので、この点に関しては先行する地図やガイドを引用しただけだったのかもしれません。

こんな具合に興味深く見てきたこの地図ですが、手にとるのも気を使うほど傷んでいるこれらを何度も開いて眺めることは憚られるため、真っ先に行ったことは写真撮影でした。そして画像データとして随時参照できるようになると、今度は実物の扱いを考える必要が生じます。このまま自分の手元に留め置いて朽ちさせていくのももったいないような気がして「山岳巡礼倶楽部」が存在するかどうかを調べてみたところ、なんとびっくり、同会のウェブサイトもFacebookページも設置されていて、近年でも登攀系の尖った山行を実践していることがわかりました。

以下は同サイトからの引用です。

山岳巡礼倶楽部は1935年東京下町で設立された古い山岳会ですが、部員の老齢化および減少のためほぼ消滅しておりました。2010年ころに山巡(GAMS)の再建計画が持ち上がり、残り少ないメンバーとその仲間による第二世代山岳巡礼倶楽部とも言うべき活動をはじめました。

そして『西丹沢詳細図』についての記述も見つかりました。

古くは西丹沢のザンザ洞の初登、西丹沢の詳細地図の刊行、また南アルプスの沢での初登、初の厳冬期富士山集中登山、積雪期上越国境初縦走などオールラウンドな活動を行ってきています。

そうとなれば、この地図に史料的価値を認めていただけるようであれば同会に寄贈するのがベストです。試みに日頃お世話になっている「日本の古本屋」で【山岳巡礼倶楽部】をキーワードに検索してみるといくつかの史料がヒットしましたが、この『西丹沢詳細図』は見当たりませんでしたから、やはり希少価値はありそう。そこでFacebookのMessengerを使って一部の画像と共に寄贈を受けていただけるかどうかを会の方に打診したところ、すぐに「ぜひ見てみたい」という返事をいただき、郵送ではなく直接お目にかかってお渡しすることになりました。

……というわけで今日の午後、都内某所にて山岳巡礼倶楽部の現在唯一人の現役であるAN氏にお目にかかり、無事に『西丹沢詳細図』をお渡しすると共に、会の歴史についていろいろと興味深い話を聞かせていただきました。丹沢に関しては上記の通りザンザ洞初登が業績ですが、会の歴史の中でも、また現在のAN氏自身のテーマの中でも重きを置かれているのは穂高の下又白谷での開拓だそう。他にも記録に残るいくつもの山行を重ねてきた会の輝かしい歴史の1ページを示してくれるこの『西丹沢詳細図』をお渡しできたことで、私もほっとした気持ちになりました。しかし……。

……AN氏から手土産にとすてきな日本酒をいただいてしまいました(←日本酒好きであることがどこでバレたのだろう?笑)。私が『西丹沢詳細図』を買い求めた金額を優に数倍する銘酒に恐悦至極です。ついては、この御礼はなんらかの形でさせていただきたいと思います。できれば山屋らしい方法で。