舞台

世田谷パブリックシアター 劇場ツアー

2026/01/25

世田谷パブリックシアター(三軒茶屋)にはこれまで何度か観劇のために足を運んでいますが、今回はその舞台裏を見学できる「劇場ツアー」に参加しました。昨年は国立能楽堂の「オープンデイ」にも足を運びましたが、このように普段見ることができない「劇場の仕事」を一般向けに紹介してくれる取組みへの参加は、より豊かな観劇体験の下地を作ってくれるに違いありません。

三軒茶屋の交差点からすぐの好立地に聳えるキャロットタワーの3階が世田谷パブリックシアターで、この日の参加者はざっと30名弱。受付を済ませたらすぐに劇場内に入りました。

席についてみると、目の前に開いた穴(鳥屋口)に奈落から上がってくる階段あり。その先には舞台の前縁が橋のように伸びていて、これは2月にこの場所で上演される「黒百合」のためのあつらえになっているようです。白石加代子さん、セリフはちゃんと入っているかな?(cf.「フェイクスピア」)

そういえば、この劇場内で緞帳が降りている状態を見るのはこれが初めてかも。そしてこの劇場は、見れば見るほど天井の高さが特徴的です。しかも見上げた先には柔らかい雲を浮かべた青空の絵が描かれていて、何か神聖なものがこの空間を穏やかに見守っているような雰囲気を漂わせています。

やがて開始時刻になり会場内が暗転したと思ったら、劇場の歴史を紹介するナレーションと共に流れてきた音楽は荘厳な「ツァラトゥストラはかく語りき」。幕が開いて赤く照らされた舞台が現れ、奈落からスモークと共に階段を上がってきた当劇場芸術監督の白井晃氏が舞台上に進み、颯爽とポーズを作ったところでイントロは終わりです。この派手な演出には白井氏自身もやや照れ気味でしたが、初めて見る白井氏はにこやかに明るく、これなら灰皿を投げつけられることはなさそうだという安心感を与えてくれる親しみやすい空気をまとっていました。

あらためての劇場の歴史とそのコンセプト(創造型・発信型劇場)の説明の後、劇場の構造上の特徴についても解説が行われましたが、そのポイントは次のとおりです。

  • 600人収容の劇場にしてはタイトな作り(舞台上から客席後ろまで20mしかなく、生声でも隅々まで届く)。
  • 日本では珍しい馬蹄形の座席配置。額縁舞台、雁行壁、高い天井。
  • 舞台面を下げ、客席の角度を変えることができる機構。そうしたシステムを持っている舞台は日本に二つしかない。
  • 東宝の美術部で「雲の神様」と言われた島倉二千六氏が当劇場オープン時に描いた天井の雲。

続いて紹介された劇場スタッフ3名(舞台機構・照明・音響)が、先ほどの白井氏登場時に担当した仕事の内容を説明しましたが、面白いのは照明さんがスモークも扱っていたこと。これは煙が光の筋を見せるための道具だから、という理屈だそうです。また、白井氏からのリクエストにより舞台機構さんの「8番をM2でダウンどうぞ」という呪文のような合図で天井からバトンがするすると下りてきましたが、この劇場ではバトンは油圧制御・人力制御合わせて40本あり、昇降速度を毎秒3cmから150cmまで設定できるようになっていて、そのうちよく使う速度をM1、M2……とプリセットしてあるということでした。こうした便利な機構に対し白井氏は「昔はね〜」とアナログだった時代を振り返っていましたが、最新の劇場ではさらに進んでコンピュータ制御により自由に動かせるようになっているのだそうです。

続いて照明さんの説明がこちら。四色の組合せで色調がなめらかに変化していくさまが魔法のようですが、ただしこれも、最新式ではLEDによって一つの灯体が自在に色を変えられるようになっている上に機材が首を振ってくれる(ムービング)ので、役者の位置を変更しても天井のブリッジまでわざわざ人が上がることなく照射位置を修正できるそう(ここでも白井氏の「昔はね〜」が出ました)。

さらに音響さんの説明に移り、先ほどの「ツァラトゥストラ」が左右の壁面の網の中とプロセニアム・アーチの上に隠れているスピーカーの3点から流されていたことが紹介されると共に、天井(シーリング)から音を出した場合と3フロアそれぞれの壁面(ウォール)から音を出した場合との違いを体感させてくれました。この音像作りは白井氏にとってもこだわりポイントらしく、客席後方の扉を開けてその外から爆発音を響かせるという演出を行ったこともあるそうです。

ここで座席を離れて舞台上に登り舞台自体の変化を体感するパートに移りますが、なるほど舞台から客席を見るとこういう風に見えるのか……と、まずこの時点でちょっと感動しました。ここから自分の声を客席最後列まで届かせることができたら、それはそれは気持ちいいに違いありません。

参加者全員が舞台上に乗り移ったところでいよいよ舞台が沈降を始めましたが、こんなに深く沈むとは思っていなかったのでびっくりです。今回は鳥屋口が設けられているために客席の方は動かせませんが、実際には舞台を沈めて使うときに客席も角度を変えるのだそうです。

先月ここで観た白井氏演出の「シッダールタ」でも、舞台をここまで下げ、背後を円形に囲むすり鉢の縁はだいたいいま見えている壁の上くらいの高さになっていたのだそうです。芝居を2階席から観ていたときにもずいぶん高さがあることに驚きましたが、こうして目の当たりにすると「この高さをすべり降りていたのか」とあらためて感嘆してしまいました。

▲「シッダールタ」セット模型。(公演プログラムから引用)

なお、さすがに上演中に舞台の高さを変えるのは安全面から御法度なのだそうですが、それでも白井氏は例外的に、ある芝居の建物が壊れる場面で30cmだけ舞台を下げることを許してもらったのだそう。これを聞いて、舞台機構の使用法に関する決定権は劇場スタッフ側にあるのだなと理解したのですが、このエピソードはこの日の最後に披露されたスタッフさんの安全管理の話にもつながることになります(後述)。

ついで、舞台を離れて楽屋へ向かいます。

楽屋受付前のテーブルには、白井氏が演出した過去の作品の資料たち。2022年の「マーキュリー・ファー」で吉沢亮[1]が使ったというガスマスクやピストルも置いてありましたが、本来ここは、役者さんが朝着いてお茶を飲んだりマチネとソワレの間にお弁当を食べたりのあれやこれやをする場所だそうです。

その近くにある赤黒の名札は着到板と呼ばれ、俳優やスタッフが到着したら黒、帰るときは赤を表にする仕組み。これは日本独自の風習らしく、海外からの俳優はこれを面白がって写真に撮っていったりするのだとか。なお、開演の1時間半前には「着到」するのが標準という話でしたが、着到が遅れた場合、ブロードウェイなどでは40分前に来ていなければ問答無用でセカンドに代えられるのだそう。これには参加者から「えー!」という声が上がりましたが、日本でもコロナ禍のときから、どんな役でも代演できるスウィングと呼ばれる役者を男女1名ずつ用意するバックアップシステムを導入するようになり、実際に「マーキュリー・ファー」で北村匠海が熱を出した日に急遽代役を立てたことがあるということでした。

受付横の通路を進むと、部屋の中にはずらりと鏡台(化粧前)が並びます。鏡を三方から囲む電球は舞台上の照明と同様の灯りの中でメイクできるようにするための工夫で、当劇場にはこうした部屋が四つあり、公立劇場なので主役用の個室というのは設けられていないものの、どれか一つを主役が個室的に使うことはあるそうです。

おや、これは「シッダールタ」の小道具ではありませんか。シッダールタが食べたおいしそうなカレーやカマラーの鳥籠、それに場面転換をスムーズに進めていた立木が置かれていました。なお「シッダールタ」公演中に草彅剛は楽屋に酸素カプセルを置いて、マチソワの間は「おやすみなさい!」とその中に入って身体を休めていたそうです。

白井氏の前に20年間芸術監督を勤めた野村萬斎師がよく使っていたという和室もありました。やはり萬斎師はこちらの方が落ち着くのでしょう。さらにランドリーがあって、芝居が終わったらすぐに脱いでもらって洗濯→乾燥。よって公演期間中の当劇場では衣装部の人たちが一番最後に帰ることになります。なお、マチソワの間でも洗濯はするのですが、どうしても間に合わない(乾きにくい)衣装のときは2着作ることもあるそうです。何にしてもたいへんなことです。

さて、役者が舞台に向かう前の最終チェックポイント(そこにも鏡あり)を通って舞台の下手側の袖へ向かいます。そのとき「下手」の表示の脇に英語で「Stage Right」と書いてあってなるほどと思ったのですが、日本語では舞台を「観る」者の立場から右左=上下を定義する(これは芸能が神への奉納であったことに由来する模様)のに対し、英語では舞台に「立つ」者の立場から右左を見るようです。

このコンソールは、最初の方で「8番をM2でダウンどうぞ」という呪文に基づきバトンを操作した装置。さらに舞台後方を回って上手側に向かいましたが……。

白井氏も好きだとおっしゃっていたこの眺め、確かにすてきです。

上手側の高いところに上がると、そこは天井近くに吊り下げられたバトンやブリッジを真横から見る構図。ブリッジは照明機材を設置するためのもので、人が乗り込めるようになっており電源も備わっているとのこと。

続いて移動した先は3階席で、ここから舞台を見下ろすとやはり高さが感じられますが、最初の説明にもあったように水平距離はさほどではありませんし、舞台全体をまんべんなく眺められるという点ではこれもいいかも。そしてここから見上げればすぐそこにある雲の天井は、4月からの耐震工事に伴い外されてもう見られなくなるのだそう。私は3月にもう一度ここへ足を運ぶ予定があるので、そのときが見納めになりそうです。

2階席に移動し、参加者が見ている目の前で舞台がせり上がるとがらっと印象が変わりました。これに客席の角度変化が加われば、演者にとっても観客にとってもまるで違う劇場空間ができあがることになるだろうと思います。

最後は舞台に戻って身体を動かすパートです。まず参加者全員で舞台上に円を作り、白井氏の指導に従ってスピードを1倍→0.x倍→1.x倍といった具合に変化させながらぐるぐると歩きました。その際「見られている」ことを意識して、胸を張り目線を水平にするのがポイント。引き続き「芝生」「砂浜」「熱いアスファルトの上」「水深10cmのプール」と次々にシチュエーションを与えられその場で対処するのが面白く、にわか役者になった気分を味わえました。

さらに参加者全員が横一列に並び、上手から順番にテンポよく「自分の好きな食べ物」(私は「カレー!」)を宣言してから、次は3分の1ずつ横一線に並んで前に出て(つまり歩きという動作を加えて)再び「好きな食べ物」。ここでのポイントは、先ほどと同じく見られていることを意識した歩き方と客席にいる白井氏に声を届かせるという点で、「見られる」と「届かせる」を意識するだけで自分の身体の使い方が変わるから不思議です。しかもここでは、宣言することがら(ここでは食べ物)を即興でひねり出す瞬発力も求められたような気がします。そして最後は3列縦隊を作り、3人1組になって前に出て順番に「自分のいいところ」語りを二度繰り返しましたが、2回目の前進→宣言のときにはそれっぽい照明になり、BGMとして「威風堂々」が流されました。

この後、舞台を降り客席に戻っての質疑応答となりましたが、参加者の一人からの「作り手の側にとって働きやすい劇場(労働環境ではなく)とはどういう劇場か」というナイスな質問に対し、冒頭に紹介されていた3人のスタッフのうち舞台機構さんから「この劇場は大勢のスタッフの安全意識が高いレベルで揃っている」という回答がなされたことがとりわけ印象的でした。それというのも、誰かが一つミスをすれば誰かが怪我をするという緊張感と危険回避のためのチームワークは、私が長年取り組んできたアルパインクライミングの世界にも通じるものだからです。

以上をもって「劇場ツアー」は終了です。100分ほどという短い時間でしたが、演出家のクリエイティビティと、それを目に見える形にしてみせるスタッフの皆さんと、フィジカルを通じて観客に届ける役割を担う役者たちとが、劇場という一つのハコの中で行うプロフェッショナル同士の共同作業の一端を普段見られない角度から(擬似体験も含めて)垣間見られたこの「劇場ツアー」は、とにかく面白くためになる経験でした。芸術監督の白井氏をはじめ、この日このプログラムを運営してくださった世田谷パブリックシアターの皆さんに心から御礼を述べたいと思いますし、演劇を愛好するすべての人にこのプログラムに参加することをお勧めしたいと思います……が、残念ながら上述のとおりこの劇場は今年4月1日から1年間休館予定です。よって、この記事を読んで世田谷パブリックシアターの取組みに関心を抱いた人は2027年4月以降の「劇場ツアー」再開を気長に待つ必要がありますが、しかし、それだけの価値は間違いなくあります。

脚注

  1. ^後の「国宝」である。