番屋

一昨年昨年とに引き続いて、今年も北海道の山を目指します。今年は山仲間のカト氏が留萌、スー氏が札幌勤務なので、両者の都合のよい暑寒別岳を目指すこととしました。

2000/10/07

羽田空港を9時過ぎに飛び立った飛行機は快晴の空を北上。噴火湾の上では昨年渡った室蘭の白鳥大橋や洞爺湖畔の噴煙がくっきり見えましたが、旭川空港は霧の中でした。今回の計画では、明日増毛側から暑寒別岳を北から東へ縦走し雨竜沼湿原を抜ける予定ですが、予報では明日・明後日の天気は不調……。ともあれ、空港でカト・スー両氏と再会し、まず昼食をとりながら行程の確認をしようと観光がてら神居古潭(カムイコタン)へ。赤い実が目立つ街路樹のナナカマドを眺めながら走ることしばし、着いた神居古潭はしかし橋の工事中で中に入れず、しそジュースをいただいただけで引き上げることになってしまいました。適当なレストランに入って地図を広げながら食事ののち、2台の車でダート混じりの道を終点の南暑寒荘へ移動。南暑寒荘は雨竜沼湿原への登山口にあり、きれいな管理棟と避難小屋、キャンプ場に広い駐車場がセットになった施設です。

ここにスー車をデポし、カト車で暑寒山塊をぐるっと回って留萌から増毛へ、さらにその先の岩尾温泉「夕陽荘」へ行って温泉につかりました。この地=岩老(イワオイ)は、比較的近年まで道路が通じておらず、船でしか出入りできなかったため陸の孤島と呼ばれていたそうです。「夕陽荘」はその名の通り大きく海に開けた窓からの夕陽を湯舟につかったまま眺められるのが売り物ですが、今日の天気では眺めは今いち。しかし雲の姿が面白く、湯もくつろげてそれなりに満足。今宵の宿は増毛ホテルです。

2000/10/08

午前3時50分に起床。外を見ると地面が濡れていてがっくり。それでも近くのコンビニで朝食・昼食を仕入れて暑寒別岳への登山口へ移動。とにかく1時間は登ってみようと4時40分に登山を開始しました。よく整備された道が尾根上に達すると、緩やかな広い道が山に向かって伸びています。徐々に明るくなっては来ましたが、尾根上の小ピークである佐上台を過ぎた頃から雨が風とともに激しさを増し始め、6時40分に撤退を決意しました。

登山口に戻り着いたのは7時45分。全面的に作戦を見直し、明日予定していた観光メニューを今日に回して、登山は雨竜沼湿原のみに縮小することにしました。そこでいったんカト氏の自宅に寄って態勢を整えてから、海沿いの道を北上して小平町の鰊番屋を目指しました。

鉛色の空と海、風に崩れる波濤、土砂降りの雨の中をひた走って着いた旧花田家は、明治38年に建てられた当地の素封家・花田氏の家で、道内屈指の鰊漁家の本拠地として漁夫、各種職人など200人前後を収容していたとのこと。建物の中には、「ヤン衆」と呼ばれた漁夫たちの仕事や生活の模様を伝える漁具、写真、映像などが展示されており、広壮な建物の作りと座敷内装の意匠などは花田家の繁栄を忍ばせるに十分。ちなみに鰊は食用ではなく肥料として加工されていたということで、なんとももったいない話ですが、当時は米の方がはるかに価値があるのだから当然です。明治から大正にかけて盛んだった北海道西海岸の鰊漁は、その後鰊がぱったり来なくなって衰退しましたが、近年再び鰊がこの地方の海岸に戻ってきているという話をカト氏から聞きました。

外に出ると雨はあがったものの、目の前の日本海は暗い空の下で不気味に波打っており、こちらも暗い気持ちをかかえたまま留萌へ戻ります。市内の寿司屋でおいしい握り鮨をいただいてから、市内を一望できる千望台へ。ここからは天気が良ければ利尻島も見えるそうです。

留萌と深川をつなぐ留萌本線に沿って走ると、恵比島駅に到着。ここはNHKの連続TV小説「すずらん」の舞台になった「明日萌」駅であり、撮影に使われたセットがいくつか残されていて観光名所になっています。実は「すずらん」はほとんど見ていないのですが、建物の外観や、室内に残された路線図・雑誌類など各種小道具にいたるまで考証へのこだわりが感じられました。雪に覆われていたらもっと風情があったことでしょう。

見学後は、今宵の宿、幌新温泉のほたる館に投宿。露天風呂と豪華料理にすっかりくつろぎ、夜はNHK特集でシドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんのドキュメンタリーを見ながら飲んだくれました。

2000/10/09

朝食後、初日にスー車をデポした南暑寒荘へ移動。今日で閉じられる管理棟に立ち寄って登山届を出し、協力金1人200円を支払ってから歩き出しました。雨竜沼湿原は規模こそ大きくはないものの、典型的な高層湿原で草もみじが美しく、奥の展望台から見渡すとこじんまりとまとまって好ましい姿。どうやらこの日は天候も崩れず、静かで優しい湿原歩きを楽しむことができました(山行の詳細は〔こちら〕)。

下山後、雨竜町でスー車と別れ、カト車で旭川空港まで送っていただきました。17時40分発の羽田行きが飛び立つときには日が沈んで暗くなっていましたが、雲の上に出てみると西の空は暗い夕焼色に染まり、下界には旭川の市街の光が輝いていました。しかし、やがて札幌の南を抜けて海の上に出る頃には、残照も消えて窓の外は真っ暗になっていきました。