別道

YouTubeドラマ『バイ、ザ ウェイ』

2025/07/04

先日、いつものようにご近所のカレー屋さん「カリカリスパイス」を訪れたところ、店主のミナミさんから渡されたのがこのカードです。

カリカリつながりではこれまでに『東京フィクション』と『在りのままで咲け / 進め』というそれぞれに個性ある映画を観ているのですが、後者に出演していた女優の鄭玲美さんが作り手に加わった映像作品がこの『バイ、ザ ウェイ』で、公開方法は本作の監督である松本佳樹氏が所属する映像制作団体「世田谷センスマンズ」のYouTubeチャンネルでの全6話配信(1話あたり10分強、最終話のみ18分)。このカードは、その玲美さんが「カリカリスパイス」に来店してくれて置いていったものだそうです。これは観なくては。

バイ、ザ ウェイ

  • 監督:松本佳樹
  • 企画・脚本:松本佳樹 / 鄭玲美
  • キャスト:鄭玲美 / 岩永光祐 / 大田一輝 / 宇野愛海 / 太志

このコンテンツに付された《STORY》は、次のとおりです。

友達の家に向かう途中に、存在しないはずの町「カシラギ町」に迷い込んでしまった百々瀬と紗岳。 2人は奇妙な運命に導かれるように住宅街を歩き続ける中で、自分たちの日常と、そして理不尽なことが日々起こる世界と向き合うことになる。

『地球星人(エイリアン)は空想する』の松本佳樹監督が2020年のコロナ渦中に制作した短編映画『PERSONAL_ _ _DISTANCE』の続編として作られた本作。ウイルスによって家から全く出ない在宅文化を描いた『PERSONAL〜』から、ウイルスを乗り越え新たな危機に直面する世界が描かれる。

これだけではどんな話か見当もつきませんが、一通り見終えてみると「なるほど、そういうことだったのか」と腑に落ちる作りになっていて、もう一度最初から見直したくなる面白みがありました。

▼タイトルをクリックすると、各話のあらましが表示されます。

第1話「くだらない迷子」
  • 主に百々瀬の視点から語られる。
  • ウイルスの映像がいきなり出てくることで、まずはそれとなく背景がわかる。さらに「もう5年」「世界が終わる前に」というキーワード。
  • 友人の家に行こうとして道に迷い、途方に暮れる百々瀬(鄭玲美)と紗岳(岩永光祐)。ホタルと名乗る謎の若者(太志)との出会い。
  • この時点ではまだ話の構造は見えてこない。
第2話「死なない猫」
  • 主に美海果の視点から語られる。
  • 自分たちが都市伝説とされていたカシラギ町にいることに気づく二人。樫良木と名乗る男(大田一輝)との出会い。やはり迷い込んでいた若い女性・美海果(宇野愛海)も加え、樫良木の案内で「帰る」ことにする。彼の説明によれば、百々瀬たちがカシラギ町に迷い込んだのは「バグ」によるものらしい。
  • 5年前、人々はウイルスから解放されるために「第二現実(セカンドリアル)」に移り、その日をウイルスからの独立記念日としていることがここで明かされる。ただし、まだここではセカンドの位置付けはクリアではない。
  • 美海果が問い掛ける「どうせ世界は終わるのにどうして死んではいけないのか」「バーチャルの猫も死ぬんだろうか」という言葉と、前者の問いの際にちらっと移るモノクロームの映像(ヘッドセットを着けてベッドに横たわる美海果の姿)に、この世界の異質さが滲み出る。
第3話「大したことない乾杯」
  • 主に紗岳の視点から語られる。
  • 紗岳のモノローグ、美海果と樫良木の口論を通じて、設定がよりクリアになっていく。ウイルスが猛威を奮い、その後の在宅文化の時代を経て、人々は「第一現実(ファーストリアル)」からバーチャルの世界(セカンド)に移ってきたが、システムの不具合のためにファーストに戻ることはできず、しかもセカンドも遠からず消滅する運命にあるらしい。
  • 若い美海果は「帰りたい場所をイメージしろ」と言われても、そもそもここにいることについて自分で決定する機会を与えられてこなかったのだからと反発している。しかし、ふと猫の声を耳にしたとたん、彼女は自分の居場所を見定めることができたらしく、忽然と姿を消す。
第4話「狭間の町」
  • 主に樫良木の視点から語られる。
  • カシラギ町はセカンドのプロトタイプであること、セカンドは人々の脳内のイメージを抽出してファーストを忠実に再現したものであることが明かされる。樫良木はセカンドの消滅前に人々をファーストに帰す方法を検討中であり、そのためにカシラギ町に迷い込んだ者の一部がファーストに戻る際の記録を録り続けているが、社会としては止まってしまっているファーストへ人を送り出すことはその者を死の危険にさらすことを意味し、紗岳はそのことを非難する。
  • 樫良木の記録音声の中に失踪中の父の声を聞いた百々瀬は、父がファーストへ行ったことを知り後を追おうと考えるが、紗岳はこれを制止しようとする。二人にとって、ファーストとセカンドと、どちらが選び取るべき現実なのか。
第5話「なんでもいい生活」
  • 紗岳と別れて歩きながら父との暮らしを思い返す百々瀬の切ないモノローグ。なぜかその後をついて歩くホタル。
  • 一方、樫良木により、ウイルス対策のために人々がヴァーチャル世界へ移行してから2年もたたずにリアルの都心部に震災(通称「揺れない大地震」)が発生したため人々はリアルに戻ることができなくなり、一時的な避難場所だったはずのヴァーチャルはセカンドリアルとなったものの、メインサーバーの寿命と共に消える運命になったことが語られる。
  • 未来は時間がたつほど道が狭まっていく……と沈み込む百々瀬の前に、そこだけモノクロームの異様な道が現れる。これがファーストへ通じる道であることを直感する百々瀬。そこは自分が来た道だと述べてやんわりと止めるホタル。
最終話「Bye, The way」
  • 百々瀬と紗岳の合流。紗岳は樫良木の計画に希望を見出しセカンドに戻ることにするが、百々瀬は父を追ってファーストへ向かうことを決める。二人の別れ。
  • 紗岳「想像してしまったことは大体叶わないことを知っている僕たちが、それでも想像することをやめないのはなんでだろう。それはもしかしたら、選ばなかった、さよならしたあの道がそうさせているのかもしれない」
  • 百々瀬「あたしたちは期待する。選んだこの道が、後悔はあっても間違いはなかったと曇りなく言える未来を」
  • 紗岳はセカンドの友人宅に辿り着き、同じくセカンドの街並みの中を物珍しそうに歩き回るホタルの後ろ姿で物語は終わる。

視聴するまでまるで予備知識がなかったので、途中からこれがまさかのSFであることに気づいてびっくり。映像としては登場人物たちが町(ほぼ住宅地)の中をひたすら歩いてひたすら語り合う姿が延々と映し出されますが、そこにサブリミナルのようにさまざまなイメージの断片が差し挟まれて、この世界が背負っている宿命の深刻さを観るものの心に焼き付けます。

タイトルの「バイ、ザ ウェイ」は、普通に考えれば第1話の最初の方で百々瀬と紗岳が声を合わせた「ところでさ」という意味になりそうですが、「バイ、」と読点が付いていることからこれは「さようなら」の意味だろうとすぐに見当がつきました。そして最終話に至ってやはり、そのタイトルである「Bye, The way」と共に「あの道」を選ばなかった紗岳と「この道」を選んだ百々瀬の言葉に結び付きました。

ただし、この作品からどういうメッセージを受け取るかは観る者の自由だと言ってもらえるなら、最終話で百々瀬と紗岳が残す言葉もさることながら、第3話の「自分が選んだわけではない運命とどう向き合えと言うのか」(大意)という美海果のエピソードが重要なもののように思えました。また、その彼女が畳み掛けるような細かいカット割の後に猫の声を聞いた次の瞬間、ふっと姿を消す演出は極めて巧みです。

一方、どうしてもわからなかったのはホタルの役割です。百々瀬と初めてあったときに彼女がワクチンを打っていたことを確認して「だから(見えるのか)」と納得していたり、第4話でファーストにはウイルスはもうほぼいないだろうと言う樫良木の言葉に「おかげさまで」と口を挟んだり、樫良木からの質問に「人間と仲良くしたいとは思っていますよ」と述べたり、ファーストへの道を見出した百々瀬にそちらは自分が来た道だと説明しているところを見ると、彼はもしやウイルスのアバターなのか?と思わなくもないのですが、果たしてどうだったのか。それに、百々瀬以外には見えなかったはずの彼が最終話では樫良木とも紗岳とも声を交わしている点も、謎です。

その点では樫良木の方がまだわかりやすい存在で、視聴者にこの世界観の成り立ちを説明する役割をクールに果たしていたと思いましたが、それだけに、彼が紗岳から詰め寄られたときに見せる動揺や会話の中に多用される「っすよ」という下品な若者言葉は、その役柄にマッチしていないと思わざるを得ません。

それにしても鄭玲美さんは相変わらずの魅力的なキャラクターで、弱さ・脆さを抱えながら切迫した事態と懸命に向き合い、最後に自分の道を選び取る強さを見せる百々瀬にぴったりでした。とりわけ紗岳との別れの場面で、彼から「見失うなよ」と言われた百々瀬が「そっちこそ」と返すときの表情がすごくいい。ただ、これはあくまで自分の好みの問題ですが、鄭玲美さんに限らず全体に会話がスローすぎると感じることがあって、一通り観終えてからもう一度観直したときにYouTubeの再生速度を1.25倍にしたところ、ちょうど心地よい会話のテンポになりました。

なお蛇足として、一行が階段に座り込んで牛丼を食べている場面[1]を観て「全員左利き?」と一瞬思ったのですが、もちろんこれは映像を左右反転させているからで、よく見れば電柱などの標識もすべて文字が逆。しかし最終話の最後に紗岳がついに友人宅に辿り着いたところからはそうなっていないので、カシラギ町の中にいる場面に限って(と言ってもそれが本作の大半を占めるのですが)左右反転させる処理がなされていたようです[2]

脚注

  1. ^鄭玲美さんが刻みネギ入りのカップラーメンを食べる場面が出てこないかと期待していたことは、内緒です。
  2. ^そのせいで、郵便局の場所を尋ねられた通りがかりの人が「突き当たりまで行ったら左」と言いながら「右」を指すというおかしなことが起きているのですが。
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