塾長の備忘録

塾長の備忘録

私=juqchoの日常の雑感を不定期に綴る、個人的な備忘録。

常吉

2022/11/18

今日は、東武東上線小川町の斎場で山仲間であり人生の先輩でもある常吉さん(Webネーム)の告別式でした。

常吉さんは2019年2月に食道癌(Ⅲ)が発覚してから、がんばって各種治療を続けたものの完治には至らず2022年7月から緩和ケアへ移行していましたが、11月13日の午前にご自宅でご家族に見守られながら旅立たれたのだそうです。今年の6月に数え年での古希を祝っておられましたから、まだまだ若い。

病気発覚後の経緯は逐一と言っていいほどの頻度と詳細度で常吉さん自身がブログに公開し続けていましたが、そこには記しきれない内心の動揺や葛藤ももちろんあったことと思います。それでも、命の火が徐々に、しかも着実に消えてゆくこの3年半の中で常吉さんが我々に見せていた生き様は、見事というほかありません。自分の病気と闘いながら、その一方で責任をもって仕事を整理し、残されるご家族のために道筋をつけ、友人たちとも別れの機会を設けて、一つ一つ後顧の憂いをなくしていった計画性はさすが練達のエンジニアという感じ。あえていえば「友人たち」に占める女性比率の高さはいかがなものかと思わなくもありませんが、それもまた常吉さんの人柄のなせるわざです。 私自身は常吉さんとは「山仲間」というくくりの友人関係になりますので、以下にご一緒した山行の一部を振り返ってみようと思います。

最初に常吉さんにお会いしたのは2006年8月の苦土川井戸沢でした。当時はウェブサイトに設置した掲示板(BBS)でのコミュニケーションがはやりで、この掲示板交流からリアル交流に発展した山行だったと記憶しています。山行そのものも楽しかったのですが、前夜泊のテントの中でのご馳走とお酒の豪華さに目を白黒させたことが懐かしい思い出です。

常吉さんとの山行の白眉と言えるのは2010年の北岳バットレスです。まず上の写真はDガリー奥壁で、核心部のハングを越えた後に赤いスラブを常吉さんがリードした際の様子です。真っ青な空に向かってロープを伸ばす常吉さんのはしゃぎぶりが、今でも目に浮かびます。

Dガリー奥壁の翌日に登った上部フランケも快適なクライミングで、北岳バットレスの大きさを堪能することができました。上の写真で片方のロープがあさっての方向に向かっているのはこのピッチをリードした常吉さんがルートどりを間違ったからで、そのためにヒヤリハットがあったのですが、終わりよければすべてよし。

常吉さんには、私が後進(と言うのは口はばったいですが)を引率する際の助力も引き受けていただきました。2010年の片品川根羽沢大薙沢がそうですし、2012年の小同心クラックもそう。常吉さんの面倒見の良さと山を楽しみ尽くす姿勢は、同行した全員にとって学びとなるものでした。 その後、山でご一緒する機会はなかなか訪れなかったのですが、治療開始から2年がたった頃に上北沢の蕎麦屋さんで共に飲むことができたのは僥倖でした。このときは、常吉さんは私とのサシ飲みのつもりだったのを私がサプライズでいず姫とニシさんに来てもらったのですが、この組合せでの飲み会のこれまでの歴史はこのブログの中を過去へと遡ればぞろぞろ出てくるはず。今のご時世では「殿、それはセクハラです」と諫言しなければならない写真も多々ありますが、女性陣が嫌がっていないように見えるのもまた常吉さんの人柄のなせるわざ(?)

常吉さんとの最後の山行になったのは、今年6月の岩魚・山菜山行でした。常吉さんの体力はもう相当に落ちていた時期でしたが、それでも山懐に浅からず深からず適度な位置まで入り込んで、皆が担ぎ上げた食材と常吉さんが釣り上げたイワナとを広げて焚火を囲み、時間を気にすることなくのんびりと飲み食べ語らい合った夢のような一夜。常吉さんはこの山行の記事が公開されると人が殺到して山が荒れるのではないかと懸念していたので私もこれまで記録公開を控えていたのですが、もういいでしょう?

そして最後に常吉さんにお会いしたのは、私の職業人生卒業を祝っての中華飲み会でした。紹興酒を1人1本のペースで空けるのはお約束ですが、いただいた記念の酒器の箱に「感謝をこめて」と書かれていたのは意味がわからない。感謝しているのはこちらの方なのに。

焼香が終わり、棺の中で穏やかな表情で眠っている常吉さんの姿が、最初は白、ついで色とりどりの花で埋め尽くされてゆく中、奥様は愛おしげに常吉さんの髪をなで続けておられましたが、ついに棺の蓋が持ち出され、もう二度と常吉さんに触れることができなくなるという時が来たとき、やはりこみ上げるものがあったようです。その姿を見ながらこちらも目頭を熱くしましたが、棺が霊柩車に乗せられてクラクションと共に火葬場に向かって走り去った後には、あっけらかんと青く明るい空が広がっていました。

なお、この記事のタイトルの「常吉」は常吉さんを呼び捨てたものではなく、その言葉の意味であり常吉さんの生き方の指針でもあった「Always Happy」を指しています。大晦日が四十九日にあたるそうですから、年が明ければ常吉さんの魂は晴れて極楽浄土に渡り、まずは会社の後輩でもあったひろたさんを探し出して焚火宴会をしながら、やがて我々が順次訪ねてゆくのをいつもの幸せそうなニコニコ顔で待ってくれているに違いありません。

常吉さん、ずいぶんお待たせすることになると思いますが気長にお待ち下さい。