桂木

#1268 - 山友・酒友アユミさんを送る山岳

2026/09/22

東日本に台風一過の青空が広がった今日、日帰りで盛岡に赴き、山友にして酒友でもあったアユミさんの葬儀に参列してきました。彼女の住まいは埼玉県の朝霞だったのですが、ご実家のある八戸から遠くなく東京方面からもアクセスしやすいところということで、盛岡が葬いの地になったようです。また葬儀は神式で出棺祭→火葬祭→葬場祭という流れになり、私はいつも明るい笑顔を振りまいていた彼女の記憶を上書きしたくなかったので火葬後の葬場祭のみ参列しました。

アユミさんは、帰省中の8月17日(月)に山仲間と組んでワンデイで葛根田川の支流である南白沢を遡行しようとした際、何らかのトラブルに遭遇して同行者共々帰らぬ人となってしまいました。この南白沢が遡行対象となっていることを私は今まで知らなかったのですが、ネット上に公開されている記録を見ると流程こそ長くないものの難しい滝を擁して一筋縄ではいかない印象で、案の定、二人は核心部とされるF5で発見されています。ただ、現場の状況から事故原因はある程度推測できるものの、当事者が二人とも亡くなってしまったためにこれを確定することは困難ですし、原因がわかろうがわかるまいが、私たちがアユミさんを失ったという事実が変わるわけでもありません。

この事故のことを私が知ったのは8月18日(火)の夕方のこと。アユミさんの山岳看護師仲間であり山岳遭難捜索活動のエキスパート[1]でもあり、なによりアユミさんの親友であり、そしてアユミさんを介して私とも知り合いになっていたフジミさんからの連絡によるものでした。日帰りのはずなのに日付が変わっても帰ってこないアユミさんの身を案じたご家族から連絡を受けたフジミさんが、その時点では「葛根田川方面」という情報しかなかったことから葛根田川遡行の経験がある私にアユミさんの行き先を推測するための助言を求めたのがそのきっかけです。これに対し私からは、1泊2日なら葛根田川から大石沢への継続、日帰りなら一般登山道で乳頭山ではないかという推測を伝えたものの、徐々に情報が集まってみるとこれらはいずれもハズレで、上記の通り南白沢のワンデイ遡行が正解でした。そんなわけで私の助言はノイズにしかならなかったにもかかわらず、フジミさんはその後折々に進捗を知らせてくださり、私からも直近の山行をもとにアユミさんの装備の写真を提供していたのですが、地元関係機関の懸命の捜索もなかなか奏功せず、火曜日が水曜日になり、水曜日が木曜日になり、仮に行動不能になっているとしてもどこかでビバークしてくれていれば……という淡い期待は徐々にしぼんで、悪天候のために捜索活動が木曜日の午前中で打ち切られるとさすがに生存は諦めざるを得なくなりました。それでも現地の天候が安定した金曜日の早朝から再開された捜索でようやく遺留品が見つかりだし、その日の午前中には滝の中で水をかぶった状態の二人の遺体[2][3]の発見にも至ったのですが、現場の状況は想像を絶するほどに悪く、遺体の回収が難航している様子にやきもきし続けることになります。このように神経をすり減らす日々を経て、まず同行者の遺体が回収されたのが翌週月曜日、そしてアユミさんの遺体を下界に下ろすことができたのは8月29日(土)、つまり事故があったと思われる日から丸12日後のこととなりました。このため遺体の状態に鑑みDNA鑑定を行うことにもなってしまい、最終的に事故から葬儀まで1カ月以上を要することになったというわけです。

アユミさんとその仲間が亡くなってしまったことはとてつもなく悲しいことですし、これほどの長期間にわたり冷たい水に打たれ続けたアユミさんのことを思うと胸が痛くなってきますが、今日こうして彼女の亡骸や遺影に「おかえり」という言葉を掛けてあげられたことは、残された者たちにとってせめてもの救いです。困難な搬出活動に従事された皆さんのご尽力に、心より感謝したいと思います。

なお、私の直接の山仲間が事故で命を落としたのは2017年の弘田氏以来のことです。そのときの記事で私は山仲間が命を失う事故はこれが最初で最後であってほしいと記したのですが、その願いはかないませんでした。しかも、二人とも命を落としたのは沢登りでのこと。純粋なクライミング技術ではカバーしきれないリスクを内包した沢登りの怖さを今さらながらに思い知らされて、慄然とする思いです。


思い起こせばアユミさんとは、確か2019年春に江戸川橋のクライミングジム「T-WALL」(当時)で知り合い、その後いくつかの沢登りやアイスクライミング、ハイキングをご一緒するようになった間柄です。彼女との思い出をまとまったかたちで残すために、印象的だった山行のいくつかをここで振り返ってみようと思います。

裏同心ルンゼ〜横岳西壁小同心クラック
2019年12月。八ヶ岳におけるアルパインアイスから岩稜への継続登攀。技術よりも体力が求められるルートですが、アユミさんはその小柄さに似合わぬ持久力を発揮して、頼もしいパートナーぶりを示してくれました。
摺上川叶道沢地神沢下降〜クロノ沢
2023年10月。どこまでも続くナメが美しい東北の沢を三人で。あの明るい性格そのままに「癒し渓」の遡行ではしゃぐアユミさんの屈託のない笑い声が今でも耳に残っています。
飯士山(負欠スラブ)
2024年9月。上述のフジミさんとアユミさん、そして私の三人でのプチアルパイン。リードはお二人に任せて私はフォローに徹する大名登攀でしたが、スラブを終えた後の負欠岩登攀では、アユミさんの大胆なクライミングが鮮やかでした。

これらの他にもいくつもの沢登りや岩登りをご一緒したアユミさんでしたが、実はとりわけ思い出深いのが2020年6月2026年2月の生藤山でのハイキングです。2020年の方は冬に怪我をしたアユミさんのためのリハビリハイク、2026年の方は前年の秋から半年近く頸肩腕症候群で山行から遠ざかっていた私のためのリハビリハイクで、いずれも軍刀利神社に参拝してから稜線上の元社に上がり、和田峠に下って陣馬高原下の「山下屋」で飲んだくれるというワンパターン。冒頭にアユミさんは山友であると共に酒友でもあると書いたように、アユミさんも私も「山下屋」にMy枡をキープしている山下屋フリークでした。

▲上から軍刀利神社の奥ノ院、同・元社、「山下屋」の料理(左列は2020年 / 右列は2026年)。

ところでアユミさんは昨年、看護師としての定職を離れて時間を作り、そこから立て続けに海外での登山を行っていました。その最初のエクスペディションは2025年8月のキリマンジャロ(5895m)で、ここで薄い空気に身体を慣らしてから10月にはネパールのチョラツェ(6440m)に登頂。無事に目的を果たしルクラまで降りてきたアユミさんは、彼女と入れ違いに入域してスリー・パス・トレックに臨もうとする私を待ってくれていて、ルクラのゲートをくぐったところで「感動の再会」を果たしたものです。さらに、私がネパールから帰国した後には和光市にあるアユミさんお気に入りの蕎麦屋で祝杯。4時間ひたすら飲み食べながら、互いの健闘を称え合いました。

今年も5月にネパールのメラ・ピーク(6476m)、7月に本場アルプスのツール・ド・モンブランと堰を切ったように海外登山を続けていたアユミさんでしたが、その都度律儀にお土産を買ってくれていて、キリマンジャロならもちろんコーヒー豆、ネパールからは茶葉。そしてヨーロッパから帰ってきたアユミさんが江戸川橋でのジム練の後の飲み会で渡してくれたのは、シャモニーで買い求めたという美しい板ハガキでした。

これは大切に飾らねばとアクリルのフォトフレームに入れ、これまでにゲットしてきた登頂証明書たちと並べて壁掛けにしてその写真をアユミさんに送ったところめちゃ綺麗にディスプレイしてもらえて嬉しいと喜んでもらえたのですが、このお土産を受け取った8月9日が、彼女に会った最後の機会になってしまいました。

葬儀を終えた後のアユミさんの魂は、どこに向かうのか。成仏祈願を受けて極楽浄土へ送り出される仏教とは異なり、神道の考え方では故人の魂は家の守護神になって祖先と共に家族を守るとされているそうですが、登山と看護を通じて山をフィールドとした活動に打ち込んでいたアユミさんがそのように殊勝な役割に甘んじるとは思えません。やはり日本のどこかの山に出向くのではないか、それも私の勝手な想像では、2020年6月の生藤山ハイキングのときに軍刀利神社の奥ノ院で見た桂の巨木に、その魂は宿ることになるのではないかという気がします。この青々とした桂の木の生命力のほとばしりに、アユミさんはいたく心を動かされた様子でしたから。

なのでこれから毎年8月17日に私は、この桂の木に会いに行こうと思っています。

脚注

  1. ^著書『「おかえり」と言える、その日まで
  2. ^正式に「遺体」と呼べるのは医師による死亡判断を受けてからのことなので、本来は見つかっただけの段階では「遺体」と呼ぶことはできません。
  3. ^2023年にヨーロッパからの帰国便の機上で見た山岳映画『The Last Mountain』(2021年)と『The Alpinist』(同)では、いずれも最後に主人公が遭難して亡くなってしまうのですが、その捜索を行う人たちが対象者を「He」ではなく「His body」と呼んでいることにショックを受けたことを思い出します。

◎この葬儀の翌日、陣馬高原下の「山下屋」を訪ねてアユミさんのMy升に献杯した記録は〔こちら〕。